小学校、各高校の入学式へ 4月は地元の小学校や県立高校などの各入学式に出席しました。県立郡山東、安積高御舘高校、郡山萌世高校・通信制のほか、テクノアカデミー郡山校や郡山女子短大・大学の入学式など、今年はこれまでになく多くの学校の入学式に出席してみました。 私の母校の郡山東高校の入学式~今年は知事が来校。同窓会長さんら。 議長代理で挨拶した安積高校御舘校 テクノアカデミー郡山校(旧郡山技術専門学校) 投稿者: e-kamiyama 現在6期目です。子どもや女性、お年寄りにあたたかい政治を!平和・いのち・暮らしを守ります! e-kamiyama の投稿をすべて表示
春らんまんの中入学式おめでとうございます。 入学式おめでとう!桜が満開、紅白の幔幕のなか入学許可され晴れの門出にカンパーイ! ピッカピカの一年生に元気を貰う。議長祝辞を代理された神山先生おめでとうございます。 安積高校御館分校の門標が輝いて見えます。
知事臨席の快挙! 県立100余の入学式ある中を知事臨席は極めておめでたい。郡山東高バンザーイ!また御館分校も光っています。対照的なのが双葉の中心、双葉高校は最後の入学式で、来年から募集停止される。 同校のスタートは難産だった。学校創立のため、泣く泣く、同地方の憲政会議員は全員宿敵政友会に転身させられた。知事が政友会だったためです。また分校など小規模校は続々廃校されるおり、御館校が存続されるのは一に地元民の熱誠の賜物。従って当地の入学式の喜びは、ひときわ輝いている。
学校目線も 市民目線ばかりでなく、時には学校目線を思いやることも必要ではないでしょうか。 御館分校トップも大変のようです。現在のことは差し障りがあるので,古い事例をひとつ。 安積高校教頭兼安積高校御館分校長が辞令の本文。着任してオンボロ校舎なのにヘキエキした。 悪戦苦闘して立派な校舎ができあがった。その片鱗が現在、威容を誇る校門です。仕上がった後 県立学校長に栄転なさいましたが、そのステップでした。しかしそれ以前のステップも大変でした。 郡山市内の高校から濱通りの僻地校に2年間の予定で「中堅教員として派遣」された。いわゆる管理職候補の単身赴任です。そのため、家庭生活が五重生活の窮乏に陥りネを上げ、管理職辞退を申し出たが、逆に激励され在任4年に延期され、首尾よく教頭(分校長)に昇格できた。「男は辛い」ね。 このご仁、生まれは僻地。小学校も分教場、高校も農業高校の分校を経て教育大卒のエリートでした。
いまの新入生が望む職場は雰囲気がよいところなそうです。かつての学校はそうでした。 ご当地の故村上栄美氏「私の半生」(民友新聞)では「アハハ、オホホ」でにぎわったそう。 筆者の駆け出しの頃もそうでした。おおらか、風通しがよく、ゆったりしていた。 いまは、息がつまりそうに見えます。硬直化し平目人間ばかり、忙しい、人事の私物化…。 事例をあげると、○○分校長を命じる辞令ひとつで1千万円の収入が増減するアメとムチ。 アメは(分)校長で入学式では晴れの式辞を陳べ卒業式で卒業証書を授与するが、生活はガタ落ち、なぜなら特別支援校手当て8%がカットされると1千萬の減収となる(退職間際の者は)。 その逆もまた真なりで同額を得する者も出る。ただし特別支援校←→普通校の場合です。 人確法ができてからそれが顕著となった。労組の闘士も知らぬ○○手当てが支給されている。 人材確保法は田中角栄内閣で定立したが人材確保どころか「食い逃げ」された格好に近い。 学校勤務がそれほど多忙なら、まずPTAを食い物にしたぼう大な研究会を改善してはどうか。 解決すべき課題はいくらでもあるが顧みる気配は少しも見えない。
春らんまんの中入学式おめでとうございます。
入学式おめでとう!桜が満開、紅白の幔幕のなか入学許可され晴れの門出にカンパーイ!
ピッカピカの一年生に元気を貰う。議長祝辞を代理された神山先生おめでとうございます。
安積高校御館分校の門標が輝いて見えます。
知事臨席の快挙!
県立100余の入学式ある中を知事臨席は極めておめでたい。郡山東高バンザーイ!また御館分校も光っています。対照的なのが双葉の中心、双葉高校は最後の入学式で、来年から募集停止される。
同校のスタートは難産だった。学校創立のため、泣く泣く、同地方の憲政会議員は全員宿敵政友会に転身させられた。知事が政友会だったためです。また分校など小規模校は続々廃校されるおり、御館校が存続されるのは一に地元民の熱誠の賜物。従って当地の入学式の喜びは、ひときわ輝いている。
学校目線も
市民目線ばかりでなく、時には学校目線を思いやることも必要ではないでしょうか。
御館分校トップも大変のようです。現在のことは差し障りがあるので,古い事例をひとつ。
安積高校教頭兼安積高校御館分校長が辞令の本文。着任してオンボロ校舎なのにヘキエキした。
悪戦苦闘して立派な校舎ができあがった。その片鱗が現在、威容を誇る校門です。仕上がった後
県立学校長に栄転なさいましたが、そのステップでした。しかしそれ以前のステップも大変でした。
郡山市内の高校から濱通りの僻地校に2年間の予定で「中堅教員として派遣」された。いわゆる管理職候補の単身赴任です。そのため、家庭生活が五重生活の窮乏に陥りネを上げ、管理職辞退を申し出たが、逆に激励され在任4年に延期され、首尾よく教頭(分校長)に昇格できた。「男は辛い」ね。
このご仁、生まれは僻地。小学校も分教場、高校も農業高校の分校を経て教育大卒のエリートでした。
貴重なエピソードありがとうございます。入学式に出席した際、校長と生徒たちのことや学校の現状をお聞きするようにしていますが、おっしゃるとおり懇談してわかることがたくさんありますね。
いまの新入生が望む職場は雰囲気がよいところなそうです。かつての学校はそうでした。
ご当地の故村上栄美氏「私の半生」(民友新聞)では「アハハ、オホホ」でにぎわったそう。
筆者の駆け出しの頃もそうでした。おおらか、風通しがよく、ゆったりしていた。
いまは、息がつまりそうに見えます。硬直化し平目人間ばかり、忙しい、人事の私物化…。
事例をあげると、○○分校長を命じる辞令ひとつで1千万円の収入が増減するアメとムチ。
アメは(分)校長で入学式では晴れの式辞を陳べ卒業式で卒業証書を授与するが、生活はガタ落ち、なぜなら特別支援校手当て8%がカットされると1千萬の減収となる(退職間際の者は)。
その逆もまた真なりで同額を得する者も出る。ただし特別支援校←→普通校の場合です。
人確法ができてからそれが顕著となった。労組の闘士も知らぬ○○手当てが支給されている。
人材確保法は田中角栄内閣で定立したが人材確保どころか「食い逃げ」された格好に近い。
学校勤務がそれほど多忙なら、まずPTAを食い物にしたぼう大な研究会を改善してはどうか。
解決すべき課題はいくらでもあるが顧みる気配は少しも見えない。