郡山市長へ党の義援金目録を届けて

  5日、市の対策本部を訪ね、郡山原市長へ高橋市議(党郡山安達地区委員長)、橋本市議、岩崎市議とともに、党中央からの義援金100万円の目録を手渡しました。

 栗山副市長が、対策本部こにいた幹部30人に「みなさん、共産党さんから多額の義援金をいただきました!」と紹介すると、会場からきな拍手がおきました。

 原市長は、お礼を述べながら、郡山から県や国への要望と実情を尋ねるときょう段階で市内の避難者は約500人と減少してきたが、浜通りからの避難者は3,700人とのこと。

 学校の再開などにともなって、避難所も市体育館の剣道や柔道場なども開放することにし、民間住宅の提供を含めてできる協力はしていくとの考えを示してくれました。

 すでに、県には1,000万円、津波・震災・原発被災地の浜通りの市町村には500万円を届けていますが、これは第2次分です。郡山市は庁舎被害を受けていたり、他の被災者の避難所として受け入れているなどから、全国から頂いた義援金の一部をお届けしました。

 

福島労働局へ申し入れ

 4日、党県災害・原発事故対策本部は県労連とともに、福島労働局への申し入れを行ないました。

 要望は3項目で、①雇用調整助成j金の柔軟な活用、②雇用保険の失業給付については、30キロ圏外でも特例として認めること、③避難所に出張所をおいて、福祉の窓口とのワンストップの相談ができる体制をとること。特に大規模な避難所には、常駐することを求めました。

 佐藤俊彦福島労働局総務部長は、震災後いち早く雇用の巡回相談を行なってきたと述べ、震災直後は生活相談や不安など、労働相談以外のさまざまな相談が多かったそうですが、それらにも対応してきたといいます。

 最近は少し気持ちが落ち着いてきたようで、仕事の再開見通しについての相談や短期や出稼ぎ求人情報が゙ほしいなどに変化してきたといいます。

私たちからは、せめて1,000人以上いる郡山市のビッグパレットと福島市のあづま総合体育館の避難所には、常駐をと再度求めると、これについては検討すると前向きな回答をいただきました。

 それにしても労働局のマンパワーが不足しているようです。国は15人~20人くらい職員派遣をするようですが、佐藤部長もいうように原発震災による他県とは違う困難さがあると、国にも強く求めていると述べました。

街頭から救援募金を訴えて

 3日、震災・原発事故被災者支援活動郡山共同センターは、郡山駅前で街頭で救援募金の活動を行ないました。

  郡山共同センターでは、避難所へ炊き出しを中心に下着などの衣類や救援物資を届けるなどの活動、原発放射線の学習会などを行なってきたところですが、この日街頭で救援募金活動を始めました。

 高橋市議、橋本市議とともに、私もマイクで募金のよびかけをしました。浜通りからの被災者だけでなく、市内でも被災者がいるので、救援募金活動はどうかと思っていましたが、1時間で約2万円ものあたたかい募金が寄せられました。

正確に学ぶ放射線、人体への影響                                                      斎藤医師の講演会

 2日、郡山市の駅ビルビッグアイ7階で開かれた、斎藤医師による「正確に学ぶ放射線、人体への影響」の学習会には、予定の80人を大幅に超える約150人の大勢の市民が参加しました。

 斎藤紀医師は、現在医療生協わたり病院の医師です。県立医大出身で、広島大学原爆放射能医学研究内科、広島大付属病院など長年にわたり原爆症の患者医療と救済活動をされ、88年総合病院福島生協病院院長、内科診療・被爆者医療に従事、09年より医療生協わたり病院に勤務されています。

 今回の東電の第一原発1号機、3号機が爆発し、県内ばかりか関東圏まで広がった放射線の影響に対する不安が大きく広がっていることから、震災・原発事故被災活動郡山共同センターがこの学習会を企画し開催したものです。

 斎藤医師は、1ミリシーベルトと今発表されている県内7方部の環境放射能の測定値のマイクロシーベルトとの違い(1ミリシーベルトの1000分の1=マイクロシーベルト)の単位の説明から始まり、人体と環境への影響をわかりやすく、言葉も慎重に丁寧に1時間以上にわたり講演。

  結論からいえば、原発の爆発が原子格納容器内からの爆発などによる放射能汚染がないことを前提としてですが、広島原爆症患者の統計などからみても、現段階の数値では中通り、郡山などの数値からみても日常活動しているには問題がなく、人体に与える影響はほとんどないに等しいものとのことです。

 ただし、排出されているヨウ素は成長ホルモンなど関係する甲状線に集まることから、特に新生児や学童10歳くらいまで、もっと広げれば20才くらいまでは体内に取り込まないように注意すること。

 でも、部活や戸外で遊ぶことは必要なので、やってもさしつかえない。洗濯物も外に干しても私は大丈夫と思っていると会場からの質問に答えていました。

人体へのリスクと日常活動を制限することのリスクからみても今のところはるかに人体への影響は少ないと分かり、みんな安心しました。

第3回県議会災害対策本部会議                                                                       畜産農家や野菜農家から聞き取り、浪江津島畜産協議会が県へ要望                                                                   

 きょうから4月1日で年度は新しくなりましたが、今年は大震災と原発災害に見舞われたため県職員や教員の人事異動もなく、県議選も大幅に延期となったことから、新年度という雰囲気がない、全く異常な状態にあります。

 3月11日の被災からきょうでちょうど3週間。ガソリンや灯油が1昨日あたりからようやく通常どおり供給されるようになって明るい気持ちになったものの、一方でいまも東京電力第一原発1~4号機の炉心と燃料プールの冷却が収まらず、避難者も多数の状況に変わりがありません。

 原発立地地域の避難指示や避難勧告、自主避難した人や中通りを中心に地震などで被災した人など県内に約8万5,000人、県外に約2万2,000人、合わせて10万7,000人が避難。福島県の人口は約202万5,000人ですから、その5%が避難者なのです。

 ただ、4月以降は学校が通常よりも遅れながらも新学期ガスタートするため、避難所から温泉地やホテルへの移動、民間アパートや公営住宅への移動が少しずつ始まります。そういう意味では、1つの転換期にさしかかっているといえます。  きょうの午後、県議会の第3回災害対策本部会議が開かれ、これら被災者の今後の対応などについて意見交換し、来週には被災地の現地視察を行なうことにしました。

      【3/14の第1回県議会災害対策会議】          【3/25第2回対策会議】

 ところで、きょう午前中は郡山地方農民連の宗像会長と共に、地元中田町の畜産農家や野菜農家など4件訪問し、実情や要望を聞きました。

 

 

 

 肉牛の肥育農家は、せりに出しても安く買い叩かれそうだ。そうなればえさ代などの経費は全くでないことになり経営は苦しくなる一方。加えて風評被害はずっと続けばこの影響も大きいこと。

 野菜農家も出荷停止という状況がいつまで続くのか、原発事故によて土壌はどうなっているのかなどの不安や見通しがみえないことが話されました。

 いずれにしても、原発事故による被害であり、その補償は風評被害も含めて東電と国へ要望していこうとなりました。

 浪江町の津島畜産協議会の要望は、原発事故で半径20期キロ以内と20~30キロ圏内の家畜に関して、餓死牛や野放し牛の扱いまで含めた行政の対応についての申し入れです。浪江町の馬場党町議が津島畜産協議会の会長として、県庁内で畜産課ヘ要望書を提出しました。

浪江町、富岡町、川内村の首長さんへも義援金を届けて

  29日は、二本松市東和支所に避難している浪江町の場場町長を訪ね義援金の目録を手渡しました。浪江の馬場町議と二本末の3人の市議団も同席しました。

 馬場町長からは、津波にあった町の被災後にとった写真をみせていただきながらお話を伺いました。ここは4回目の避難所とのこと。

 聞けば、「津波警報で役場に避難していたが、そこも危なくなり高台へ。そこからもっと内陸部の津島の小中学校へ避難させ2泊3日いたが、電話も通信も途絶え、食料のおにぎりも1家族に2個程度しかないなど、陸の孤島だった。

 そこから二本松市へ移動となったが、頼んだバスの運転手が浪江と聞いただけで引き返してしまった。浪江と原発放射能を結びつけた風評被害で、なんとか別のバスを確保してここへきた」とのこと。まさに、地震、津波、原発、風評被害の4重苦です。「津波被害後、住民の救助を翌朝からと決めたその同じ時刻に、国から原発半径20キロ圏内の避難指示が出たため、捜索ができなかった。助かる命もあったかもしれない。

 ようやく自衛隊と警察とでこれから捜索することになって、遺体安置所は津島の小中学校に決めた」と・・・。

 県議団への要望書も受けました。「問題を困難にしている大きな原因は東電の原発事故である」と厳しく述べ、一刻も早く収束してほしいと。

 東電に対しては、謝罪は町長の私にではなく町民1人1人にしてほしい。避難所14ヵ所を全部まわって謝罪をといったが返事はなかったとのこと。職員が本来の業務にも戻れるように東電へ人的支援を要請したそうです。

 

 郡山のビッグパレットには富岡町の遠藤町長と川内村の遠藤町長のほ2人の首長がいるので、ここにも義援金をお届けしました。

 富岡町長は、これまで原発立地町のまとめ役として、水原発もプルサーマルも推進の立場でしたが、「神山さんや共産党のみなさんの厳しい指摘どおりになってしまった」と。

 「もう原発にたよるまちづくりはやらない。第一も第二原発も廃炉しかない。細く長く安心できるまちづくりをゼロからスタートさせたい。若い人は戻って来ないかもしれないが、中高年以上はやっぱりふるさとで暮らしたいはず。私も戻りたい気持ちがいっぱいだ」と苦しい心情を述べてくれました。

 川内村長は、子どもたちの学校をどこに決めたたらいのかと親の思いを述べ、仮設住宅についても要望がありました。

避難所でラーメンの炊き出し                                        奈良県から駆けつけたラーメン屋さんご夫婦

  28日の夜は、避難所の炊き出しへ。この日は、朝早く奈良県からわざわざボランティアでかけつけたラーメン屋さんの申し出を受けて、今回初めて避難所でラーメンの炊き出しを行ないました。

 しかし、この日は日中から気温が低い日。寒い外でのラーメンの振る舞いは、並んでもうらにも気の毒なくらい寒いので、入り口付近の屋内で順番を待ってもらいました。

  【後列のお2人が奈良県からかけつけてくれた吉田さんご夫妻】

 私たちも寒さに震えながらも150食を何とか提供し終えた時にはすっかりお腹も空き、体が冷え切ってしまいました。でも、最後にみんなで食べたラーメンはおいしかった!

被災した大熊町へ党からの義援金を届けて                                                   体育館は寒さく、避難者からも何とかしてと

 28日は、県議の私と地元の石田町議、受け入れ先の田村市の木村議員と共に、原発立地地域から避難している大熊町を訪ね党からの義援金500万円の目録を手渡しました。

 大変喜ばれましたが、この義援金は、地震発生以降に全国各地で取り組まれた街頭募金や党内外から寄せられた募金です。県にはすでに1,000万円を高橋千鶴子衆院議員が手渡していますが、被災した自治体へのお見舞いです。

 大熊町長から要望を聞きましたが、町長はじめ町民みんな着のみ着のままここへバスで避難したので、町民からも一時帰宅の要望している。しかし、東電の原発放射能の詳しい情報は何もないため、それも判断できない。

 車をみな置いてきたので、これから町として会津へ避難所を移動するが、足が全くない状態になると。ガソリンも灯油もまだまだ不足しているとも。

   【党大熊町の石田町議(右)も着のみ着のまま近くの小学校に避難した1人です】

 避難所になった田村市総合体育館は、完成したばかりで新しい。ところが体育館の中はとても寒く、手をさすっている人や毛布をかぶって寝ている人が多く、避難してきた住民の方からも話を聞いているうちにこちらも寒くなってきました。

 田村市の木村市議と相談し、田村市と県中対策本部ヘ連絡して日中でも暖房をたくよう灯油を要求しました。 この日は気温が低く、灯油があまりないからと我慢しているようです。  【田村市総合体育館前にある原発放射能のモニタリング測定器】

志位委員長福島県の被災地へ義援金を届け、現地を視察                                                   飯舘村長と南相馬市長と懇談

27日、志位委員長と高橋ちづ子衆院議員が福島県に被災地のお見舞いと現地調査を行ない、久保田委員長、宮本しづえ副委員長、私たち県議団、地元の渡辺市議と荒木市議も同行しました。

県北の飯舘村菅野村長と南相馬市の桜井市長と懇談し、全国からの義援金をそれぞれ500万円の目録を志位委員長から手渡すとともに、国への要望等をお聞きしました。

 【南相馬市の桜井市長に党からの義援金の目録を手渡す志位委員長】

菅野村長からも桜井市長からも見舞い金へのお礼を述べつつ、震災被害対策もさることながら、まずは原発事故を早く止めてほしい。そうでなければ、自治体として今後どうするのがよいのか住民に説明できないし今後の対策も立てようもない、情報公開も東電は核物質のデータを求めて不十分と訴えられました。

 第一原発事故による放射能被害の環境や土壌への影響はどうなのか、農家の作付けもできない状態だと。議長さんからは、風評被害について話がありました。農業だけでなく、金型工業の新製品でさえ福島県と聞いただけで他県から断わられた事例がでているというのです。

 そのあと、津波被害で多数のお年寄りが死亡または行方不明になった老健施設のヨッシーランドがある、南相馬市の渋佐地区の津波被災地を視察。

    【津波にさらわれた老健・介護施設ヨッシーランドと付近一帯】

すさまじい被害の現状をみて私も言葉を失いました。津波被害の現場を見たのは初めてで、波の勢いのものすごさを肌身で感じました。

福島市内のあづま運動公園の避難所も訪ね、被災者から直接要望を伺いました。

震災と原発被災者救援で県と市へ要望                                     第2弾とん汁炊き出し

   【県中振興局にある県中災害対策小松本部長へ県への要望書を提出】

 23日は、昨日までの市内の各避難所での聞き取り調査をもとに、県と市へ要望書を提出しました。橋本憲幸党市議団長と岩崎真理子市議と3人でまず、県中災害対策本部の小松本部長へ県への要望書を渡しました。また、市災害対策本部で市への要望書を提出。

 県に対しては、10項目を要望。職員だけでは人手不足であり、ボランティアを配置して避難者に対するきめ細やかな対応をするよう求めました。さらに、避難所であたたかい飲み物や食べ物が摂れるように、電気ポットや電子レンジの配置、食事内容は栄養バランスのよいものにと要望。

 また、布団一式配布など寒さ対策、介護、医療・福祉関係者のガソリンを緊急車両扱いにすること、子どもの就学相談窓口の設置、公共工事等の施行業者に対する代金支払いについては、震災被害を考慮し、出来高払いややり直し工事に対する補償などを求めました。民間住宅を含めた復旧の建設資材の確保、そして、長期化が予想される被災者へ市内に県の仮設住宅を建設することを申し入れました。

 【写真は、市の総務部長へ申し入れる橋本のりゆき市議と岩崎まりこ市議】

 このあと3人で市の災害対策本部へ行き市へ要望書を提出。市への要望は県とほぼ同様ですが、高齢者、乳幼児などに配慮した避難所運営を求めました。

 【ビッグパレットの通路には、避難者の掲示板が設置されていました。中には、行方をさがしている方も】

 避難所が設置されてすでに10日以上になりましたが、県も市もボランティアの活用はほとんどない状態です。しかし、ビッグパレットでは、高齢者が多いことから、オムツ替えや体の清拭など手が足りない、介護ボランティアが必要との訴えが医療関係者からも出ています。

 避難者からの要望を1人ずつ聞いて回っていた介護関係の青年は、入浴サービスのアナウンスがされているにもかかわらず、お年寄りは聞こえないらしく、2週間もお風呂に入っていない人もいたと教えてくれました。介護専門校の学生たちにに呼びかければ、きっと協力してくれると思うとも。

 避難されている方は、今の不安な思い、これからのことなど、話を聞いてもらうだけでもという方もいますし、救援物資もその場所まで取りに行けない人もいます。ボランティアは必要とされているのに、避難者の思いと行政がかみ合っていないと感じました。行政は要望が来るのを待っているのではなく、こちらから出かけ、個別に回り直接聞く姿勢が求められているのではないでしょうか。

 また、きょうは第2弾の炊き出しを行いました。きょうは2か所に分かれ、市の子ども館と県テクノアカデミー校の夕食時にあたたかいとん汁を提供。

少し早目に行ってあたためるとおいしいにおいがたちこめ、職員のみなさんがお知らせしていただいたおかげで、楽しみに待っていてくれました。「おいしいです」といいながら、たくさんの方がおかわりをしてくれました。

                                   【髙橋市議は湯気でメガネが曇ってみえないようです】