県が全避難世帯へ初調査~家族が離れ離れ5割、入居延長・住み替え要望と心身不調が多数

28日、県生活環境部避難者支援課が、今年1/22~2/6日にかけて避難者意向調査結果を公表しました。これまで復興庁など国の機関が調査したものは何度か公表されてきましたが、県自身が調査するのは初めてです。

本県からの避難者62,812世帯へ郵送によるアンケート方式で実施。住所不明による返戻分を除有効発信数58,627世帯に対し35.3%の回収率、20,680世帯からの回答です。

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避難者アンケート結果を報道する左から福島民報、しんぶん赤旗、福島民友の各社

県の避難者アンケート結果によれば、「半数近くの48.9%(約5割)が2か所以上に分散して生活している」、「避難者の約7割(69.0%)が仮設・借り上げ住宅に居住している」、十住居に対する要望では「仮設・借り上げ住宅の入居延長(40.4%)、住み替えの柔軟な対応(26.2%)」、「心身に不調を訴えている同居家族がいる世帯は67.5%」だったことが特徴的です。

さらに、今後の意向について、県外に避難中の世帯は、「現時点で決まっていない」は36.0%、「現在の県外の避難市町村に定住したい」が26.4%、「被災当時の県内市町村に戻りたい」が17.5%の順でした。

そして、避難市町村に戻る条件は、「放射線量の不安がなくなる」が40.9%と約4割で、原子力発電所の今後の不安がなくなる」も31.7%、「地域の除染が終了する」が27.3%、「避難元の地域が元の姿に戻る」が22.8%、「復興公営住宅への入居が決まる」が21.0%の順でした。

私たちが、これまで避難者との懇談で寄せられ国や県に求めてきた要望と一致しています。県も国もこの調査結果をふまて、原発事故や汚染水対策に国あげて全力を尽くすこと、避難者支援でも緊急かつ柔軟に応えるべきです。

 

桜が満開の中、地元御舘小学校の運動会

60626日、地元御舘小学校の運動会に招待され出席。きょうは、あたたかい晴天に恵まれ、校庭の桜も満開で絶好の運動会日和り。ゴールデンウイークの初日とあって、子どもたちの元気いっぱいの競技に声援を送りながら、体も心もすっかり温まりました。

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後援会の花見と地元の桜

385 先週20日、東部ニュータウンに隣接している花木(かぼく)団地で行われた後援会の花見に参加。この日は少々寒い日でした。花木団地は、福島市の花見山にも匹敵する桜の名所です。郡山地方農民連会長の宗像さんの花木畑を借りて、おいしい団子や鍋ものをいただきながら、久しぶりにお会いできた方にも会えて楽しいひとときでした。

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母の実家では、花見のお休み処を開店中

こちら下の写真は、地元阿ノ山地区の頂上付近の桜。昔からの半鐘がそばに。

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中田町阿ノ山地区の桜

環境・エネルギー特別委員会~除染の遅れ、原発トラブル続きに怒りの意見続出

25日に開かれた県議会の環境回復・エネルギ―特別委員会は、国や東電の対応と、県にも批判続出。さながら「怒りの特別委員会」の様相になりました。

除染の現状や今後の取り組みについて説明を受け、また原発トラブルがまた続いていることに関しても説明したので、私が最初に質問に立ちました。

ちょうど、この日は、下水バイパス問題で国・東電に知事から申し入れたことから、東電の広瀬社長が来庁したばかり。また、夕方には中間貯蔵施設について環境大臣が来県するという日でしたので、再除染についての具体化の方向や、中間貯蔵施設と最終処分場についての県考え方の問題点を質すとともに、相変わらず人為ミスが続いている福島第1原発のトラブル事故への対応について質問。

この中で、17日に県議団が行った政府交渉において、再除染はこれからやり方などを検討するとしていると答弁したことや、「10基廃炉」については、福島原発は東電の持ち物なので東電が判断すべきと国がウソぶいているとんでもない姿勢だったことを告発。県からは厳しく具体的に国に求めるべきではないかと指摘しました。

阿部県議も伊達市の除染の進捗状況に関して、「調査にて終了」としたことを県はどう受け止めているのかなどを何度も追及。

こうした私たちのやり取りを聞いていた他党の県議も質問に立ち始め、「国が前面に出るというが、そうなっていない」、「東電は4月に廃炉カンパニーを立ち上げたが、東電本社はここにまかせて本気で取り組まないことになると思う」とか、「県も東電と同じ文化だ」などと、厳しい意見続出でした。

土木委員会で県南、会津、いわき方面を調査~復旧工事、道路・港湾は急ピッチで整備。人間の復興は後回し。

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22~24日は、土木委員会の県内調査でした。県南・会津・いわき方面を2泊3日で、この広い福島県内を駆け抜けて調査してきたという感じです。

今回は、土木部出先の県南、南会津、会津若松、喜多方、いわきの各建設事務所で事業概要の説明を受け、質疑応答したのちに、道路整備の現場やいわき市田人の土砂崩れ工事現場、会津・いわきの復興公営住宅の建設現場などを視察。いわきでは、大きな津波被害を受けた久之浜、夏井海岸、豊間地区も視察しました。

各建設事務所では、①増額されている出先事務所の予算と職員数との関係について、②歩道と通学路の整備状況、③具体的な工事への対応の課題などについて質問。

いわきなど浜通り地域は津波・地震被害もあり、予算は4倍近く増えても職員が4倍になったわけでなく、また、この3年間で豪雨災害に2度も見舞われた会津地方には新採用の職員が多いため、研修と並行で業務をこなしている状況でした。

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喜多方建設事務所長
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各建設事務所で質問
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いわき市久之浜津波被災地

 

 

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通行止中の県道いわき石川線(田人地区)法面崩落現場

この3年間、安倍政権は日本大震災からの復興を理由に、「国土強靭化政策」で公共事業予算をどんどん増やし、12~13年は1年間でこなしきれないほどの予算がきています。

もちろん災害復旧工事や復興公営住宅など、必要な事業もありますが、2015年度までに完成するとして、トンネル整備に数十億円とか、道路整備に数百億円という、保健福祉部分野の予算に比べてケタ違いの予算が計上されているのです。

さらに、私たちが、ムダづかいだと指摘してきた小名浜東港は、安倍政権の下で国の重要港湾に位置づけられ、それ以降は国の予算で整備されていて、あと4年くらいで供用開始予定です。

その一方で、医療・福祉・教育分野には、わずか1億円程度でも「予算がない」などといって県民要求には背を向けるなど、国も県も予算の使い方が歪んでいます。もっと、人・人間の復興にこそ予算を増やすべきではないでしょうか。今後はハード事業よりも、ソフト事業にも自由に使える予算が必要です。

党県委員会・県議団・地方議員団~原発推進のエネ計画、復興・賠償指針の見直し求め政府交渉

17日、福島県委員会(岩渕友)、党県議(神山、宮本)、地方議員団(二本松の3市議、浪江馬場町議、広野畑中町議、川俣遠藤町議、福島村山市議、いわき伊藤市議)が政府交渉をしました。今回のテーマは、安倍政権が4月に閣議決定した原発をベースロード電源にすえた「国のエネルギー基本計画」の見直し、昨年末に決定した「福島復興加速指針」と「賠償の中間指針第4次追補」について政府の見解を質しました。党国会議員も委員会審議等の合間をぬって、高橋千鶴子衆院議員、紙智子参院議員、田村智子参院議員がそれぞれ同席。

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二本松市議の斎藤・平・菅野市議の3人と馬場浪江町議
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高橋千鶴子衆院議員と共に
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紙智子参院議員、岩渕友さん、福島県議団、川俣、浪江、広野各市町議員ら

4項目と答弁省庁は、(1)東電福島第一原発事故の事故収束について~経済産業省、厚労省、内閣府、(2)賠償について~文科省、経産省、(3)除染について~環境省、厚労省、(4)原発事故による避難者支援について~厚労省、内閣府、国交省、復興庁、総務省でした。

まず、私から福島原発は、収束どころかが故障し、毎日高濃度汚染水漏れが報道されている状態だと厳しく批判。原発の再稼働や海外輸出などありえない。国のエネルギー基本計画を見直すべきと厳しく指摘。

さらに、福島県内は県議会・市町村議会を含めて「10基廃炉」が「オール福島」の声である。「第二原発の「廃炉」は事業者である東京電力が決めること」と経産省が回答したので、安倍首相が第一原発5,6号機を廃炉を決断したから東電も廃炉を決定定したはず。国が決めるべき」と再度質すと、なんと「原発は事業者の持ち物だから」と珍回答したのです。

このほか、賠償や除染、避難者支援などについて、国の対応を追及。避難者の住まいの問題でも住み替え要望への対応含め、政府のこれまでの姿勢はほとんど変わっていません。原発事故から3年たってもなおこんな姿勢では県民は救われません。原発ゼロの福島と日本をめざすたたかいを、被災者と共にたたかっていくことで、新しく切り開いていくしかないことをあらためて感じた次第です。

 

小学校、各高校の入学式へ

4月は地元の小学校や県立高校などの各入学式に出席しました。県立郡山東、安積高御舘高校、郡山萌世高校・通信制のほか、テクノアカデミー郡山校や郡山女子短大・大学の入学式など、今年はこれまでになく多くの学校の入学式に出席してみました。

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私の母校の郡山東高校の入学式~今年は知事が来校。同窓会長さんら。
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議長代理で挨拶した安積高校御舘校
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テクノアカデミー郡山校(旧郡山技術専門学校)

田村市議選告示~田村市でも私の地元でも、安倍政権の消費税増税や原発推進に怒りの声

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13日は、田村市議選の告示日で、木村高雄市議の地元滝根町での第一声と船引町のスーパー前の2か所で応援演説をしました。磐越東線の神俣駅前で行われた第一声には、支持者のみなさんが多数かけつけ、駅前商店街のみなさんも出てきて街頭で聞いてくれました。

安倍政権の下で、4月1日か実施された消費税増税と社会保障の一体改悪、年金引下げや医療・介護の改悪で難民続出する問題、戦争する国にするため集団的自衛権の行使など危険なたくらみ、原発問題では、国のエネルギー基本計画を転換し原発を基盤電源にすえるなど、安倍政権の暴走を批判。

福島原発は収束するどころか、高濃度の汚染水が海へ漏れ続けている大変な状況にある。それなのに、地下水バイパスをつくり海洋に流すことを漁業関係者に迫り、苦渋の決断をさせたばかり。

福島地裁で行われた裁判では、国も東電も加害者責任を投げ捨て、東電は「年間20ミリ以下の放射線量を受けたとしても、それらの人々の法的権利を侵害したことにはならない」とか、「現状回復は技術的にも1企業として金賎的にも実現が困難」などと開き直り、国もこれを容認する態度に終始したと指摘。

また、田村市都路地区がこの4月に旧警戒区域で初めて避難指示を解除したが、解除後1年で精神的賠償を打ち切るというのが国の方針。共産党の木村市議を議会に送って頂くことは、避難者への支援打ち切りをやめさせ、完全賠償を実施させる大きな力になる。市民のくらしと平和を守り、原発ゼロの福島と日本をつくるため、この田村市から実現させていきましょうとよびかけました。

木村高雄候補は、原発ゼロと都路地区などの避難者への分断は許さないと述べ、基金を取り崩し国保税を引き下げるなど、安倍政権の暴走から市民の暮らしを守る決意を表明し、1週間にわたる選挙戦の支援を訴えました。

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さて、午後は地元に戻り、週刊の「えつこ通信」のバックナンバーと費税増税中止と原発ゼロの署名をもって訪問。どこでも署名には快く応じてくれます。県道に歩道をつけてほしいとの要望も受けましたが、私も久しぶりに歩いてみて車がすぐそばを通りぬけ怖い思いをしました。以前にも県へ要望していますが、再度要請します。

最後は夕方になってしまい、あるお宅では作業小屋で友人同士で花見をしていたところでした。「ちょうど原発や消費税のことを話していたところだ」などと歓迎され署名もしてくれました。「原発は廃炉にしなければダメだ。日本には原発はいらない」と真剣な顔で話す人も・・・。久しぶりに地元の方とゆっくり話ができました。

福島県内の市町村議会は、この3月議会までで59市町村すべての議会で原発廃炉の意見書・決議が可決されました。県民は、「原発ゼロ」で一致しています。安倍首相は、この福島の原発被災地の切実な声をまったく無視しているのです!原発をベースロード電源とする国のエネルギー基本計画は撤回を!

県議団~葛尾村の松本村長と懇談

今月3日、県議団で旧20kmで避難指示区域の葛尾村(かつらおむら)の三春町の仮役場を訪問し、松本允秀(まさひで)村長と懇談しました。金谷(きんたに)副村長と松本総務課長も同席しました。

DSCN8408松本村長は、まず原発事故から3年の現状について「こんなに長期にわたる避難になると思わなかった」と感想をのべ、「国は20ミリ以下であれば安全だというがこの線量では安心できない。子どもたちやその親を含めて今後どうなっていくのか、地域産業はどうなるのか、畜産農家も飼料が自給できるのか、米づくりも自給できるのかどうかなど、10人いれば10人みんな違う悩みと不安がある」と述べていますが、まったくそのとおりです。

葛尾村の「避難解除」の時期については、農地の除染も終わっていないため、2015年の2年先になると考えているとのこと。それをすすめるためには、除染についても、宅地から20m入ったところまでしか除染していないが、葛尾村は80%は森林という地域。森林の除染をやらないのでは帰れない人が多い。

DSCN8415農地の除染について、はじめ環境省は国直轄除染なので反転耕でやるとしていたようですが、ここは表土をはぐと下に石ころが出てくる地盤なので、客土する方法で実施しています。

村が、この方法を環境省に認めさせることができたのは、原発事故後から半年かけて村独自に500mメッシュで線量を測定してデータをもっていたからだそうです。しかも、測定は村が緊急雇用で3人雇って調査したというのですから、その発想に感心します。

またこの発想は、山からの引水などを利用している村民の飲料水の安全性の確保のために井戸を掘る費用を助成していますが、村はその費用を東電に賠償請求し認めさせています。このことは、私も2月県議会でも質問で紹介したばかりです。

村の人口が少なく、避難の決断も独自に判断し早めに避難しましたが、比較的村民がまとまって避難できていることは、市町村併をせず小さな自治体だからこそのメリットを十分生かしている対応していることが、あらためてうががえた懇談でした。

夫が退職~長年お疲れ様でした!

IMG00025 夫が、3月末で定年退職しました。実は、大震災・原発事故があった3年前の3月に60歳になりましたが、そのまま同じ職場に勤めていました。この会社に入って23年間でした。全部で40年以上、3人の子どもたちを育てるために働きあげた夫に感謝しています。

私からささやかな花束をプレゼント。会社の職場のみなさんからも大きな花束とランの植木鉢もプレゼントされ、我が家はしばらくよい香りでいっぱいでした。定年後の夫は、我が家の米づくりと野菜づくりに専念します。392