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「いのち育む~里山は萌え」                                   三穂田町の産廃処分場を阻止した住民のたたかいの記録

 郡山市三穂田町に建設しようとした産廃処分場をめぐる住民のたたかいの要になって事務局長を務めた吉川一男さんが、笑いと涙と感動の記録を物語風にまとめた本が、今年10/25に八朔社から出版されました。

 産廃処分場の建設を阻止させたケースは、全国でもマレだそうで、全国ゴミ弁連副会長の広田次男弁護士が推薦文を寄せていますが、全国の住民運動を大きく励ます内容です。ぜひ、書店などでお求め頂きたいと思います。

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 郡山市三穂田町は、安積平野の西南部にあります。安積平野は、米どころ郡山市(全国の市でトップ)の中心をなす広大な水田地帯で、その水源地にあたる西山の山林に、突然ゴミ最処分場を建設する計画を吉川さんが知ったのは、2004年2月でした。

 郡山の奥座敷とよばれるこの山里は、この会が調査した結果、猛禽類のノスリや絶滅が危惧されるモリアオガエルが生息する自然の宝庫であることがわかりました。これが地元のマスコミを通じて報道されると、市民や県民の関心が高まりました。05年の春、私が現地を案内してもらっている最中に頭上高いところでピィーと鳥の鳴き声。それがノスリでした。

 しかし、運動が始まるといわゆる「アカ攻撃」があり、吉川さんらは一旦運動の役員からはずされます。その後、紆余曲折を経て、「里山の環境を守ろう」の一点で住民が団結していく様は、まるでドラマをみているようですが、すべて実際に繰り広げられた出来事です。
 
 処分場予定地のすぐ脇には20戸ほどの分譲住宅があり、その住民が飲み水に使っている井戸まで30メートルという近さ。そこが汚染されることになるとわかり、建設指し止めの裁判に打ってでたのが2006年6月。

 大変な決意とたたかいを広げ、半年後の2006年12月19日、ついに、第2回公判で当該業者が永久にこの場所に産廃処分場を建設しないとの「全面勝利」和解判決を勝ち取りました。私も裁判所にかけつけ、会のみなさんと一緒涙を流したこと、生涯忘れません。
 

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