党国会議員が郡山で調査 / 台風被害で住民と懇談、避難指示解除目前の川内村と懇談 郡山

26日、党国会議員の高橋ちづ子衆議院議員と塩川鉄也衆議院議員が、調査のため郡山に入りました。今回は、台風15号による水害被害の調査と、9月末で川内村が「避難解除」となるため村に戻る上での課題などについて村の考えを伺うためです。

水害の被害を受けた地域の小原田地区の町内会長さんのお宅に役員の方やご近所方など10数人が待っていてくれました。

大雨が降っていたあの晩、市の防災無線はほとんど聞こえず、町会に避難情報があったのは1時間後。しかし、いったん水が引いたので町会役員はいったん帰宅。

しかし、水位があがったのはそのあとだったのです。夜中の12時すぎに電話で知ったが、あっという間に水位が増して連絡もそこそこに避難せざるをえなかったこと。

また、古川ポンプ場が作動しかなかったことは大きい。阿武隈川の水位は86年の大水害、「8・5水害」の時よりも高かったそうです。市の対応の遅れといい、阿武隈川を管理する国の判断も実際はどうだったのでしょうか。

県は、南川で内水面被害対策の工事をしていたはずですが、まだ完成していなかったことも要因ではないかともいわれています。いずれにしても、原因の解明はまだこれからです。

さて、原発事故で緊急時避難準備区域に指定された川内村は、9月末で解除されます。ビッグパレットにある仮役場に行き、遠藤雄幸村長へ挨拶。

遠藤村長は、来年3月頃までには帰村することを明らかにし、まず村内の除染を徹底していく計画を立てたこと。しかし、国が除染の方法や費用面を一向に明らかにしていないことへの不満が口にされ、早く除染支援をと要望されました。

 猪狩副村長からは、ライフラインや買い物先が、これまでは冨岡町など浜通りだったが、その町村はいまや原発事故で戻れないまま。あぶくま山系の峠を超えて行き来するのは、特に冬場が大変になると。道路網の整備、ゴミの収集、雇用対策など、生活できる村に戻すための課題は山積みです。

 

仮設住宅での「無料青空市」は大盛況 ! / 群馬県から3度目の救援物資の支援

 25日、群馬県から武元さん夫妻が、たくさんの支援物資を車に積んで支援にかけつけてくれました。今回で3度目です。

【大盛況の無料青空市】

        【リュック姿が武元さんご夫妻です】

 今回は、富田町の旧農業試験場跡地につくられた2階建ての仮設住宅へ行きました。前日に私が住民の方に話を伺ったら、川内村からの避難者とのことで、ある女性の方がみなさんへ声をかけてくれることになり実現したものです。

 私は会議があって参加できなかったのですが、郡山市内の森さんご夫妻など3人が手伝ってくれました。午前11時から1時間もしないうちに、あっと言う間になくなったそうです。

ただ、仮設住宅は押入れのような棚があるだけで、物をたくさんおけないのが悩みとも聞きました。高齢者の女性からは、コタツがほしいとも要望されました。このところ朝晩めっきり気温が低い毎日です。そろそろ冬支度の用意が必要な季節に入ってきました。

バスもなんとか運行を開始、共産党の泥出しボランティアで被災者支援

  24日は、台風の水害で水没した阿武隈川土沿いの小原田、古川地区などで党の東部後援会で泥出し作業のボランティアをしました。

  きょうも台風一過で日中は真夏のような秋晴れです。どの家も水浸しになった家財道具のあと片付けに追われていました。高橋市議と私などを中心に5~6人ずつのチームで、床上浸水した家を訪問。

きのう訪問したところへ再度伺うと、畳を出すのを手伝ってほしいと要望され、水分を含んで重くなった畳を男性4~5人ががりで外へ。さらに、冷蔵庫やソファなど大きいものを運び出しました。

 

 党後援会事務所周辺では、高齢者の女性が1人でやっているようすだったので声をかけ、みんなで物置の泥出しなどを手伝いました。家は免れたものの、一段低かった物置が水害にあったようです。  荷物を出してみると水を含んでぐっしょりです。ここは、嫁さんもすぐ裏に住んでいましたが、病気で退院してきたばかりで無理がきかず、手伝いの男性と2人で片付けしていました。水道水で泥を洗い流し、ようやく一段落しました。

 

台風15号、郡山市内の一部でボートでの避難など被害甚大

 台風15号は、日本列島各地で豪雨災害をもらし、甚大な被害がでました。

                    【23日付け福島民友1面】

    【地元紙に掲載された同じ場所です。道路の両側には車がびっしりと】

 22日に郡山を通過した台風による大雨で、福島県を縦断している阿武隈川が危険水域に達しました。1986年の8・5水害の時は、この阿武隈川が決壊し郡山も大災害となりました。今回は決壊こそしませんでしたが、内水面被害が甚大です。

 阿武隈川のすぐ西側の一帯と、逢瀬川が一部決壊したことから郡山駅周辺と福島交通バスプールが被害を受け、2日間市内のバス運行が休止する事態になっています。在来線はすでに運休中です。

 きょうは、阿武隈川沿いの床上浸水地区一帯を訪問し、ようすを尋ねてきました。きのうまでは水が家屋の1階部分まで浸かり、ボートで避難したという被害地区です。   私の行きつけの美容室に伺うと、駐車場には泥にまみれた家財道具が出され、泥を水で流している最中でした。その周辺でもきょうは、天気が良くお彼岸でもあるため、みんな家族やお手伝いに来た人たちで泥出しをしていました。

 その時のようすをいろいろ伺う中で、共通して出されたのが、市が内水面被害を軽減するためのポンプ場が故障して運転していなかったこと。それなのに、市から明確な避難指示が届いていなかったことです。そういう意味では「人災」ではないかとの声があがっています。

 幸い犠牲者はなかったようですが゙、ポンプ場があるから8・5水害のようにならないだろうと安心して寝てしまったと言う人もたくさんいました。夜中の3時すぎに、自衛隊のボートで避難したそうです。           【今回故障して稼動しなかったという市の古川ポンプ場】

 地震で家屋が被害を受けていた方も少なくありませんから二重の被害です。地震でこわれた家具を買い直したばかりなのに、全部ダメになったと。ここでは、息子夫婦に赤ちゃんが生まれて退院してきたばかりだったそうです。

 また、アパート住まいで1階に住んでいた若い夫婦は、大家さんから水害はポンプ場があるから大丈夫と聞いていたのに・・・。すべて浸水しになりました。この方の実家は、原発事故で避難している 大熊町でした。           【車庫の屋根近くまでどっぷり泥水につかり、多くの車もダメに】

 いずれにしても、市の対応のあり方と今後の被災者救援の対策が必要です。来週始めには、高橋ちづ子衆院議員も調査に入る予定です。

 【党後援会事務所のわかば会の建物も一部床上浸水。高橋市議などが青年たちときれいに掃除。床下に風を通しています】

 

来年度予算編成向けた各種団体からの要望聴取会

 21~22日は、県議会各会派による各種団体からの要望聴取会が県庁内で行なわれました。     【人工透析などの患者団体、県腎協のみなさん】

 毎年今頃の時期に次年度の予算編成に向けた要望をお聴きするものですが、今年は東日本大震災と原発事故があったことから、これに関連する要望事項がたくさんよせられました。

 特に、県腎協や難病連、視覚・聴覚障がい者団体、共同作業所などからは、今度の災害・原発事故について、情報隠しなどもあって避難する理由が分からず大変な不安の中にいたことがわかりました。

 津波で避難を呼びかけられてもどこへ逃げてよいのかわからない。原発事故に至っては、なぜ避難しなければならないのかの理由を誰にも聞けず、聞いても健常者も情報が何もないパニック状態だったので、本当に不安で心細かったそうです。 

  その一方で、津波も原発の爆発も知らず、避難指示も出たのを知らずに家の中にいた人もあったそうです。また、避難所へ行っても迷惑をかけるからと車の中にいたり、転々とせざるをなかったと聞いて胸がつまりました。

 なお、障がい者を支援するJDFというボランティア組織があり、全国からも支援に来てくれたそうです。災害弱者に対する対応の見直しが、あらためて行政にも問われています。   

 ところで、聴覚障がい者協会から以前から要望され、県議会ではすでに98年に全会一致で採択されているのに、県が実行してこなかった「聴覚がい害情報提供施設」ですが、災害時にも大変有効であり、今度こそ実現してほしいと強く要望されました。これこそ、知事の決断あるのみです。

県災害対策本部へ第24次の申し入れ

 20日、県の災害対策本部に対し、第24次の申し入れを行いました。

 今回は、他県で本県産の農産物が売れないとか、川俣の花火が中止になるなど、風評被害による問題が発生しています。

 これは、住民に問題があるのではなく、放射線の科学的な知識などの情報提供を国がきちんと国民に説明することを積極的に行っていないことが原因の1つであることを指摘し、国の責任で風評被害を生まないような対策を国に求めることと、市町村への支援行うよう求めました。

 国民同士を分断させるのではなく、原因者である国や東電がすべての情報を提供することなど、今度の事故の責任をきちんと果たすべきだと思います。

 

 

相双民商のみなさんへ原発問題・県政報告

 19日、地震津波・原発被害を受けた中小零細業者の団体、相双民商のみなさんへ原発問題と県政報告をしました。相双民商は、これから9月、10月本格的な賠償請求が始まるため、税理士などをよんで学習会を開いたものです。

 私は、3・11以降の特に、原発問題に関して、9/7の県議会の全員協議会東電の西沢社長との質問のやりとりを紹介。

 4年前の07年に、共産党と県議団が福島原発の10基の地震・津波対策をとるよう申し入れていたこと。東電も事故後に認めたように、土木学会も3年前に同様の指摘をしていたが、東電も国も何の対策をとってこなかった「人災」事故であることを指摘。そして、東電として第一、第二原発全10基の「廃炉」をするよう求めたが、明言しなかったこと。

 また、この半年間の放射能汚染の広がりからみれば、国が示した同心円での20キロ、30キロ圏内という線引きは何の意味ももたなかったこと。しかし、この線引きが、10月から本請求が始まる原発賠償請求に深く関係してくること。

 さらに、国の「中間指針」には自主避難や風評被害、精神的苦痛などが入っていないこと。「中間指針」は、あくまでも単なる目安にすぎないこと。指針を超えたものについても請求ができることを述べました。

 そして、領収書などの証拠書類の提出を求めたり、東電との「合意書」の提出まで求めていることを批判し、東電に見直しを求めたこと。 

 今後のたたかいについては、今年7/2に熊本で開かれたシンポジウムの冊子「水俣の教訓を福島へ」(原爆症認定訴訟熊本弁護団)が参考になることを紹介しました。

 原爆症と水俣のたたかいは、長期にわたる健康調査と賠償請求のあり方について福島のたたかいに生かせると思いました。今後、県は200万人県民の健康調査を行うとしていますが、原爆症認定では軽視された内部被曝の影響を含めたきめ細かな基礎調査を徹底して行うこと。

 賠償についても、水俣病のたたかいでもチッソがつぶれたら困るという雰囲気が広がり、賠償請求範囲が狭くなってしまった反省を生かす必要があります。

 東電にも国にも全面賠償を求めていくことが大切であり、いま県も求めている「特別法」の制定をオール福島で国に求めていきましょうとよびかけました。

 最後に、自ら被災した業者のみなさんが、団結して賠償請求運動に立ち上がっていくこと、私たちも共に頑張ることを述べて報告としました。

幻想的な海老根伝統手すき和紙の「秋蛍」~柳橋歌舞伎で地元の中学生が熱演

17日と18日の夜は、中田町の江戸時代から伝わる2つの伝統文化イベントが開催されました。心配されていた台風は、何とか免れました。

海老根地区の伝統手すき和紙は、1年かけて和紙の原料となるこうぞを育て、それを切り出して寒さがつのる12月に漉きます。昔は、正月に新しい障子に張り替えるため、年末に行商して歩いたようです。 それを地元保存会のみなさんが10数年前に復活させ、地元小学校の卒業証書を和紙で作成したのがきっかけです。

 その後、稲穂が実る田んぼの畔道に灯篭にして並べる灯りのページェントを企画するようになり、「秋蛍」のイベントは今年で9年目になりました。柳橋歌舞伎とともに、すっかり中田町の観光名所になり、観光客がバスツアーでやってきます。それでも、今年は大震災・原発事故の影響でここでも観光客が減っています。

 

「義経千本桜」を熱演する御舘中学校の生徒たち。

 

双葉町消防団へ党の義援金~「命を最優先する県政に」と井戸川町長・中田町在住者から県へ富士山頂の復興祈願のお札           

 15日、双葉町消防団へ党中央委員会からの義援金を届けるため、久保田県委員長とともに役場機能を移転している埼玉県加須市の旧騎西高校へ行ってきました。

双葉町の井戸川克隆町長へ義援金の目録を直接手渡し懇談。大震災・原発事故発生後は初めてです。

井戸川町長によれば、原発が爆発直後に国から避難指示があったとはいうものの、どこへ避難すべきかという指示は一切なく、国道114線を西の方面へ避難するしかないと思い受け入れ先として川俣町へ連絡したとのこと。

10キロ圏内の原発立地町でさえ、こういう国の対応ですから、周辺自治体には何の指示もないのもある意味当然だったのでしょう。しかし、国も東電も人命救助よりも原発優先だったことはまちがいないでしょう。

国も東電も「安全神話」をふりまいてきた責任と、重大事故に対応する対策を全くとってこなかった責任は大変重大な過失だと思いました。

井戸川町長の思いは1つ。住民の命を最優先に考えての県外避難だったというものです。県には、県民健康調査をするというのであれば、原発に近いところにいた特に子どもたちの内部被曝検査を一刻も早くやってほしいと要望されました。

 ところで、私の地元中田町在住の方が、匿名で県の復興を願って富士山の浅間神社で祈願してきたというお札が、私の自宅に届けられました。

知事は多忙とのことなので、県災害対策本部の小野生活環境部政策監へ手渡しました。大変りっぱなもので、この方の復興への深い想いが伝わってきます。

17~18日は、中田町の2つの伝統文化行事へ / 海老根地区の手漉き和紙「秋蛍」と柳橋歌舞伎

大震災・原発事故で開催が心配されていた中田町の秋の恒例の文化行事、「秋蛍」と「柳橋歌舞伎」が、関係者のみなさんの熱意で今年も例年どおり開催されることになりました。

写真は、いずれも昨年のものです。

 17日の夕方5:30にオープニング行事を行ない17日と18日に夜だけ開催される海老根の「秋蛍」。これは、海老根地区に伝わる手漉き和紙を使った灯篭を、実りの秋を迎えた田んぼの畔に並べるものです。

夜になるとろうそくの灯りがゆれてとても幻想的です。毎年地元の小中学生の作品もたくさん並ぶので、地元のみなさんの楽しみにもなっています。

 18日の夕方4時からは、江戸時代から伝わる「柳橋歌舞伎」をお楽しみください。演じるのも地元の保存会のみなさんです。会津の桧枝岐歌舞伎も有名ですが、こちらも農村歌舞伎の味わいたっぷりです。毎年、観光客もツアーを組んでこられます。ぜひおでかけ下さい。

なお、詳しいことは、郡山市中田公民館か中田行政センターへお問い合わせ下さい。