« 中国帰国者や外国人出身者への支援について | メイン | 県の教育行政について報告 »

中国での悲惨な体験と帰国者の生活実態を知って

【來往会への寄稿】

2006年3月 
県議会議員 神山悦子

 昨年は、日本が引き起こした侵略戦争が終わってちょうど60年の節目の年でもありました。1932(S7)年に中国を侵略した日本は、中国東北部に満州国を勝手につくりあげ、1936年には20カ年で100万戸の大移民計画を決定。日本から国策として「満蒙開拓団」を送りこみ、その数は1945年までに32万人余にもなったといいます。

 ところが、1945年8月、ソ連軍が侵攻してくると、日本の軍人とその家族は真っ先に逃げ出し帰国。一方、開拓民は置き去りにされ、終戦直後に集団自決、栄養失調、伝染病などによって約24万5千人が命を落としたと記録(『引き上げと援護30年の歩み』)されています。

 「來往会」のみなさんも、そのときに親を失い、または離別などして中国人に引きとられ「残留孤児」、あるいは「残留婦人」となりましたが、まさに国策の犠牲者といえます。政府がようやく肉親捜しを始めたのは、日中国交回復から9年もたった1981年3月からで、さらに永住帰国が本格化するのは1986年からでした。

 1997年10月、私は加藤トシさんから初めて中国帰国者の生の体験をお聴きしました。トシさんが19才の時、郡山から一家で満州へ渡ったこと。苦労続きで、戦後は生きるために中国人と結婚しましたが、苦労は変わらず。その夫や家族と1981年にようやく帰国しましたが、夫は中国へ戻ってしまい、結婚した子どもは中国に残したままに。それでも加藤さんは「私よりもっとつらい体験をした人がいっぱいいる」といわれました。

 ところで、來往会は、96年7月に10人の有志の方で始められたそうですが、2004年12月、私が街頭で教育署名の活動中、來往会事務局の川崎香さんから初めて声をかけられたのがきっかけで、定例会にも参加させていただくようになりました。それぞれの方から郡山に帰国されて以降のくらしの実情などをおうかがいするうちに、日本語が話せないために様々な困難に直面していること、特に帰国一世のみなさんは、高齢でもあり病気になった時に言葉が通じないためにどうしてよいかわからなかったこと。帰国二世、三世のみなさんも、言葉だけでなく仕事や人とのつきあいの悩みがあることもだんだんわかってきました。

 昨年、川崎さんから、長野県が2005年度から中国帰国者への医療通訳者派遣事業を始めたように、福島県でもぜひ実施をとのお話がありました。自立支援通訳派遣事業は1989年から実施されていますが、2003年度にそれまでの帰国3年以内を4年目の人に対象に広げ、2005年度からは帰国者及び配偶者で真に必要な5年目以降の人も対象に加えました。
 いずれも「県が派遣を必要と認めるとき」となっているので、県が実施しないことにはすすまない事業でした。

 さっそく私は、昨年(05年)12月県議会で中国帰国者への支援について質問し、帰国者の実態を把握することや、通訳者派遣事業を行なうよう求めました。県は、1月から実施すると答弁。そして、今年1月から1人が派遣され、新年度からは13人(郡山市と福島市は3人、須賀川市と三春町は2人、会津若松市といわき市と相馬市は1人)が医療・介護の通訳者として配置されました。新年度予算に自立支援通訳手当として23万4000円が計上され、全額国庫委託金でまかなわれます。

 初めての県事業実施となるため、事前に帰国者自らが、県の担当者に直接話を聴きたいとの意向が実現し、3月25日郡山市内まで担当者が出向いてくれたことは画期的なことです。長年にわたり、ボランティアの方とともに来往会の活動を継続してこられたからだと思います。

 また、政府や県が対象を広げた背景には、中国帰国者が政府に対し「国家賠償」を求める裁判を起こし立ち上がっていたこともあったのではないでしょうか。社会的な関心を呼んだこの裁判は、7月6日大阪地裁で初の判決が言い渡されましたが、精神的な苦痛を受けた被害の事実を不十分ながら認めたものの、国の責任を問わない不当な判決結果でした。しかし、戦後60年という節目にこの裁判をおこした意義は大きかったと思います。

 先日の県との懇談会の席上でも、切々たる訴えがありましたが、「私たちも同じ日本人なのです」との言葉は、ズシリと胸に響きました。当たり前のことにハッと気づかされた思いです。私もこの言葉を忘れず、できることから支援していこうと思いました。

 政府としては、戦後補償をきちんと行ない、今後も戦争を起こさず平和で世界に貢献していくべきです。ところがいま、国会では憲法9条と教育基本法を改悪しようと危険なたくらみをすすめていますが、絶対に許してはなりません。来往会のみなさんのような悲劇を二度と繰り返さないためにも。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kamiyama.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/117

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)