県外の避難者から、民間借り上げ住宅の問い合わせあいついで

 31日は、県庁で3日の知事申し入れなどについて県議団会議をしていましたが、朝から電話での問い合わせなどの対応に追われました。

 特に、県外に避難された方からは、民間アパートを借りている人への県の支援があると聞いたので、避難先の市役所に聞くと適用にはならないなどと回答され困っているとのこと。

 県の担当部や災害対策本部に聞いて判明したのは、県が各県へ5/14付けで依頼通知を出しているが、受け入れ側の県で、手続き方法や申し込み書類の様式などを検討中なので、少し時間がかかっているようです。受け付けをしないというのではないので、もう少し待ってほしいとのこと。

 今、同様の問い合わせの電話が県へあいついでいるとのことですが、お急ぎでしたら県外支援チームが担当していますので、直接問い合わせを。電話は024-523-4250です。

6月県議会に向けて政調会                                                                第一原発5号機の冷却が15時間停止でまたも公表遅れ

 30日は、6月県議会に向けた政調会でした。私たち共産党県議団は、各部局から補正予算の要求額や震災・原発事故への取り組み状況などについて説明を求めました。

 6月補正予算の全体規模は約500億円規模となる見込みです。すでに、東日本大震災に対応する経費として、専決補正や5月臨時議会までに計3回、約2,871億円の増額補正がされています。

 6月補正予算は、5月補正に引き続き、国の第1次補正予算を活用して、復旧・復興経費や原発災害に対応する経費、風評被害に対策経費を計上するとしています。

 ただ、避難所や仮設住宅等に避難している高齢者や妊産婦、障がい児、人工透析患者など、いわゆる災害弱者への支援を行なうというのに、県保健福祉部はそれぞれの対象人数を把握していないことがわかりました。

 その一方で、各避難所では県職員が派遣され、入所者の病弱者(人工透析患者なども)、子ども、高齢者などの人数を把握しているのですから、照合すれば済むことです。災害対策本部は、他部との連携、現場や市町村との情報のあり方を改善していくと答弁しました。

 また、県は仮設住宅や借り上げ住宅を5/14付けで県が要件を緩和しましたが、その周知徹底が遅れています。

 特に、県外へ避難している人にも県内と同様に適用することになっていますが、実際に受け入れているのはわずか4県(宮城、岩手、山形、沖縄)にとどまっていることが判明し、他県への周知徹底を急ぐよう求めました。

 ところで、第一原発5号機で、28日夜に原子炉と使用済み核燃料プールを冷やす「残留熱除去系」ポンプが停止していることが見つかり、予備のポンプを稼動させるまで15時間以上かかったため原子炉の水温が一時は94度まで上昇するというトラブルが発生。これは、モーターの電気回路の故障によるもので、幸い大事には至りませんでした。

 しかし、東電が発表したのは翌日の29日朝。問題は、国も県もトラブル発生の約1時間後に通報を受けていながら保安院はすぐに公表せず、県も職員から県幹部に報告されるまで半日もかかったうえ、東電が発表するものと思って自ら公表しませんでした。

 私は、県の姿勢は甘いと厳しく指摘し、生活環境部長に答弁を求めると共に、県自身の判断で、情報は速やかに公表すべきと強く要請しました。

萩市から散髪ボランティア                                                      京都と兵庫からも支援に

 28日、郡山市青少年会館の避難所で山口県萩市から髪のカットとシャンプーの無料サービス「散髪ボランティア」を提供してくれたのは、萩市の美容師の重村さんと運転手の山一さん。朝6時に出発し18時間かけてやってきてくれました。萩市の宮内市議の紹介です。きょうは、男女含めて16~17人から希望がありました。

 【美容師の重村さんは、地元でも介護施設などへ移動散髪車を走らせているそうです】私が訪ねたのは午後2時すぎで、あと2人で終了する時間でした。「カットとシャンプーを終わると、みなさん明るい顔になって戻られます」とは、運転と交渉係の山一さんの弁。

 地元では「ひのきだま(方言で熱意をこめてという意味)」という組織を立ち上げ、移動散髪車「ひのきだま」号を送り出そうと募金を集めてくれたそうです。明日は岩手県宮古市へ向かい、あさって宮古市での散髪ボランティアを予定しています。

  また、昨日は京都と兵庫県から「平和おどり普及会」代表の80代の川井さんと平和のピアニスト池辺さんという元気な女性2人が支援に訪れました。地震被害を受けて引越ししたばかりの党地区事務所でお会いしました。

 きのうもきょうも遠い関西方面から支援に駆けつけていただき、原発放射能汚染で沈みがちの郡山市民や原発立地地域からの避難者をあたたかく励ましていただき感謝しています。

党中央からの第2次分義援金を被災自治体へ届けて                                                復興基本法案の問題点でJAや首長と懇談                                                                                                                                                                                 JAにも義援金を届けて

  25、27、28日は全国から共産党へ寄せられた義援金の中から、第2次分を手渡すため、JAと会津地方の役場をおいている双葉4市町村を久保田県委員長と共に訪問。地元の党議員団も同行しました。

             【JA福島中央会の庄条会長へ義援金目録を届け、懇談】    25日は、福島市内にあるJA福島中央会とJAふたばを訪問。JA中央会の庄条会長は、この日国会の参考人として発言し帰ってきたばかりでした。

  庄条会長は、長期戦のたたかいなると思うしこれからがたたかいの本番。腹をすえて取り組む覚悟だと述べました。

 JAふたばにも義援金を届けました。梅田常勤監事は、地震被災と原発事故を受けて組合員の安否確認が大変だったと話してkてました。

 さらに、27日は、会津地域に仮役場をおいている3町村を訪問。会津美里町内の楢葉町長、会津若松市内の大熊町長、会津坂下町内の葛尾村長へ300万円の目録を手渡すとともに、要望等をお聞きしました。  【楢葉町の鈴木副町長へ第2次義援金の目録を届けて。左は高畑会津美里町議】

        【大熊町の鈴木副町長へ目録を渡す久保田県委員長】

 【あとから大熊町長も参加し、武内教育長などから要望を受ける久保田県委員長(手前)と会津若松市議団、石田大熊町議(右)】

       【会津坂下町の廃校の川西公民館が仮役場となっている葛尾村】              【葛尾村の松本村長、金谷総務課長と懇談】

  28日には、二本松市にある県男女共生センターに役場を移設したばかりの浪江町を訪問。浪江の馬場町議、二本松市議団も同行し、副町長へ義援金をお渡しし懇談しました。 

 このあと、馬場浪江町議とともに親戚の住宅に避難している住民の申請手続きに同行。県の借り上げ住宅の要件が緩和され、すでに親戚宅へ自主避難し家賃を負担していた人も申請できるようになり大変喜ばれています。

県災害本部へ第20次申し入れ                                                       国の復興基本法案、原発事故特別法制定も賠償問題の位置づけ弱く

    26日、県へ第20次の申し入れをしました。今回は、国会で審議されている災害復興基本法案は、本県の原発事故の位置づけが弱く、協議機関は設置する方向ですが、と原発特別法の制定も全面補償の問題も復興会議の枠内に納められようとしています。

 これでは、原発事故に起因するさまざまな賠償、長期にわたる復興支援も必要なのに、それが認められ恐れがあります。浜通りから避難者を始め、県の避難者は県内県外を含めて約10万人にも上っています。

 210万県民のうち、確認しているだけでも10万人以上が放射能汚染を逃れて避難しているという状況は、かつて経験したことがくい、まさに国難です。福島県の復興は、原発の収束抜きにはありえません。

 まして、復興名目で新し都市計画づくりに大手建設業界や経済界などが!“ビジネスと儲けのチャンス”とばかりに震災復興に乗り出してこようとしていますが、被災地のみなさんは震災・原発事故が起きる前の生まれ育ったふるさとに戻してほしい、ただそれだけではないでしょうか。

 第20次申し入れでは、避難所の生活改善と支援の充実を求め、この日要請にこられた人工透析患者に対する仮設住宅での支援なども要望しました。

  県腎協のみなさんから避難所での通院支援や患者に対応した食事の提供などの要請を受ける県議団。

原発・震災事故を受けて県労連、年金者、共同センターが県交渉                                                  線引きせず原発の賠償を

  【年金者組合の松本代表(左)が、県保健福祉部の門馬総務課長へ提出】

 24日、県庁で年金者組合が、年金引き下げの中止を国に求める要望書を県へ提出。

  【県労連の斎藤議長が、県商工労働部石井政策監に要望書を提出】

 また、県労連が原発事故と雇用問題に関する要望書を提出し、商工労働部と県交渉しました。

 県内の雇用環境は、津波や原発・事故で事業所が閉鎖においこまれたり、労働者の休業や解雇が増えるなどさらに悪化しいます。仕事興しとして、仮設住宅への仮設工場や商店を設置を県に提案しました。

 県は、県独自の中小企業支援策として3,000万円上限の無利子の融資制度をスタートさせますが、債務がある人への対策がなければ融資だけでは足を踏み出せないと指摘。

 国へ債務の凍結をさせるよう要望するなど、県の積極的な働きかけを求めました。もちろん、原発の早期収束は大前提です。

 このあと、県共同センターも災害対策本部へ、原発事故や震災対策について要望書を提出しました。

郡山在住の画家、廣長威彦さんの油彩画展                                                                                                                   50年、50点「原点回帰」展からのメッセージ

 市内赤木町にお住まいの画家廣長威彦(ひろながたけひこ)さんの絵画展へ行ってきました。郡山市駅ビルのビッグアイで5/18~22日までだったので、きょう最終日にようやく足を運ぶことができました。

  

 廣長さんは、1960年から岐阜と富山両県の山狭にある合掌造り民家の油彩画写生の行脚をスタートさせています。これを原点に、以来50年にわたって時代とともに急速に減っていく民家を追い求め、油彩からスケッチ取材に重点を移しながら全国を東奔西走。

 これが後年、版画制作へとつながり、スケッチと合わせた絵画展を各地で開催してこられました。昨年、油彩画50年を迎えられたこともあって、今回はこれまでほとんど未発表のもの50点を展示しました。

 私が初めてお会いしてから10数年、私はこれまで版画家だとの印象でした。もちろん油絵を見せていただいたことはあったのですが、もともとは油彩画家だったとあらためてわかりました。

 3/11という日は、大地震を自ら体験され(幸い自宅は無事)、続く津波、そして原発事故、そして遠い昔にはわが師と思える画家と初めて出会った高校時代、そのちょうど5年後にその画家が急逝。廣長さんは、3/11にはそんな思いがあることを明かしてくれました。

 50年と一口でいうのは簡単ですが、1960年から今日までの時代を見つめた油絵をみると、筆づかいの微妙な変化とともにその時代、時代に訴えてこられたメッセージも伝わってくるようです。まさに、50年間の重みです。

 今回の絵画展のテーマの「原点回帰」は、今の私たちにも当てはまるのではないか、そんなメッセージを受け取った気がします。

千葉・東京などからギターライブのボランティア 本県ゆかりの美空ひばりのリクエストも

 20日、三春の知人を通じて千葉や東京など関東圏からボランティア支援をしたいというグループがかけつけてくれたので、ビッグパレットへ案内しました。

 20代の青年がギターでライブをやれるというので、急な申し込みでしたが夕方の夕飯前の時間帯ならOKとなりホールで演奏しました。

  美空ひばりの歌も歌えますと館内アナウンスで流してもらったら、人が集まってきました。夕陽を浴びながら彼の伸びやかな歌声に合わせて、ふるさと、翼を下さいなどをうたっていくうちに、1人の障がい者はすっかり音楽にのって体を動かしたり一緒に口ずさんでいました。音楽のもつ深さに私たちも感動です。

 女性の方からのリクエストもあり、なごやかなうちに30分間はあっという間でした。私自身も昨日までの疲れがウソのように消えていました。

 明日は、三春町内の避難所でも演奏できることになりました。

 ビッグパレットには、1000人近い避難者がいます。女性専用スペースや、カーテンで間仕切りされたスペースもつくられました。その一方で、ダンボールの間仕切りのところもまだまだたくさんあります。

宮川県議が全員協議会で質問                                            

19日は、震災・原発問題での全員協議会が開かれ宮川県銀が質問に立ちました。

  知事に対しては、原発事故の特別立法制定を共に国に求める立場で行動を起こすよう求めました。知事も同意しました。

 また、家屋の一部倒壊に対しては、社会資本整備基金を使って支援できることを国会で大門みきし参院議員への答弁があったことを示し県も支援するよう求めたところ、土木部長もその方向で検討すると答えました。

 また、教育長には、新規採用をしないのは問題であり、これも国は必要な加配を認めていることを示し県の柔軟な対応をただしました。

 また、子どもたちの放射線量からの健康被害を軽減するため、あらゆることを実施していくべきで、学校校庭、保育所や公園などの表土除去への支援などを求めました。

 終了後、常任委員会の採決委員会、そして災害対策の特別委員会の設置のための手続きがあり、全部の議会日程が終了し県庁を出たのは、夜の9時半を過ぎていました。

5月臨時議会の補正予算の説明を聴取                                                                        東京都議団が来庁

 16日は、県当局から5月臨時県議会に提案される補正予算の説明を受けました。すでに県は、3/22と4/15の2回にわたる補正予算を専決で対応しています。

 今回提案された金額は、補正予算としては過去最高の2,200億円強。主に、被災児童生徒の修学や通学経費への支援、一次避難所、旅館・ホテルなどの二次避難所、仮設住宅、民間借り上げ住宅の経費 そして中小企業や農家への無利子の融資資金、公共土木施設や農業施設復旧費、学校(公立、私立)・社会福祉施設・医療施設などの復旧経費です。

 3/11の地震発生、そして第一原発の爆発などで、県内では最多で553ヵ所7万人以上、県外へは全ての都道府県へ約34,000人が避難しています。

  臨時県議会は、5/17~19の3日間開かれました。県庁にきている間、五月晴れの中急に気温があがり日中は汗ばむ陽気に包まれました。

 正面玄関前の花壇に目をやれば、こんなきれいに咲いています。いつもと違うのは、自衛隊や消防車があちこちに置かれ、原発災害発生から70日たっても収束の方向がみえないという異常な日常の最中にあることです。

 18日夕方には、党の東京都議団も調査にこられ懇談しました。都議団も都への申し入れを随時おこない、受け入れた避難所での待遇改善などを求めてくれたとのこと。全国での受け入れ先でのあたたかい支援にあらためて感謝します。