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企画環境委員会の会津視察                              奥会津只見町布沢のブナ林へ

 21日~23日、企画環境委員会の3回目の県内調査で会津方面へ行ってきました。今回は、奥会津町村での県の地域づくり総合支援事業(サポート事業)補助金を活用した、過疎地域の取り組みや自然保護の活動、電源開発地域でもあるので東電猪苗代第二水力発電所(河東町)も視察しました。
  
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 【県の補助金で屋形船を活用した只見渓谷ライン下り観光事業~同じ郡山選出の長尾県議と】

 三島町の早戸温泉つるの湯企業組合では昼食を取りながら只見川渓谷の舟下りも体験。昭和村では都会の大学生や外国人による農業ボランティアの受け入れ事業を調査。会津若松市の青木山の自然を守る会の取り組みを聞いたり、只見町布沢(ふざわ)地区の「恵みの森(ブナ林)」では実際にブナの森に登山スタイルで入りました。

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 【只見町布沢地区の「恵みの森ブナ林」入り口~手前右端は森林の分校ふざわ・ガイドの刈屋さん】

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      【ブナ林ばかりでなく、川の中をじゃぶじゃぶ歩いたり川を渡ったり】

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【ブナの木が朽ちて倒れ森の中にぽっかりとあいた自然の広場~ブナの再生が始まった!】

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         【保水力があって、緑豊かなブナ林の森】

 自然との共生の仕方については、地元の方々からたくさん教示されました。特に、57戸しかない布沢地区では、今後の布沢をどうしていくかで話し合いをもった中では、若者の定住を図るためには企業誘致も必要との声もあったそうです。

 しかし、元々の産業である農業・林業で食べていけるような取り組みをやっていこう、ブナ林や山菜・きのこなどの豊かな自然の恵みを生かした都市との交流も図っていこうと地区役員で提案。

 さらに、これらを布沢地区だけの取り組みにせず、奥会津は1つという立場で周辺の昭和・三島などにも働きかけて地域間の交流も始めているそうですが、この考え方にも感心しました。

 もう1つは、会津若松市にある青木山のような〝里山の自然を守る”ことの大切さです。青木山の雌沼には、国指指定の自然保護地の八幡平や川内村の平伏沼と比べても、ケタ違いの3,000個のモリアオガエルの卵槐を数えたそうです。

 子どもたちと一緒に〝自然観察〝にでかけるなど、「知ること」が豊かな自然を守ることにつながること、「明日のエコでは間に合わない」の2点が強調されて、なるほどと思いました。

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 東電の猪苗代第二水力発電所では、説明を受けたあと、明治・大正時代からの施設内の展示物を見学したり、タービン建屋内などを見学。水力発電所の設備利用率を質問し、昨年度は猪苗代発電所全体で27%だったことがわかりました。

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コメント

「人材育てる会津をお手本に」

会津視察ご苦労様です。会津からは3人の知事が出ている。県北、県中、いわきが各一名、相双、県南はゼロだが、それは偶然ではなく、その風土や人間性によるものではないか。会津からは偉人がより多く出ている。他が後れを取った最大の理由は、足を引っ張るからではないか。かつて、渡邉美智雄代議士が郡山市で講演されたとき、福島県はすべてに優れている。だが難点が一つある。それは総理大臣を出していないことだ、と言われた。その理由は、たぶん県人は心が狭く足を引っ張り合うから人材が育たない、のでは?身近な例では、本県衆議院2区に移入候補の出馬が予定されている。県人や同区に人材はひしめくほどいるのに「ナゼ」?足を引っ張るからではないか。ブタもおだてりゃ木に登る、人を盛り立てる工夫こそ大切。そんな気風を作ることが大事なとき、と思う。


県内一円の視察ご苦労様でした。よりよい自然環境に期待します。また、はま、なか、会津と対照的な社会環境にも感銘されたことと思います。
会津は一つの国の感じ、郡山は出入り自由のフロンテイア、相馬は、鼓腹撃壌暖かくものみが豊かで生活が楽、そして永く良主にもめぐまれた。それで、のんびりしていて県政の孤児となっている。

知事ゼロ地方の相馬と白河からは官僚が知事選に出馬し敗れたが、「敵対」した知事は2人とも塀に落ち、江戸の仇を長崎で打たれた格好だ。

もし、件の官僚が勝ったならもっと飛躍的発展を遂げたのではないか、まれな逸材が惜しまれる。

国政では脱官僚を唱える向きがあるが先行き大丈夫かな?

官僚は国民の使用人であり、官僚(行政)とは政治を技術化する職人であることを肝に銘じることが大事、と思う。

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