中国帰国者「來往会」と市議団交えざっくばらん懇談
郡山市内には、中国帰国者が約140世帯が在住しているとされ、旧厚生省の支援事業として郡山市を通じて帰国者たちへの活動に補助金を出してきたのですが、それも途中から打ち切られました。そこで、96年ボランティアの人たちと有志で「來往会」を発足。
きょうは、その來往会の安部徳雄会長さん、加藤さんらと共産党市議団との初めての懇談会をもちました。沢井さんに通訳をいただきました。帰国者にとって「言葉の壁」は、日常生活のあらゆる場面で感じるものだとあらためて知った思いです。
安部会長さんからは「みんな高齢です。せめて老後を安心して暮せるようにしてほしい」と訴えられましたが全く同感です。今後も交流を深めていくことを誓い合いました。
今年は戦後61年。日本が1932年に中国を侵略して満州国をつくり、日本から終戦までに満蒙開拓団として送った数は32万人に上るそうです。特に長野県や東北地方からたくさん渡っています。「貧しい農村県」が共通でしょうか。
しかし、終戦を迎えても、中国で残留孤児となったり残留婦人として生き延びた人たちは置き去りにされてきました。ようやく、旧厚生省が、帰国費用等を出すようになりましたが、それも帰国一世だけ。2世~3世には全くなく、今の帰国者への自立支援事業さえ、打ち切られかねません。
なお、私が來往会と関わったいきさつや、昨年12月県議会で質問した「帰国者への通訳派遣事業」が、今年1月から実現したことなど、会の冊子にまとめていただきました。こちらも別途掲載しますのでご覧下さい。