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人権弁護士"布施辰治”ゆかりの地を訪ねて

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【布施辰治顕彰碑~表に辰治の言葉「生きべくんば民衆と共に 死すべくんば民衆の為に」が刻まれて】

 9日は、私も会員になっている国民救援会(冤罪事件や不当弾圧事件を支援する)郡山支部の企画で、人権弁護士布施辰治が生まれた宮城県石巻市蛇田へ行ってきました。

 大正・昭和期に社会活動家として、また常に弱者の側に立って農民・労働者、朝鮮人などのために奔走された布施辰治弁護士のゆかりの地を訪ねる旅です。

 宮城県の庄司弁護士に案内をいただき、公園内にある顕彰碑の前で説明を受けました。この碑は、地元の井内石を使った大きなもので、辰治の言葉「生きべくんば・・・」が刻まれ、裏側には彼の生きた時代と人物像が記されています。

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【生家近くにある記念碑の前で。ご案内いただいた庄司弁護士と共に】

 布施辰治は、1880(M13)年の生まれ。弁護士となってからも戦前治安維持法違反などで2回も資格を剥奪され受刑。戦後は、三鷹事件や福島県の松川事件の弁護人を努めています。

 1948年(S23)からは、日本救援会(当時は日本労農救援会)の中央委員長(現会長)に選出され、1953(S28)年73才で亡くなるまで在任されました。

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【市文化センター内にある布施辰治の資料コーナー】

 ところで、ご案内いただいた国民救援会宮城県本部会長もされている庄司弁護士も、布施辰治に引けをとらない人権弁護士として活躍中です。しかも、多忙な毎日の中で詩作活動もされており、ペンネームは“みちのく赤鬼人”(石器時代にかけて)といいます。

 あとで、岩手の鬼剣舞(おにけんばい)を舞うと聞いて納得。しかも、わらび座まで行って習得されたとか・・・。庄司弁護士もすごい方です。
 

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