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企画環境委員会~県内視察(浜通り)

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             【設計者は俳優山本学の父~「天山文庫」】

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 3~5日、企画環境委員会の2回目の県内視察で、浜通り方面に行ってきました。3日は阿武隈山系にある川内村へ。かえるの詩人草野心平の天山文庫をみたあと、役場で「かえるの学校」を主催している地元の議員さんからの説明を受けたり、役場の課長さん遠藤村長さんからは、過疎の村のとりくみをお聞きしました。

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           【川内村の遠藤雄幸村長さんと。合鴨農法農家の田んぼを見学】

 4日は、原発関連施設を主に調査。JヴィッレジとJFAアカデミー福島の男子寮・女子寮(いずれも全国公募の中学生や高校生)、建設中のスポーツ医療センター、原子力防災センター、福島第一原発で東電と意見交換と5号機の見学。

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      【東電が県に寄付したサッカートレセン・Jヴィレッジ~高い煙突は広野火発】

 5日は、飯舘村の役場で「までいライフのとりくみ」を調査。菅野村長さんからは、「村民にはスローライフがなかなか浸透しなかったが、地元の言葉で“までい(ていねいにという意味)”に置き換えたらすぐに広がっていった」とのこと。なるほどです。

 

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コメント

川内村というと豊かなイメージがあります。むかし(昭和9年まで)は無税村でしたね。タックスヘーブンだから、1月1日だけ住民になろうか、なんて考えたほどです。村有林の収入で豊かだったそうです。「かなめ田温泉」へ保養に行ったら、川内ならもっと安い、と言っていた人がいました。飯舘とともに合併しない村だから豊かなのかなあ、と思っていますが、どうなのでしょうか。

 川内村についてお知らせ頂きありがとうございます。
 かつて林業などが盛んだった頃は豊かな村だったのでしょうね。
 
 でも、林業も農業も長い間自民党政治の第1次産業切りすて政策の下で、過疎自治体は大変です。それは、合併しても根本問題は解決しないと思います。

 むしろ自立を目指し頑張っている町村にこそ、国や県が支援すべきではないでしょうか。

 実は、こうした自然環境豊かな村こそ、下流域市町村にとっては、大切な水源地であり、豊かな漁場をつくる大きな役割を担っていることをお互い認識していくことが大切と思います。

 その点からいえば、今、川内村に計画されようとしている風力発電建設は、人家が迫っていることから低周波被害の心配や、26基の設置するために山が切り開かれ、環境破壊による水源機能の大きな低下が心配です。

濱視察ご苦労様です。濱をマクロにみてはどうでしょう。

まず、わが国最大の長期政権は相馬藩の7百年でしょう。そのヒミツは治にいて乱を忘れず、二宮・報徳思想でしょうか。川内村は南紀白浜村と並ぶ国内ただ2つの無税村。川内の場合は村有林を勝ち取ったチエと汗。明治のはじめ、持ち主不詳の土地はみな国のものにされました。賊軍の会津はその最たるもの。右手に高い地租をかざし、左手に太政官布告第120号(明治7・4・10)「地所名称区別」で土地を取り上げられた。神のような治世の相馬藩はまれです。だから領民は鼓腹撃壌、百を誇る民謡の宝庫が生まれたそうです。

「モデルをしっかりつかむこと」
それが大切ではないでしょうか。どんな環境にあっても。

自治体なら、川内村、相馬藩それに新地町も。火発を創り地方交付税をゼロにした。

木村守江や佐藤栄佐久は知事の反面教師かな。

太田緑子さんが県教育委員長のころ、酒席で「ではどうすればよいの?」と尋ねたら「目標がないからです」とおっしゃられた。(あ、モデルですね。)

わたしたち戦争世代のモデルは幕末の志士たちでした。

あの、純真、神のような気持ちにもう一度帰りたい、なんて、頭をかすめます、戦はゴメンですけど。

みんゆうのマンガにドン・キホーテ麻生総理と出てましたが、反面教師なのでしょう。

濱の北辺に目黒重真(明治中期に県議会議長を長く歴任)がいました。地域のモデルです。今は草刈場ですが、いずれ息を吹き返すかとたのしみです。

濱視察の成果を期待しています。

例の太政官布告でトクした人もいます。

ため池も国有地になったので、それを安い使用料で鯉の養殖を手がける方々です。 よかったですね。

ソンの親玉は森林を共有していた人々です。森林は民有の入相が普通で、高い土地の税金(地租)を支払うより「タダで使えるゾ」の甘言につられ証文もなく手放す羽目に。

一時、国有林野解放運動が盛んだったがすでに下火。

「貧乏叔母より秋山ござれ」は今は昔、林区の目が光る。

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