3・11で、大震災・原発事故から丸2周年。全国各地で3・11をはさみ原発ゼロを求める集会が開かれたようですが、福島県の県民集会は3/23、福島市にある県営あづま総合体育館で開かれました。メイン会場の体育館とアイスアリーナを含め7000人が参加しました。
県復興共同センター、県平和フォーラム、県生協連、JA、県漁連、県森林組合、県女団連などで組織する実行委員会が主催したものです。
午前11時から伊達市の霊山太鼓、喜多方市の彼岸獅子、楢葉町の大谷じゃんがら念仏踊りのアトラクションが始まる頃、県内各地、全国からも大型バスで参加者が続々と会場につめかけました。
【郡山のみなさんが到着】
【秋田から伊藤さんら7人で参加】
【郡山から参加されたみなさんと】
県民大集会は午後1時から開かれ、体育館の1階は県内参加者、2階席は全国各地からの参加者で埋め尽くされました。犠牲者に黙祷をささげたあと、主催者を代表し五十嵐史郎実行委員長が、呼びかけ人を代表して清水修二福島大学教授が挨拶しました。連帯の挨拶は、大江健三郎さんの予定でしたが都合で出席できず、ルポライターの鎌田慧さんが挨拶。また、佐藤雄平知事からは、10基廃炉を求めている県の姿勢を示すメッセージも紹介されました。
「県民の訴え」では、7人が訴えましたが、それぞれの訴えに共感して涙がとまりませんでした。共通していたのは、原発は安全なものと思っていた人たちばかりです。まさか原発事故で家族も友だちも普通のくらしもバラバラにされたことがよくわかります。
最初に訴えたのは、JAふたば代表理事専務の篠木弘さん。農家は隣近所、真親戚、家族が絆深く暮らしていたのに、放射能で田畑を汚されふるさとに戻ることもできないと。
相馬双葉漁協理事の佐藤弘行さんは、底引き網の漁師。海は放射能に汚染され、今も主力5品を含む41種類は出荷規制されている。試験操業はたった3種類の漁から始まり、ようやく12種類にまでなったが、風評被害を広げると反発もあった。けれど漁師は魚をとってこそ漁師。今年58歳になるが、もう漁はできないかと弱気も出るが、幸い息子が嫌がっていた漁師になる決意をしてくれた。かつてのように、頻繁に人と魚が行き交う市場を想像して漁師は頑張ると。
唯一10代を代表しての訴えは、この春高校を卒業したばかりの南相馬市小高町の高野桜さん。初めての高校生平和大使となり、スイスのジュネーブで原発事故で被災したふるさとの実態を訴えた。ブラジルや長崎の被曝者と交流した経験も。一時帰宅したときに持ってきたものは、友だちとの写真と友だちからの手紙だった。その自宅はいまネズミやハクビシンが入り込んで動物の糞だらけに。
つらい体験もしたけれど、忘れられることが一番怖い。今は見慣れた風景になったモニタリングポストが設置され、仮設住宅が並び、家族がバラバラになっているかれど、これは普通でないこと。風化せないために、この事実を伝えて生きていくとしっかり堂々と訴えました。
森林組合の鈴木弘さん。国土の7割、福島県の8割が森林。建築用材やきのこ・山菜など環境面でも豊かな恵みをもたらしてくれていたのに、国は除染の優先順位を低くしスタートラインにも立てない状況。雨が降れば川へ放射能が流れ込む。木材になるまでには40~50年かかる。この山で生きていきたい。若い人の夢を奪わないでほしい。人は変われる。原発の再稼動など、これだけのリスクをみればできないはずと。
さらに、県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長の菅野豊さんは、郡山の磐梯熱海温泉華ノ湯の社長です。3・11の地震発生後、お客のキャンセルが次々と入り、組合全体で68万人の予約がいっぺんに消失した。その後は、双葉地方からの避難者など211万人を受け入れた。
その一方で、損害賠償にも取り組み、国や東電に被害の実態を100%原発が原因とする福島方式という損害賠償をつくりあげた。いま震災前の8割程度に回復したとはいえ、壊れた建物の修繕など課題は山積みしている。原発は安全だと鵜のみにしてきたが、放射能とのたかかいは30年も続く。みんなで元気を出していきましょうと。
県外に避難者している浪江町の大越たか子さん。ヨウ素もセシウムも知らなかった。2~3週間ですぐ帰れると思い、簡単な衣類と毛布1つもって車で避難。12時間がかりで栃木県宇都宮にたどり着いた。しばらくは帰れないからアパートを借りたらといわれたときはショックで涙が出た。原発事故から5日目だった。
家族は3ヵ所に分かれて住んでいる。まったく知らない人ばかりの街中にいて涙が止まらないこともあった。ふるさとに戻れるようになった時、新しくつながった人との別れでまた涙を流すでしょう。自宅はネズミとカビに占領され、カギを閉めて戻ってこなければならないつらさ。いつまで根なし草のような流浪の民の生活を続けなければならないのか。早く地に足をつけた普通の生活をしたい。人は、人の力で制御できないものはつjくるべきではありませんと。
最後の訴えは、福島市に在住している福島保養プロジェクトの平井華子さん。当時3ヵ月に息子と2才になったばかりの娘。情報を得たいとインターネットで捜していたらチェーンメールに振り回されたことも。表面的には震災前に戻ったようにみえるが、毎日放射能のことを気にしない日はないと。
【あづま運動公園内では、ちょうど除染作業の真っ最中】
原発はいりません。全国の原発をゼロには県民だけでなく、全国の多くのみなさんの願いだと思います。ところが、きのうから福島県入りしている安倍首相は、きょう24日の記者会見で原発は再稼動すると述べたそうです。いったいどこをみてきたのでしょうか。すでにTPP参加も明言。来年4月からは消費税増税を実施しようとしています。7月の参院選挙で安倍自公政権に厳しい国民の審判を!