「関係者の理解なしにALPS処理水の海洋放出強行を許さないための取り組みを!」と、「新型コロナ再感染の対策強化を!」知事への緊急申し入れ

 18日、政調査会終了後、県に対し、党県議団は、「県民の理解が得られていないALPS処理水の海洋放出強行を許ないための取り組みを求める緊急申し入れ」と、「新型コロナ感染再拡大への対応策を求める」2つの申し入れを行いました!
 党県議団は県に対し、「県民の理解が得られていないALPS処理水の海洋放出の強行を許さないための取り組みを求める緊急申し入れ」を実施したと、夕方の県内テレビニュースで報道されました!
県は、伊藤参事兼原子力安全対策課長が応じました。
申し入れは4項目。
①国と東京電力に、2015年の県漁連との約束を守るよう求めること。
②漁業者はじめ県民の理解が得られていないALPS処理水の海洋放出は、強行しないよう国に求めること。
③東京電力に、ALPS処理水の処理に関する実施計画を策定し、専門家も入る県廃炉安全監視協議会および技術委員会に説明し意見を聴く機会を設けるよう求めること。
④県は、県廃炉安全監視協議会や技術委員会など各協議機関での議論を尊重し、強引な処理は行わないよう国と東電に求めること。
夕方、県内のテレビニュースでも報道されました。

9月県議会に向けた政調会/県は、酷暑や物価高騰、新型コロナ対策に言及なし!

 9月定例県議会に向け、各会派の政調会が開かれました。
9月県議会は、9/11~10/4の予定です。補正予算規模は、約50億円規模となりそうです。ところが、原油・物価高騰 、酷暑への対応、新型コロナ感染症への認識も対応策も、具体策は何も示されませんでした。
国や自公政権言いなりの県政であることは承知していますが、それにしても県民の命や暮らしへの言及は全くないことには驚きました!9月県議会では、これらへの県の認識を示すべきと求めました!

地元の研究者ら、「アルプス処理水」海洋放出に地元の声反映をと!

1人、ニューススタンド、テキストの画像のようです
 8/17付けしんぶん赤旗は、「アルプス処理水」海洋放出~地元の声 反映をと、地元研究者らの呼びかけで「福島円卓会議」が7月に発足したこと。
 7/11と8/1の2回の会合を開き、ここでの議論をふまえた林勲平事務局長(福島大学准教授)の談話を紹介しています。

経産省が、IAEAの総括報告書を地元紙に全面広告!県民は科学的安心も得られなどと思っていません!などできません!

 テキストの画像のようです
 8/17の福島民報紙に、経産省が全面広告を掲載しました!
表題は、「ALPS処理水の海洋放出の安全性が国際的な第三者機関によって確認されました」です!
しかし、IAEAは、国際的な原子力推進機関です。21年4月に海洋放出する方針を決定したのが、日本政府。その政府から委託されたIAEAの確認書です。
ここに紹介されているように、IAEAの包括的 確認書では、「原子力規制委員会」の対応を評価したり、東電の対応も評価しています。
しかし、県民からは、すでに東電の信頼は失墜しているのです。経産省に戻された原子力規制委員会に対しても同じです。

郡山の平和のための戦争展へ

 15日午後は、夫と出かけ、市公会堂で開催されている「郡山の戦争展」へ。
今年は、岸田自公による戦争国家づくりが進められようとしていることもあり、切れ目なく市民が訪れていました。
我が家の庭に、テッポウユリの花があちこち咲き始めました。

78回目の終戦記念日、憲法9条生かした平和のための外交努力こそ!で

 15日の終戦記念日の街宣を、岡田市議と遠藤市議、県議の神山と3人そろって訴えました。また支部からも1人参加し、4人で2時間半、スーパー前を中心に5ヶ所で訴えました。
突然の土砂降りにも見舞われましたが、市議選直後ということもあり、車の中から大きく手を振っていく人。岡田さん、とわざわざ声をかけていく人。希望ケ丘のスーパー前で、私が大軍拡よりも物価高騰で苦しむ国民の暮らしを守れと訴えていたら、買い物をしてきた女性から拍手を頂きました!

香川京子さんが「ひめゆりの塔」/~郡商出身の太田少尉が「別れの曲」の作詞者

 8/12付けしんぶん赤旗3面。俳優の香川京子さんが、20才の時、今井正監督の「ひめゆりの塔」の映画に出演し、沖縄戦の悲劇を知ったとの特集記事です。「別れの曲」の楽譜が、自宅にあったと写真も掲載されています。
 実は、この「別れの曲」(相思樹の歌)の作詞者は、私の地元、県立郡山商業高校出身の太田博さんです。
私が以前、毎月発行していた「こんにちは神山えつこです」の2001年10月号で、太田少尉について、同級生の森合さんと従兄弟の元高校教師の太田さん、2人(共に故人)にインタビューしています。
太田少尉は、郡商卒業後沖縄に配属され、ひめゆり学徒隊の女学生たちと交流が生まれました。戦場では卒業式もできないだろうと聞いて、詞をプレゼントしたのがこの歌だったそうです。
しかし、太田少尉博は、1945年6月、切り込み隊として25才で戦死。ひめゆり学徒隊もその前日、米軍のガス弾が投げ込まれ、作曲をした東風平少尉と共に「別れの曲」を歌いながら集団自決により爆死。奇跡的に生き残ったのはたった5人だったそうです。
その5人の生き残りの1人が、故宮良ルリさんです。宮良ルリさんは、この年の10月、郡山商業高校を訪れ、同級生の森合さんたちの尽力で、正門そばに建立されている「相思樹の歌」の歌碑を見学。私たち編集メンバーも同行しました。
明日8/15は、78回目の終戦記念日です。改めて、岸田政権による戦争する国づくりを許さず、憲法9条を生かして平和への取り組みこそ進めましょう!

県議団も、復興共同センターのALPS処理水海洋放出中止の宣伝行動に参加!

10日、ふくしま復興共同センターの原発汚染水・ALPS処理水の海洋放出の中止を求める、イレブン署名・宣伝行動に県議団も参加。吉田英策県議が代表して訴えました!