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2006年08月30日

9月県議会を前に政調会

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 きょうは、会派ごとに各部局に内容を聞く政調会が開かれました。9月定例県議会は、9/26~10/12の予定です。

 この間、佐藤県知事をめぐる水谷建設の疑惑問題、泉崎村での幼児虐待死事件、原発トラブルなど全国的な注目を浴びる事件が相次ぎ、県議団で申し入れをしてきましたが、各関係部全体の職員と対峙するのはきょうが初めてです。もちろんマスコミも注目。

 

 水谷建設疑惑では、県の職員が東京地検に何人呼ばれたのかと聞いても「捜査の目がどこに向いているか推測されかねないので、答えは差し控えたい」と。しかし、「一ケタ」とだけ答弁しました。私は県の公共事業にかかわる問題なので、当局自ら調べるべきではないかとただしました。

 泉崎の虐待死問題では、話を切り出した途端、役場の課長さんから聞いた、今年小学校に入学したばかりのやせ細った二男とのせつない会話を思い出して、思わず涙声になってしまいました。

 児童相談所が判断の重要な立場にあるという認識について問い、虐待に対しては「待つ姿勢でなく介入が必要」なこと、児童相談所体制の充実、郡山相談センターの独立、専門家の増員、研修の充実などについてただしました。部長も「さまざまな角度から検討会で検証し、再発させない取り組みをしていきたい」旨答弁。

 それにしても、相談員が扱う虐待件数が年間1人当たり5.2件(05年)~7.2件(04年)というのは、多い?少ない?

県の教育行政について報告


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 29日は民主教育センターのみなさんと懇談。私が県の教育関係の資料を用意し報告。前県議団長の江田さんは、「福島の教育は、一言でいえば”安上がり教育”」と指摘。

 例えば、全国に誇れる小中全学年での30人学級を実現させたが(02年に一部、05年に全学年)、その中身をみれば常勤講師が700人台が1,600人台(05年)へとぐんと増えたことを資料の中で示し、「正教員を増やすことが教員の多忙化を解消し、教育の質を上げることにもなる」と明快な分析。

 県立普通科の全県一区についても論議されましたが、様々な教育問題を地域で運動していくことが必要だと思いました。

2006年08月26日

中国での悲惨な体験と帰国者の生活実態を知って

【來往会への寄稿】

2006年3月 
県議会議員 神山悦子

 昨年は、日本が引き起こした侵略戦争が終わってちょうど60年の節目の年でもありました。1932(S7)年に中国を侵略した日本は、中国東北部に満州国を勝手につくりあげ、1936年には20カ年で100万戸の大移民計画を決定。日本から国策として「満蒙開拓団」を送りこみ、その数は1945年までに32万人余にもなったといいます。

 ところが、1945年8月、ソ連軍が侵攻してくると、日本の軍人とその家族は真っ先に逃げ出し帰国。一方、開拓民は置き去りにされ、終戦直後に集団自決、栄養失調、伝染病などによって約24万5千人が命を落としたと記録(『引き上げと援護30年の歩み』)されています。

 「來往会」のみなさんも、そのときに親を失い、または離別などして中国人に引きとられ「残留孤児」、あるいは「残留婦人」となりましたが、まさに国策の犠牲者といえます。政府がようやく肉親捜しを始めたのは、日中国交回復から9年もたった1981年3月からで、さらに永住帰国が本格化するのは1986年からでした。

 1997年10月、私は加藤トシさんから初めて中国帰国者の生の体験をお聴きしました。トシさんが19才の時、郡山から一家で満州へ渡ったこと。苦労続きで、戦後は生きるために中国人と結婚しましたが、苦労は変わらず。その夫や家族と1981年にようやく帰国しましたが、夫は中国へ戻ってしまい、結婚した子どもは中国に残したままに。それでも加藤さんは「私よりもっとつらい体験をした人がいっぱいいる」といわれました。

 ところで、來往会は、96年7月に10人の有志の方で始められたそうですが、2004年12月、私が街頭で教育署名の活動中、來往会事務局の川崎香さんから初めて声をかけられたのがきっかけで、定例会にも参加させていただくようになりました。それぞれの方から郡山に帰国されて以降のくらしの実情などをおうかがいするうちに、日本語が話せないために様々な困難に直面していること、特に帰国一世のみなさんは、高齢でもあり病気になった時に言葉が通じないためにどうしてよいかわからなかったこと。帰国二世、三世のみなさんも、言葉だけでなく仕事や人とのつきあいの悩みがあることもだんだんわかってきました。

 昨年、川崎さんから、長野県が2005年度から中国帰国者への医療通訳者派遣事業を始めたように、福島県でもぜひ実施をとのお話がありました。自立支援通訳派遣事業は1989年から実施されていますが、2003年度にそれまでの帰国3年以内を4年目の人に対象に広げ、2005年度からは帰国者及び配偶者で真に必要な5年目以降の人も対象に加えました。
 いずれも「県が派遣を必要と認めるとき」となっているので、県が実施しないことにはすすまない事業でした。

 さっそく私は、昨年(05年)12月県議会で中国帰国者への支援について質問し、帰国者の実態を把握することや、通訳者派遣事業を行なうよう求めました。県は、1月から実施すると答弁。そして、今年1月から1人が派遣され、新年度からは13人(郡山市と福島市は3人、須賀川市と三春町は2人、会津若松市といわき市と相馬市は1人)が医療・介護の通訳者として配置されました。新年度予算に自立支援通訳手当として23万4000円が計上され、全額国庫委託金でまかなわれます。

 初めての県事業実施となるため、事前に帰国者自らが、県の担当者に直接話を聴きたいとの意向が実現し、3月25日郡山市内まで担当者が出向いてくれたことは画期的なことです。長年にわたり、ボランティアの方とともに来往会の活動を継続してこられたからだと思います。

 また、政府や県が対象を広げた背景には、中国帰国者が政府に対し「国家賠償」を求める裁判を起こし立ち上がっていたこともあったのではないでしょうか。社会的な関心を呼んだこの裁判は、7月6日大阪地裁で初の判決が言い渡されましたが、精神的な苦痛を受けた被害の事実を不十分ながら認めたものの、国の責任を問わない不当な判決結果でした。しかし、戦後60年という節目にこの裁判をおこした意義は大きかったと思います。

 先日の県との懇談会の席上でも、切々たる訴えがありましたが、「私たちも同じ日本人なのです」との言葉は、ズシリと胸に響きました。当たり前のことにハッと気づかされた思いです。私もこの言葉を忘れず、できることから支援していこうと思いました。

 政府としては、戦後補償をきちんと行ない、今後も戦争を起こさず平和で世界に貢献していくべきです。ところがいま、国会では憲法9条と教育基本法を改悪しようと危険なたくらみをすすめていますが、絶対に許してはなりません。来往会のみなさんのような悲劇を二度と繰り返さないためにも。

中国帰国者や外国人出身者への支援について

【05年12月定例県議会、神山悦子県議の一般質問から(12月9日)】

 さて、戦後60年の今年も間もなく終わろうとしています。戦争中、日本が国策として「満蒙開拓団」を中国へ送り、中国に置き去りにした「残留孤児」問題は、72年の日中国交正常化まで放置され、ようやく本格的な肉親探しが始まったのは9年後の81年3月でした。

 さらに、永住帰国が本格化したのは86年からです。今年3月、厚生労働省が公表した調査によれば、全国に2,489世帯、9,115人とされています。県内には、03年4月93人と報告されていますが、いずれにしてもこの数は、帰国一世だけで、よびよせた二世から三世、四世までふくめれば、相当な数にのぼるはずです。

 まず、県内に在住している中国からの帰国者・家族数について伺います。 

 また、厚生労働省がおこなった今年3月の生活実態調査によれば、帰国後の大きな問題は“言葉の壁”でした。中でも日常会話が全くできない人は8.4%もおり、特に帰国時期が遅いほど日本語の理解が困難になり、帰国後5年以内では、半数以上が片言程度しか話せません。

 すでに50代後半から70代近くになっている人が新たに日本語を覚えるのは至難の業ではないでしょうか。県内の中国からの帰国者は、郡山市在住者が多く、帰国当初は、福島県帰国者自立支援研修センターで日本語指導もありましたが、02年8月に閉所されてからは一般市民として扱われ、生活面や精神面などで行政面のサポートもなく、日本語が話せないためにストレスによる体調を崩す人も多くなっています。

 家族に子どもがいれば、学校を休んで病院につきそい、意味が理解できているかどうかは別にしても病院側との通訳までさせられているのが実態です。現在ボランティアの方々でさまざまなサポートを行なっていますが、県としての支援が必要です。

 長野県は、県単独で中国帰国者への支援事業を拡大し、今年度からは新たに医療通訳者派遣事業を予算化しています。本県でも中国帰国者の実態調査を行ない、ボランティア団体が行う帰国者が孤立しないための交流会等に対する支援や、帰国者や家族の通院、介護保険などの行政手続きを行う際に、通訳者を派遣する事業を実施するとともに、通訳者養成も図るべきと思いますが、県の考えを伺います。

 また、県の「女性のための相談支援センター」では、外国人女性のDV被害者が増え、その通訳費用が年間の予算をオーバーする事態となっているとのことですが、予算の拡充が必要と思いますが、これはどう対応されるのか伺います。

 さらに、県内には、外国人登録者も増えており、04年12月で12,779人、県人口の0.6%を占めています。中国が36%と最多で、フィリピン、韓国、朝鮮、ブラジルなどの出身です。これら県内の外国出身者に対する日本語学習への支援、及び外国人児童生徒等への対応も必要と思いますが、どうお考えでしょうか。

答弁・生活環境部長

 日本語学習への支援につきましては、県内外国出身者が地域社会の一員として自立し安心して生活する上で重要なことから、これまでも県国際交流協会と連携しながら、市町村やNGO、ボランティアによる日本語教室開設を支援するとともに、日本語ボランティアの養成講座や指導力向上のための研修会を開催しているところであります。        
今後とも、これらの取り組みをさらに推進するとともに日本語教室のネットワークづくりを進めるなど、関係機関、団体と連携しながら積極的な支援を行ってまいる考えであります。

保健福部長

 次に、県内在住の中国からの帰国者及びその家族数につきましては、平成15年度の調査では帰国者本人が93人であり、そのうち調査に協力された91人の方々の同居家族数は115人となっております。
 次に、中国帰国者に対する支援につきましては、これまで平成15年度の実態調査の実施、孤立防止のための事業に取り組むボランティア団体への支援を行ってまいりました。
 また、帰国者や家族の通院、介護保険の認定手続等を行う際の通訳者派遣につきましては、平成11年度以降本県への永住帰国者がなく、平成15年度で終了したところですが、帰国後4年という派遣期間の制約が緩和されたのに伴い、平成18年1月から新たに派遣したいと考えております。
 なお、通訳者の養成については考えておりません。
 次に、外国人DV被害者の通訳費用につきましては、女性のための相談支援センターに入所した外国人被害者の多くが日本語を十分に話すことができないことから、裁判手続や日常生活を支援するため、必要な予算の確保に努めてまいりたいと考えております。

 教育長

 次に、 外国人児童生徒等への対応につきましては、外国人児童生徒等が学校生活に適応することができるよう、必要に応じて小中高等学校に日本語指導に当たる教員を配置してきたところであります。

再質問

 それから保健福祉部長に、中国の帰国者の問題をお聞かせいただきたいと思います。この数は1世だけだと思います。やっぱり家族まで含めると郡山だけでも100名を超えているという数字があるんですけれども、この実態を15年の調査からだいぶたっておりますので、そういう意味ではもう一度キチンとつかんで外国人従事者も出身者も増えているし、そういう意味では、あらためて再調査でつかむ必要があると思いますがその点について、どうお考えでしょうか。

 さらに通訳者の支援事業、これは養成するつもりはないとおっしゃいました。しかしですね、中国からの帰国者が2世、3世くらいになりますといま成人している方もいます。そして日本語もできます。そういう方で実態も、実情も知っているし、こういう方々も含めて通訳者養成に確保してもいいんではないか思いますし、そういう意味でも養成をやっぱりやるべきだと思いますが、検討されてはどうでしょうか。もう一度お聞かせ下さい。

答弁・保健福祉部長

 中国帰国者の実態調査でございますが、当面の施策の展開においては、平成15年度の調査で十分だと考えております。県と国の調査は考えておりません。
 通訳者の確保につきましては、新たな育成をしなくても平成14年に継承いたしました自立研修センターの旧スタッフなどを活用できると考えておりまして、適格者の確保はできると考えております。
                                    

2006年08月25日

第27回中田地区高齢者ゲートボール大会

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大会実行委員長の宗像亀嘉さんは80?才です。

 朝晩だいぶ涼しくなったとはいえ、日中は30度にもなる暑い日が続いています。
 きょうは、朝8時より中田地区高齢者ゲートボール大会が開かれました。19チームが参加しました。

 参加している高齢者はみなさんお元気ですが、きのうは市内で2人も「熱中症」で倒れる人がでているので、「水分を充分にとってプレーしてください」と挨拶しました。

一人芝居「エリカ」福島上演のお知らせ

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チラシの右横下の顔写真は、声楽家 重藤啓子さん

 来る9/2(土) 13:30開場 福島市公会堂にて(一般前売2,000円)
  
 「エリカ」は、第二次大戦のドイツ、ユダヤ人強制収容所へ移送される貨車から、母親が「生きて!」と生後3ヶ月のエリカを窓から外へ放り投げた・・・。生きのびたエリカの実話を元にした物語。

 女優の新井晴みさんによる一人芝居です。劇中の挿入歌「カダッシュ」(ユダヤ人が死者を弔う時に歌う歌)を、重藤啓子さんがヘブライ語で歌います。なお、重藤さんは私の高校の後輩です。

 「いのちの電話」郡山支部設立のよびかけ人、県9条の会のよびかけ人でもある太田緑子さんが推薦しています。どうぞお出かけ下さい。チケットなどのお問い合わせは 024-522-5334(福島生協)。

2006年08月24日

中国帰国者「來往会」と市議団交えざっくばらん懇談

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來往会のみなさん(手前)と懇談する橋本・高橋・岩崎の3人の市議団

 郡山市内には、中国帰国者が約140世帯が在住しているとされ、旧厚生省の支援事業として郡山市を通じて帰国者たちへの活動に補助金を出してきたのですが、それも途中から打ち切られました。そこで、96年ボランティアの人たちと有志で「來往会」を発足。

 きょうは、その來往会の安部徳雄会長さん、加藤さんらと共産党市議団との初めての懇談会をもちました。沢井さんに通訳をいただきました。帰国者にとって「言葉の壁」は、日常生活のあらゆる場面で感じるものだとあらためて知った思いです。

 安部会長さんからは「みんな高齢です。せめて老後を安心して暮せるようにしてほしい」と訴えられましたが全く同感です。今後も交流を深めていくことを誓い合いました。

 

 今年は戦後61年。日本が1932年に中国を侵略して満州国をつくり、日本から終戦までに満蒙開拓団として送った数は32万人に上るそうです。特に長野県や東北地方からたくさん渡っています。「貧しい農村県」が共通でしょうか。
 
 しかし、終戦を迎えても、中国で残留孤児となったり残留婦人として生き延びた人たちは置き去りにされてきました。ようやく、旧厚生省が、帰国費用等を出すようになりましたが、それも帰国一世だけ。2世~3世には全くなく、今の帰国者への自立支援事業さえ、打ち切られかねません。
  
 なお、私が來往会と関わったいきさつや、昨年12月県議会で質問した「帰国者への通訳派遣事業」が、今年1月から実現したことなど、会の冊子にまとめていただきました。こちらも別途掲載しますのでご覧下さい。

「來往会活動報告書&資料集2005」に掲載されました

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 「2005年度來往会の活動報告書」に、私のメッセージと05年12月県議会で中国帰国者への支援に関して質問したものを掲載していただいたものです。
 
 このときの質問で、翌月(06年1月)から県は医療・介護通訳者を1名を委嘱。今年4月からこの事業が本格的にスタートし、13人派遣。当初予算で23万4,000円が計上されましたが、全額厚労省からの国庫委託金でまかなわれます。
 
 13人の内訳は、福島3人、郡山3人、須賀川市2人、三春町2人、会津若松市1人、いわき市1人、相馬市1人です。

2006年08月23日

相双地域の母連が、2千人超の署名をそえて          土日・夜間の小児救急をと県へ要望

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2千人分の署名を石井参事へ手渡す、子どもとお母さん

 相双地域は、宮城県に近い太平洋側にある地域です。ここは南会津と並ぶ「医療過疎地域」で、特に、「県立大野病院の産婦人科医逮捕」事件が発生した所でもあり、産科・小児科医不足は深刻です。

 きょう(23日)、相双地域母親連絡会のみなさんが、「土日・夜間の小児科救急体制を」と署名をそえて県に要望しました。署名運動は今年5月からはじめ、2千人分を超える署名を集めたそうです。
 きょうは、めずらしくお母さんと一緒にお子さん1人も参加しました。

 県医療看護グループの石井参事は、「相馬郡の医師会が、20人程度医師を確保し、今年10月から南相馬市立病院の救急窓口に1人ずつ配置して、365日対応できるように検討中だと聞いている」との説明でした。

2006年08月22日

不必要な灰溶融炉                         稼動すればするほど自治体財政を圧迫

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県生活環境部と懇談する8人の安達地方議員団

 きょう22日、党安達地方議員団8人が、本宮町にある「もとみやクリーンセンター」の灰溶融炉施設の再稼動問題で県と懇談を持ち、私たち県議団2人も同席しました。

 今年5月、会計検査院から「もとみやクリーンセンター」に併設されている灰溶融炉の稼動不足を指摘され、「補助金返還を」になりかねない事態になり、やむなく再稼動しました。

 しかし、灰溶融炉を運転すればするほど、燃料費の高騰と維持経費の増大により関係自治体の財政を圧迫していくことになるのです。昨年10月以降休止したのは、そうした理由からでした。

 きょうの懇談で県は「補助金をもらって作ったのだから再稼動すべき」と、市町村の実状を知っているのに、その一点ばり。これでは当該自治体を窮地に追い込むだけです。

 その一方で、「今後どうするかは、建設を決めた安達広域組合が自主的・主体的に判断すべき」とも述べましたので、議員団8人は明日、管理責任者の二本松の三保市長に会い、国に対し義務付けしない施設に該当させ、「休止」を申し入れることにしました。
 

  

 事の発端は、国が焼却炉建設の補助要件として、灰溶融炉の設置を「義務」付けたことにあります。三菱重工や荏原など大手焼却炉メーカーは、大規模な焼却炉建設をおしつけたばかりか、減量化・資源化を理由に溶融炉設置まで義務化させてしまったのです。

 ところが、溶融炉は技術的にも未確立で、三重県で爆発死事故が起きたり、膨大な経費と再利用の目途がたたないなどで全国の批判を受け、共産党の岩佐恵美参院議員が国会の追及したこともあり、04年4月から新規の施設に「義務付け」をやめています。

 04年以降にこだわらず、それ以前の施設ついても該当させるよう、県も国に要請して市町村を支援すべきです。
                     

2006年08月18日

お盆で夫の実家へ帰省

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諏訪湖の湖面に映える4万1千発の花火

 13日~16日まで、夏休みを兼ねて夫の実家愛知県に帰省してきました。今年は、久しぶりに都会に出ている娘たちも一緒でした。
 
 夫の母やきょうだいと1年ぶりの対面。母は透析をはじめており、足も弱ってきたようで、外出は難しくなっているようです。
 
 夫や娘たちと一緒にお墓参りをしたあとは、常滑焼を見て回ったり、中部国際空港へ行ったりして観光気分を味わいました。

 15日の終戦記念日には、小泉首相が靖国参拝したというニュースが流れましたが、首相自身の心は大切にしても、中国や韓国など戦争で多大な犠牲を負わせた相手国の人の心については考えない(朝日/天声人語)ようです。

 

 この日の夜は、諏訪湖の花火大会を見るため中央高速で長野県へ。少し渋滞に巻き込まれましたが、午後2時過ぎ早めに到着し、以前住んでいた下諏訪町の諏訪大社春宮周辺を散策。

 花火は諏訪市側から上げますが、私たちは下諏訪町の水辺公園側で見物。
今年は7月末の豪雨で諏訪湖の氾濫、岡谷などで土砂災害で死傷者が発生したこともあって、特別な感慨をもって見ました。娘たちも手の込んだたくさんの花火に思わず拍手。周辺からも拍手と歓声があがっていました。

 翌日の新聞には「復興への願いを込めた大会となった。23年ぶりに3尺玉と2尺玉が水上スターマインのプログラムに組み込まれるなど、過去最高の4万1千発が打ち上げられた」と。やはりいつもの年とは違っていたようです。
<えつこ通信 NO.340>

2006年08月13日

県立聾学校寄宿舎でネコノミが発生

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ネコノミの発生で被害者が出た県立聾学校寄宿舎の洗濯場

 10日の労働者との懇談会で、高校の教師から県立聾学校の寄宿舎でネコノミが発生したとの報告を受け、11日夕方、郡山市大槻町にある同校へ行き現地を調査しました。

 教頭先生の案内でネコノミが発生した寄宿舎の洗濯場へ。寄宿舎は、1960年代に建てられた木造モルタルづくりの非常に古い建物です。

 ちょうどこの日専門業者による消毒が終わったばかりだったようですが、それでも気のせいか、私まで足元がかゆいような気分におそわれてしまいました。

 
  

 検体に出し顕微鏡でみたら、人間につくノミとは違って体に剛毛がはえ、歯もノコギリのようだったと。熱は出なかったけれど皮膚が腫れあがったそうです。
 なぜ、突然発生したのか。初めてのことで原因もよく分からないそうです。

 それにしても、寄宿舎がこんな古い建物とは驚きでした。時代がタイムスリップしたようなこんな県の建物がここにもあったのかと。まして障害を持った子どもたちが、土日を除き毎日く暮らす寄宿舎なのです。

 これを機会に全面的な建替えをすべきです。県議会でも取り上げたいと思います。
 
 

2006年08月12日

高橋衆院議員とともに訪問・懇談

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県医師会との懇談(左端が小山県医師会長)

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障がい者施設「父の夢」の古川園長さんに案内を頂いて

 10日~11日、高橋ちづ子衆院議員が福島県に入り、宮本しづえ参院選挙区候補、藤川市議、長谷部県議とともに事業所や団体を訪問し懇談しました。
 
 10日は、県知事から公開質問状に対する回答と記者会見が予想されたので、2カ所だけの参加。福島市内の知的障がい者通所更生施設社会福祉法人「父の夢」と、夜は県労連加盟の労働者のみなさんとの懇談会に参加。
 11日は、福島労働局、ハローワーク、県医師会長をそれぞれ訪問し懇談しました。

 

 最初に訪問した「父の夢」の古川彰彦園長さんの話は、障がい者への捕らえ方と福祉の原点にふれるすばらしい内容でした。このまま講演会でたくさんの人に聞かせたいと思いました。

 また、労働者をめぐる問題では、労働局の指標でも過労死・過労自殺が増加していること。労働者からも同様の報告があり、さらに成果主義で民間・公務員を問わず競争の中でバラバラにされていること。

 その結果、国民の安全を脅かす事件があいついで起きているのではないか。県内では子どもへの虐待死事件まで起きているが現場の職員はどうだったのか、などなど。
 しかし政府与党は、またもや「労働法制の改悪案」を持ち出そうとしているようです。

 県医師会の小山医師会長さんとの懇談も初めてです。医療改悪問題や医師不足問題を含めた地域医療への見解や、大野病院の医師逮捕事件や女性医師の活用についても伺いました。

 小山菊雄県医師会長さんは、国民皆保険制度は守るべきであり、このまま医療制度改革をすすめていけば「自殺者」と「離婚率」が増えていくことになるだろうと言われました。
          <えつこ通信NO.339>

2006年08月11日

佐藤知事の文書回答で新事実                 「水谷建設から5万円の政治資金を受けていた」

 

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 10日、佐藤栄佐久知事に対し、県発注の公共事業に多数参加している水谷建設をめぐる問題で、10日までに文書回答を求めていましたが、午後4時少し前に回答文書を受理。私たちは4時半に県庁で記者会見し公表しました。
 
 知事からの回答で新たな事実も判明!これまで知事は「水谷建設は名前も聞いたこともない」などといっていたのに、「H16年5月に社会政治工学研究会(知事の後援会)が政治資金パーティーを開催し、水谷建設から5万円のパーティー券を受けており、この会費については近々返済したい」としました。
 

 私は「県発注の公共事業にかかわる問題でもあり、他の会派と協議して、議会としての対応を検討していきたい」、つくる会の小川さんは、「県民からのメールやFAX受付を検討中」と述べました。
 

 知事の回答は全体として説明したとはいえないもので、特に木戸ダムの入札で談合があったことを3日のNHKで報道されていることや、水谷建設からの裏金が暴力団にも流れていたとの報道についても「報道なので回答しようがない」と逃げました。

 一方、知事後援会の「栄和会」の経緯については詳しく述べていますが、オックスフォードとの関係について知らないとしました。
 なお、回答の問い合わせ先は、郡山の「社会政治工学研究会(馬場)」となっていました。

 ところで、10日までに回答を求めていたことから、この日は朝から控室にマスコミの出入りが頻発で、午前中は長谷部県議が対応。

 私が改めて秘書課に問い合わせたら、文書は夕方に仕上げて投函するというのです。それでは、期日に間に合わないと指摘し、結局夕方4時に秘書から直接手渡すことに。同時に、秘書課からマスコミに投げ込みをするなど、知事サイドもいろいろ考えたもよう。

 いずれにしても、新たな5万円の政治資金を受けていたことも含め、まだまだ解明が必要です。
 

2006年08月07日

泉崎の幼児虐待死で県へ要望書提出

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 きょう7日、県議団として、3才の男子が虐待死した事件に関して、県知事に対し「児童相談所の体制充実を求める要望書」を手渡しました。応対したのは、保健福祉部自立支援領域の佐藤総括参事と小牛田児童家庭グループ参事です。

 先週の泉崎村や中央児童相談所の調査をもとに、再発防止を図り、児相は現在県内に3ヶ所しかないが、5~7ヶ所必要であること。中でも中途半端な郡山相談センターを、一時保護施設を備え児童相談所として独立させるよう申し入れました(要望書は県議団ホームページで)。

 佐藤総括参事は、事件に至った原因や課題を分析し、再発防止につなげることや、現場の声もよく聞いていきたいと述べました。また、今週11日には、第1回目の検討会を開くことが明らかにされました。メンバーは、医師や教育関係者など学識経験者5人程度とか。

2006年08月06日

朗読劇「月光の夏」鑑賞

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 5日の夜は、郡山市公会堂で朗読劇「月光の夏」が上演されました。郡山演劇鑑賞会などが協力し、上演実行委員会が主催したものです。郡山合唱団の歌が終わると静かに朗読劇が始まりました。

 物語は、太平洋戦争末期の昭和20年初夏、佐賀県鳥栖市、音楽を愛する学徒出陣の特攻隊員二人が学校を訪れ、今生の別れにベートーべンのピアノソナタ「月光」を弾き、鹿児島県の知覧飛行場から沖縄の空に出撃して行ったという実話をもとに創作したもの。「月光」のピアノ曲と飛行機の爆音などが効果的に流れます。

 

 2人のうち、ピアノを弾いた生徒は戦死。1人は飛行機の不調で基地に引き返したら、福岡市の施設に隔離され生き残った。しかし、苦しい戦後を生きてきたといいます。


 戦後61年の今年。きょう6日は広島に原爆が投下された日です。このところ県内でも毎日30度を超えるうだるような暑さが続いていますが、61年前のあの日も暑かったといいます。

 3日には、広島地裁が内部被爆や入市被爆を原爆症と認める判決を下しました。大阪地裁の画期的な判決に続く全面勝訴という快挙に拍手!長い戦いを続けてこられた被爆者のみなさん本当に良かったですね。国はこの判決を受け入れきちんと補償していくべきです。

泉崎村で「幼児虐待死」                       何度も指摘してきた相談体制の不備が悲しい現実に

 7月28日(金)、県南地方の泉崎村で3才の男児白髭広(ひろむ)ちゃんが、満足な食事を与えられず肺炎を起こし自宅で死亡した事件で両親が逮捕、というニュースが全国をかけめぐりました。

 この間私は議運の視察や知事の実弟と水谷建設問題の対応に追われていたため、ようやく8月3日(木)泉崎村へ、4日(金)は福島市の中央児童相談所を訪ね聞き取り調査をしました。

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 泉崎では、地元の白石議員の案内で、村保健福祉課の小林課長さんが応対。県の中央児童相談所へは、新婦人県本部に呼びかけ3人の役員とともに訪問し、松野次長が応対しました。

 白髭一家は、99年7月に泉崎に転入。実は以前に東京の児相が関わり、長男に暴力をふるった父親は親権が剥奪されています。しかし、その後行方不明になっていたそうですが、2000年に県へ連絡が入り、ここから中央児相が関わってきました。

 したがって、中央児相は「リスクが多い家庭」との認識は最初からあったのです。にもかかわらず死亡に至ったのは、”3人の子どもを一度に救出を”にこだわって、判断に甘さがあったと思うと陳謝しました。

 一方、泉崎村ではこの家族が転入以来自治会にも入らず地域のつながりを持たないことから、二女、二男の乳幼児健診のお知らせの機会を生かそうと保健師さんたちが広報を届けるなど苦労してきたといいます。

 03年にひろむちゃんが生まれ、1才6ヶ月までは健診を受けていたが、その後はほとんど誰の目にも触れる機会をもたれないまま死亡。

 今年4月に着任したばかりの女性課長さんは、「村としては精一杯やってきた。あまりにひどいと感じて今年4月21日県に実態をみてほしいとお願いし、やっと1ヵ月後に見に来てくれたがその数日後に亡くなるなんて。なぜもっと県に強く言えなかったのかと悔やまれる」とつらい心情を語ってくれました。

 しかし、子どもの措置の最終判定をするのは児童相談所です。ところが県は、05年に二女が小学校入学したことを機会に、直接訪問をやめて泉崎村からの情報収集に切り替え、ケース検討会の協議で済ませてきたのです。いくら人員が不足しているとはいえ、ここは大きな判断ミスだったのではないか。

 さらに、今年4月二男が入学した時も、そのあまりの発達の遅れ(身長は2才児程度、体重は1才児程度)に、一様に驚きの声が上がったそうです。これだけでも緊急を要する事態だったはず。

 こんな悲しい事件を二度と繰り返してはなりません。私は、初当選した99年12月県議会で「郡山の分室を児童相談所へ格上げすべき」と質問し、その後も01年2月議会と9月議会で取り上げ、ようやく02年9月より郡山相談センターとなりましたが、一部格上げにとどまっているため、再度05年2月の総括質疑で求めたところです。

 県は、この事件を反省し、郡山相談センターを県内4つ目の児童相談所として独立させるべきです。人員も増やし、児童養護施設を増設し、抜本的な体制充実を図る時です。現場からも、80キロもかかる県南までカバーするのは無理があるとの声が出ているのですから。
                 <えつこ通信 NO.338>

<活動日程>
8/9 富久山街頭宣伝、「アンゼラスの鐘」鑑賞
 
 

2006年08月04日

佐藤栄佐久県知事へ「公開質問状」

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 3日午前10:40、今回の水谷建設がらみの事件について、大きく3点にわたり県民に自ら説明責任を果たし、今月10日までに文書で回答するよう知事へ「公開質問状」を渡しました。

 すでに、秘書室には報道陣16社がズラリと待ち構えていて、日本共産党福島県委員長、党福島県議団長、みんなで新しい県政をつくる会が、それぞれの長の連名で提出。今泉秘書課長が知事に代わって質問状を受け取りました。

 また、このあとすぐに、県政記者クラブで最上、神山、小川の3人が出席して記者会見を行い、最上県委員長が内容を説明しました。

 折りしも、この日は福島民報、民友新聞が朝刊トップニュースで、31日(月)夜に東京地検特捜部が県庁に入り、過去10年間5億円以上の入札関係書類を任意押収したことを報道。あまりのタイミングのよさにびっくりです。

 「公開質問状」の文書は、党県議団のホームページに掲載しましたが、1)県知事として現局面への態度の問題 2)知事が「三東スーツ」の取役会長であった時の問題 3)知事自身の政治家としての問題 の以上3点です。

 この中で、マスコミが報じている以外に私たち独自の疑問点として、
 ①木戸ダムは”天の声”で大林から前田に逆転契約となったのではないか(06/8/6付赤旗日曜版)。②水谷建設は県が指名停止3ヶ月としたが、元請の前田建設も指名停止する必要があるのでは。③県は、前田建設から水谷建設への下請け金額を「民民の契約だから」と開示しないが、公表し全体を明らかにすべきでは。④前田建設、水谷建設、小尾建設など今回の関連業者から寄付やパーティー券を購入してもらったことはなかったか。⑤実弟宅におかれた「オックスフォード」と「栄和会」の関係、「栄和会」の実態について。以上の点です。

2006年08月03日

議会運営委員会の県外視察

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国の需要文化財指定の大正ロマン漂う山口県旧県議会議事堂内を見学。

98年から6年かけて復元したとか。

 きょう、東北地方も梅雨明けとなり、25度から急に30度近い暑さとなりました。
 31日~1日の1泊2日で鳥取県と山口県の県庁をたずね、議会運営のあり方を調査。

 今回は、決算審査の時期を早める動きが全国にでているようで、わが県議会も検討してはというのが1つのテーマでした。梅雨が明けたばかりとかで山口県は35度の暑さでした。

 福島県議会は、企業会計決算は9月議会で提出、12月県議会で認定。普通会計は、12月議会に提出、2月議会で認定です。

 これをどちらも9月提出、12月認定へとなれば、9月と12月議会の間隔は短い上、質問準備とあいまって少数会派は忙しくなるのは確か。どれほどのメリットがあるのか、よく検討してみなくては。

2006年08月02日

2つの夏まつり

 29日夕方は、緑ヶ丘町内の夏まつりと中田商工会の納涼まつりのご案内をいただきました。この日の午後は、夕方4時すぎまで障がい者団体と県との懇談会でしたので、駆け足で2つのまつり会場へ。

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緑ヶ丘夏祭りで“祭り”のうちわをいただいて。私の右が泉田町内会長さん

 なんとか間に合いそうなので、まずニュータウン・緑ヶ丘町内の祭り会場へ行くと、小学校の校庭では、すでにドン、ドン、ドドドンと太鼓の音が響いていました。

 会長さんや役員の方に挨拶し、ぐるりと囲んでいる各屋台にハイスピードで顔を出し「こんにちはー」。会長さんと記念に写真をとお願いしたら、子どもたちも一緒にハイチーズ!

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中田納涼商工まつり  中田自慢の“下枝よさこい踊り”のみなさん

 さて、次は地元中田町商工会の「納涼商工まつり」会場。5時からでしたがギリギリセーフ。今年で5回目ですが、会場は新装なったふれあいセンター(行政センター・公民館)の駐車場でした。

 きのうまでの激しい雨とはうって変わり、日差しが暑くまぶしいほど。各テーブルをまわり挨拶したり握手を交わしたり。

 7月13日投票で行なわれた中田町の農業委員選挙で、わが党の宗像さんが2度目ならず「落選したのは残念だった」と何人かが声をかけてくれました。そして来年の選挙は頑張れよとも。

 70代半ばの男性は、「共産党がいなくちゃダメだ」「戦争はやってはならない」といろいろ話をしてくれた方も。保守的な地域でも、今の政治の有り様と共産党についてもちゃんとみている人がいることにあらためて感謝。