3日とろろ、子どもたちや孫も帰って

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今朝の朝食は、「3日とろろ」にちなんで、昨年頂いていたりっぱな自然薯をすり下ろしました。

このすり鉢は、何年か前に亡き母と叔母を連れて立ち寄った大堀相馬焼きで買い求めたもの。でもそこは、原発事故で今も戻れない地域になってしまい、再開した人もそれぞれ別の場所で・・・。

さて、わが家は、息子夫婦は昨日帰り、今朝は二女と孫が帰るので、孫との最後の食事でした。いつもは、しっかりご飯を食べるのに半分ぐらいで「ごちそうさま」と。

暮れの30日からなので、少々くたびれたようです。お昼前の新幹線て帰りました。帰ったあとには、小さな雪だるまが・・・。楽しみにしていた雪だるま作りは雪が降らず、こんな小さなものを娘と一緒に作ったようです。10888829_391761604332515_1362995703941707367_n[2]

父の新盆

DSCN0944今年のお盆は、昨年11/3に89歳で亡くなった私の父の新盆でした。親戚はじめ多くの方にお焼香していただきました。

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料理を手伝ってくれた私の姉妹

この新盆に合わせて、北側にあった台所と父がいた居間、南側の客間の3部屋をリフォームしました。 議会や会合などの公務の合間をぬって、4月以降はずっと家中の片付けと廃棄物の処理ばかりの数ヶ月間でした。

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私と夫を娘が撮ってくれました

8/16は母の命日なので、それを待ってきょう17日に夫と共にようやく盆棚などの後片付けをやり終えました。夫もお疲れ様でした。

しかし、 明日からは県議会の原発問題の全員協議会があるので、頭の切り替えをしなければ・・・。18日は国の省庁を、20日は東電を招致して質疑応答を行います。長谷部、宮川県議が国へ、宮本県議が東電に質問します。

さらに、19日は9月県議会に向けての政調会です。 福島県知事選が10/26投票で行われるため、9月県議会は例年より早く始まり、9/12に開会予定です。今年度後半戦に向けて、明日から新たな気持ちで臨む決意です。

 

夫が退職~長年お疲れ様でした!

IMG00025 夫が、3月末で定年退職しました。実は、大震災・原発事故があった3年前の3月に60歳になりましたが、そのまま同じ職場に勤めていました。この会社に入って23年間でした。全部で40年以上、3人の子どもたちを育てるために働きあげた夫に感謝しています。

私からささやかな花束をプレゼント。会社の職場のみなさんからも大きな花束とランの植木鉢もプレゼントされ、我が家はしばらくよい香りでいっぱいでした。定年後の夫は、我が家の米づくりと野菜づくりに専念します。392

89歳で父逝く

11/3憲法記念日の夜、父がお風呂の洗い場で倒れて心肺停止状態で救急車で運ばれ、搬送先の病院で亡くなりました。89歳でした。

 私は、11・2原発ゼロ集会と翌日の全国原発学習交流会と会議を終えて帰宅。自宅近くに救急車が止まっていて、車が出る直前に間に合いました。父が待っていてくれたのかもしれません。

今年の夏までは、家の周りの草を草刈機で刈っていましたが、もう腰が痛くてできないとお盆以降はベッドで寝ていること多く、足腰も弱くなり、食事もほとんど受け付けなくなくなっていて、お風呂だけはなんとか自力で入っていました。

最後の1週間は、家族も心配でときどき入浴中は見に行っていた矢先でした。でも、外傷もなくそのまま息を引きとったようです。

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 父は、20才そこそこで徴兵され、朝鮮半島からシベリアへ抑留され、戦後3年たってから帰国。帰国後、母と結婚。私たち4人姉妹は、小さい頃から父の戦争体験を聞いて育ちました。

 農業一筋に生きた父は、米づくりをはじめ養蚕、葉タバコなど1年中忙しい傍ら、若いうちから祖父の代わりに町内や地域の活動にかかわってきました。

 私の小学校時代にはPTA役員にもなり、PTA会長さんらとともに当時市内でもいち早く学校給食の実施やプールの設置などを市にかけあい、実現したようです。

母が3年前に亡くなってからは、父も寂しい思いをしていたようですが、私が議会活動などで忙しいと思ってか、自分でできることは自分でやっていました。最後までボケもせず、私たちに大した苦労もかけずに亡くなりました。

たくさんの人に支えられて、苦労もありましたが、幸せな人生だったと思います。これまでのご厚情にお礼と感謝を申し上げます。ありがとうございました。

IMG_3941「戦争のない平和な日本を」、これが父の遺した思いです。私もこの思いを胸に、子どもたちや孫の未来のためにも頑張っていこうと思います。

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盆おどり、孫や子どもたちが帰省

13~16日までお盆の行事があり、孫や子どもたちが帰省して久しぶりに家族でゆっくりしました。もちろん、食事の支度はみんなで楽しみながらです.

下枝町内の盆おどりへの招待終戦記念日の街宣やもありましたが、わが家の子どもたちが全員揃うのは年に1回程度です。

 

IMG_0006IMG_0013        【下枝町内のやぐらと、おしゃれな浴衣姿の三姉妹は小学生と中学生】

中田町下枝の盆踊り大会。やぐらは、県の地域づくりサポート事業の補助で子どもたちが舞台で太鼓などを演奏できるよう2段にしたそうです。就園前の小さい子どもたちから小学生、中学生が楽しそうに太鼓を演奏。私は、その周りでみなさんと三春甚句を踊りました。

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 孫は、1歳9ヶ月になりました。微熱が出たりして少しご機嫌が悪かったのですが、パパに靴をはかせてもらい、帽子をかぶせてもらってさあ出発!我が家の周りを自分のリュックをしょってお散歩です。

15日は、長男夫婦たちと、田村市滝根町にあるあぶくま洞へ。涼しさを求めて行ったら親子連れなどで入口前から大渋滞。外は30℃以上もある猛暑ですが、鍾乳洞の中は15℃なので涼しいというより寒いくらい。探検コースを回るなどして久々に遊びました。足下は整備されていて、運動靴程度でも十分です。でも、鍾乳石は人いきれで黒ずむので、従業員はそれを磨くなどメンテナンスをしていると、あとで地元出身の方から聞きました。

16日は、郡山市立美術館へ。滝平二郎氏の切り絵の企画展を鑑賞しました。絵本「花さきやま」などでおなじみの作家で、どこかなつかしく、子どもたちが小さい頃を思い出しました。

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久しぶりに家族そろっての夕食~選挙勝利の宴を

きょうは、久しぶりに朝定時定点の街宣を行ない、参院選挙の結果を報告し今後の決意をのべました。出勤途中の車の中からも手を振ってくれました。

さて、夕方は、私も少し早く夕飯の支度にとりかかれたので、畑から夫が丹精こめて作ったナスやきゅうりを採ってきて野菜中心の天ぷらをあげました。夫に選挙中家事の協力をたくさんしてもらったので、きょうは夫の好きな玉ねぎのかき揚げにしました。

ねきのかき玉味噌汁、冷奴、ブロッコリーとハムのサラダをつくり、納豆・ナス・かき揚の天ぷらをあげている時に娘がいつより早く帰宅。娘がそのようすを写真にとってくれたので、ふだんの私をご覧下さい。

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 久々にみんな揃ったので、選挙勝利のお祝いと称してわが家でささやかな宴としました。父も一緒に、みんなでエビスビールで乾杯!都議選に続き、国政選挙でも目標を達成しての勝利は本当にうれしい。でも、本当のたたかいはこれからですね。

さて、あすから2泊3日で県議会商労文教常任委員会で高知県へ視察で出かけます。福島空港から大阪伊丹空港経由で高知空港まで行きます。久しぶりの飛行機での旅になります。

5月の連休後半は、夫の母の米寿のお祝いで帰省

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4~6日は、夫の母が米寿を迎え、みんなでお祝いしました。夫の兄弟とその子どもたち、孫、ひ孫などが久々に一同に会しました。夫の父はすでに10年以上前に他界しています。

病気もあり、入退院や施設に入所したりしていますが、それでもこの日は元気そうにふるまっていました。私の孫から花を受け取るおばあちゃん。

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父と中田町の桜名所見物/紅しだれ桜は、これから見頃、三春滝桜は渋滞で断念

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13日は、暖かい日で桜も見ごろと、父を連れて中田町の桜めぐりをしました。目当ては三春滝桜でしたが、近くまで行くと大変な渋滞。そこをあきらめ、滝桜の子孫がたくさんある中田町の桜めぐりをしました。

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中でも、滝桜よりも紅が濃いと観光名所にもなっている木目沢の紅しだれ桜は、まだ3分咲きぐらいでしたが、このままあたたかい日が続けば一気に咲くでしょう。三春滝桜は15日頃が満開とか。

IMG_0007久しぶりに父と2人で桜めぐり。甘酒を飲んで一休みし、三春の里でおそばを食べてきました。

亡くなった母の実家では、昨年から従兄夫婦が花見茶屋を始めました。この日は1日中、桜三昧でした。

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巳年の今年、年男の息子/一歳をすぎた孫が歩き始め

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青森にいる息子夫婦が31日にきてくれましたが、看護師の嫁さんが仕事があるので元旦のお昼前に帰途へ。31日は一緒に紅白歌合戦を見て、元旦の朝は夫と長男は家の回りの神様にお札を置いて回りました。実は、息子は今年こそやりたいと帰ってきたそうです。あとで嫁さんが教えてくれました。

写真は、嫁さんのお母さんの手づくりの干支。かわいい蛇さんです。ちょうど息子は年男で36歳。記念の置物になりそうです。

年末には、末娘が孫を連れて会いにきてくれました。1昨年の私の県議選のさ中に生まれた初孫は、11月に1歳の誕生を迎え、ようやくヨチヨチと歩き始めたばかりです。

IMG_0005         【電話の向きがひっくりかえっていますよ、結花ちゃん!】

IMG_0007           【ケータイをもって、ごきげんにたっち】

数ヶ月ぶりの再会のせいか、私や夫などをじっと見て誰なのか考えている風・・・。歩き始めて顔つきも少し大人になったようです。本物のケータイが好きで、私のケータイをみつけて電話かけのマネも。

2泊していきましたが、ご飯も食べるようになって私も子育て時代を思い出しながら食事づくりの手伝いをしたり、結構バアバぶりを発揮してみました。

さて、元旦の午後はじっくり新聞を眺めてなどと考えていたら、親戚のおばさんの危篤の知らせを受けて、息子たちの見送りもそこそこに、おじやおばたちを乗せて病院にかけつけると30分もしないうちに息を引き取りました。

図らずも臨終に立ち会ったわけですが、入院先の星総合病院はこの日新築オープンしたばかり。入院患者は、全員がこの日新しい病院へ移送されました。年末から具合が思わしくなかったおばは、新しい病院で、しかも新年を迎えられたことは幸いだったのかもしれません。

98歳で亡くなったおばは、先の戦争によって大きく変えられた人生でした。若い頃は大変な苦労があったようです。そのせいでしょうか、私が県議選に最初に立候補したときからずっと応援してくれていました。

年末と年始にかけて、嬉しいことや悲しいことが一辺にありましたが、これも人生、これも家族だからこそ。

みなさまにとって、今年がよい1年でありますように・・・・。