野党5党共同提案の「シベリア特措法案」に期待の声
【1991(H3)年福島大会の会報。その後何人は故人になりました】
私の父は、1946(S 21)年4月~1948(S 23)年8月まで戦後3年間シベリア抑留され、同年10月に帰国しました。このことは、いくつか収容所を変わったあと、最後の304収容所の名を取った会報「304会誌」の巻末名簿に記載されています。
先日、この304会の福島市に住む父の戦友仲間から、新聞で野党が共同でシベリア特措法案が提出されたようだが、私にも頑張ってほしいと伝えてほしい旨の手紙が届き、父からみせてもらいました。
調べてみたら、朝日など全国紙も報道していましたが、3/25付けの赤旗に詳しく掲載されていました。
野党5党が、24日参院で共同提出したもので、▽シベリアなどへの抑留者が戦後強制労働させれた対価として抑留期間に応じ特別給付金を支払う。
▽強制抑留の実態の解明、抑留者の情報収集のための調査を行なう。▽強制抑留者の関する資料の保存や平和記念事業を行なう~などが主な内容です。
共同提案には、共産党から小池晃参院議員、山下芳生参院議員の2人が参加。小池議員は記者会見で「生存者の平均年齢は87歳であり、一刻も早くこの問題にけじめをつけるべきだ。与党も含めて法案を成立させたい」と述べています。
この日、全抑留協も声明を出し、「元抑留者への特別給付金にとどまらず、関連資料や遺骨収集などを国の責任としたことに着目し「画期的内容」と評価しているとのこと。
私の父も今年85歳になります。元気で農作業もしていますが、たしか銀杯1つと労働証明書と、1回限りのわずかな一時金を頂いただけでした。戦後補償問題は、この分野でも早期の解決が必要です。