29日、二本松で開かれた馬場績(いさお)町議を励ますつどいが開かれました。浪江町議選は、4/11告示、21日投票で行なわれます。震災・原発事故後初めての町議選です。定数は4減の16人。これに対し、現在退任が7人、新人は11人、全部で24人が立候補予定で、多数乱立の選挙戦となりそうです。
馬場績町議は、放射能が一倍濃い地域の浪江町津島に自宅があります。牛も飼っていました。この津島に浪江町民が馬場町長はじめ役場の職員とともに多数避難してきた時、避難所でも大奮闘。しかし、まさかその場所があとでスピーディで判明したように、県内で線量が最も高い場所だったとは・・・。国と東電の情報かくしは本当にひどいものです。
馬場町議は、二本松に避難してからも避難者の支援活動を続けながら、その合間をみて3日に一度は牛の餌をやりに浪江の自宅と往復していました。その牛もその後、手放さざるをえなくなるのですが。
きょうのつどいでは、私も応援挨拶し、斉藤広二二本松市議団長、いわぶち友参議院選挙福島選挙区予定候補も挨拶。そして、浪江町民の方2人も激励の挨拶をされました。そのうちの1人は郡山に避難していた浪江の女性です。
この方は、現在いわき市の民間借り上げ住宅に住んでいますが、わざわざ馬場町議の励ますつどいにかけつけてくれました。実は、私の県議選でも大変お世話になりました。きょうの応援の挨拶では、私が寝ているような時間も奔走して頑張ったと言っていましたが、今度は馬場町議の選挙で頑張ると表明してくれました。
この方との出会いは、郡山の県立高校の避難所を回っていた時でした。郡山商業高校に小学校に、小学校入学前のお孫さんなど家族と避難していました。私は浪江の方と聞き、すぐに馬場町議へケータイで連絡。馬場町議は、衣類などの支援物資をいっぱい車につんでやってきてくれ、そして、他の浪江からの避難者と共に要望をお聞きする会を開きました。議員や町役場から誰も来てくれなかったと言われ、たくさん要望を受けたことを思い出します。
あの頃、高校は新学期が始まるため次の避難所に移ることになって、各市町村から避難者へ連絡が入り、他の避難所へ移動する連絡が次次々と入るのに、浪江町はバラバラに避難したため、郡山にある避難者には町役場からの連絡が入らない状況だったのです。
さて、馬場町議は、町議選に再度挑戦するにあたっての決意を表明しました。28日、東北電力が、浪江・小高原発計画を中止するとの発表にふれ、一貫してこの原発の中止を求めてきたこと。ついに、しかも自分の誕生日に中止の発表があったので、記念すべき日になったこと。そして、「被災者に寄り添った町政をつくるために全力で奮闘する」と力を込めて決意を表明。
県内だけでなく県外にも大勢避難している中での選挙戦は、国政選挙で一定経験しているとはいえ、町議選で1票を争う選挙ではなかなか大変なことです。全国に避難している方にもよびかけを。
2013.3.30 ばば いさお
神山県議様
昨日は心温まる激励ありがとうございました。
驚いたのは、いわきに避難しているMさんとの再会です。
私にとってはサプライズ、いやドラマでした。思い出せば神山さんに案内されて郡商にいッたのが1昨年の4月9日。
そして異例ずくめのこの選挙。勝ち抜くことが恩返しだと思います。またご支援お願いいたします。
思い出しますね。踏ん張っていきましょう。この2年間の筆舌に尽くせない思いと、これからも国・東電とたたかい抜くために馬場さんは議会になくてはならない人です。