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「赦しの花 あさがおの花」の種を取り寄せ                          みごとな花を咲かせた坪井さん

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 暑かった今年の夏、郡山市内で、戦後中国から日本人兵士が持ち帰ったというあさがおの種を取り寄せ、みごとなあさがおの花を咲かせていることが話題をよびました。

 このあさがおの花を種から育てたのは、市内に住む坪井さんです。坪井さんは、昨年まで30年以上にわたり小学校の用務員をされ今年退職。今は市内の公民館で嘱託として働いています。

 坪井さんは、2年前の12月、明治大学で開かれた「南京虐殺事件」について国際シンポに参加した際、「赦しの花 あさがおの花」-撫順の奇蹟ーの絵本と出会いました。

 この絵本は、第二次大戦後、中国東北部にある撫順戦犯管理所に収容された約1,000人の日本兵士のエピソードを描いたものです。

 日本人兵士のほとんどは、「起訴免除」で釈放されて帰国が赦(ゆる)されました。そして、帰国の際に渡されたのが小さな紙包みに入ったこのあさがおの種だったのです。管理所の職員の人たちが「今度、中国に来るときは、銃ではなく花を持って訪ねて来て下さい」と言ったそうです。

 日本に帰国した元兵士たちは、種をまいて花を咲かせ、その後再び中国撫順の戦犯管理所を訪れて種を届け植えました。その管理所の庭は、今もこのあさがおの花でいっぱいになっているといいます。

 このエピソードを描いた絵本を読んだ坪井さんは、九州から種を取り寄せ、昨年、勤務していた小学校の庭で200本の朝顔の咲かせて、コンサートや合唱、絵本などを展示し「命の朝顔まつり」を開きました。

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           【ルコウソウ】

 今年は、勤め先の富田公民館があるフェンスのまわりいっぱいに、数10種300本の見事なあさがおを咲かせ、「朝顔まつり」のイベントを開催し、「赦(ゆる)しの花」の中国と日本語の朗読会、朝顔に関する絵本や写真、うちわ、のれんなどの朝顔グッズを展示しました。

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        【ヘブンリーブル~葉っぱがハート型です】

 公民館周囲をさわやかに彩る赦しの花(満州アサガオ)とヘブンリーブルー(どちらも葉がハート型)、フライングソーサー、パーリーゲート、ルコウソウ、いのちの朝顔などのめずらしい朝顔を見に、連日多くの市民が公民館を訪ねてくるそうです。この日も夫婦でこられた方が写真に納めていました。

 なお、坪井さんは今週19日、東京の仲間と共にこのエピソードのある中国撫順に出発する予定です。

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コメント

赦しの花には感慨ひとしおです。
わたしども郷土部隊は中国の最前線で戦いました。徴発という名の天皇の命令で略奪を行いました。そのため、国土は荒され1千万人の餓死者を出しました。にもかかわらず中国側は一円の賠償も取らず戦後は「怨みに報いるに徳をもってす」の温情で俘虜生活を送らせてくれました。中国の前線では百5万のうちわたしどもを含む30万の兵には食糧は現地調達(徴発)を命じられていました。また一人の戦犯死刑も出していません。身内の者は百5万将兵の罪を一身に受け、死一等を減じられ禁固20年服役して帰国しました。郡山駅頭で出迎えてくれたのは赤旗を持った共産党の方々だけで、自宅まで見届けてくれました。瀋陽の軍事裁判では約10名中最高刑で撫順収容所では厚遇され、帰国時は中国国内観光までさせてくれました。謝々のきわみです。

 いつもコメントをお寄せいただきありがとうございます。
 
 山男さんも満州に収容されていたのですか。実は、私の父も満州からシベリアへ抑留され、戦後3年すぎて帰国しました。郡山に帰った時は、山男さんと同様の扱いだったと聞いています。

 それにしても中国側の日本兵に対する温かい扱いには敬服するばかりですね。しかし、今でも中国に関する報道をみると、どうも日本の保守総を反映してか、イメージを悪くする報道が多かったと感じています。 もちろん、中国の影の部分としてはそうかもしれませんが、それが全てを伝えているとは限りません。

 鳩山政権が、東アジア外交に目を向けていくことは、私たちも提唱してきたことであり歓迎しますが、それが本物かどうかは、これから試されていくでしょう。
 日本政府として、東アジア地域の平和維持と経済活動の面で積極的な役割を果たす時代になったことに、私も大いに期待を寄せているところです。

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