被災者に心を寄せた住宅復興政策/塩崎賢明立命館大学教授の講演

28日、県革新懇、県自治体問題研究所、ふくしま復興共同センターが共催の学習会2回目。今回は、福島市で神戸の大震災から復興住宅政策を提唱している塩崎立命館大学教授から「避難している人たちに心を寄せた住宅政策」の講演会に参加。

もっと早く仮設住宅や災害救助法の活用の仕方などを聞けていたらと思いましたが、今後の復興住宅についての講演は、大変参考になるものでした。

災害時の仮設住宅は、プレハブ協会と国や都道府県が協定を結び、災害時に大量に提供するしくみになっていますが、この仮設住宅の環境が悪いことから、追加工事が何度もする事態になっています。

地元の工務店が請負い、材料も人も地元にお金が還元するしくみにすべきであり、その点では阪神大震災の教訓が、今回の震災に生かされていないとのこと。

また、災害救助法には、現物支給の他に現金支給もできるのに、国はその活用もお知らせもしていないと指摘。これを使って活用し、格安の自分で家を建てる支援などを実施している岩手県の取り組みも紹介されました。

今後の復興住宅についての提案も大変参考になりました。公営復興住宅というと鉄筋コンクリートをイメージしがちですが、木造の1戸建て住宅(物置場もある)にすべきという提案は新鮮です。

しかも、木造住宅の良い点は、あとで増築ができることです。東南アジアの津波被害地では最初に小さく建てて、だんだん増していった例もし紹介されました。

復興公営住宅についても木造一戸建てにすれば、維持管理経費をみれば格安の住宅になるはず。そして、地元の工務店が請負えば、地元産の木材利用もでき、地元の仕事と雇用にもつながること。

木造住宅は、被災入居者にとっても精神面で癒され好評とのこと。県内でも、これらに力点をおいた住宅政策をとっていくべきだと思いました。

県議会商労文教委員会の県内視察/避難地域の子どもたちの現状など

今週24~26日まで、私が所属している県議会商労文教委員会の県内視察でした。

教育関係では、飯舘村小学校3校の仮設校舎がある川俣町へ、富岡町の仮設校舎がある福島市の富岡高校と三春町にある小中学校4校・幼稚園を視察しました。

今回の視察で、避難指定区域になった市町村の子どもたち(幼稚園から高校生まで)が、新学期以降どんな状況にあるかを知る機会となりました。

 

 

 

 

 

 

飯館村は、4月から川俣町の民間企業の土地を買い取り、3つの小学校を合同の仮校舎で開校し、220人の児童が学んでいました。仮設の体育館は、日本赤十字の支援で建設したそうです。

 

富岡町は、昨年2学期の9/1に2つの小学校と2つの中学校、そして幼稚園を一緒に開校。ここは、昨年8月に撤退した曙ブレーキ工場の跡地を修理した仮校舎です。理科の実験室や体育館がないため、近くの要田中学校を借りていますが、満足な授業にはなっていません。

児童数も、震災前には小中4校で1,400人もいたのに今年4月時点で70人です。5台のスクールバスで、大玉村・郡山・三春の仮設住宅などから50分程度かかって通学し、教員もいわきや会津から高速道路で1時間強の通勤時間とのこと。

現場の校長先生や教育委員長の話から、原発事故によって今後の先行きがみえない不安や深い苦悩がみえました。私たち議員も原発事故による被害の重い課題をあらためて突きつけられた思いです。

* * * * *

商工労働関係では、南相馬市で「テクノアカデミー浜」と仮設店舗「かしま福幸商店街」、福島市で中小企業向けの融資などをしている「県産業振興センター」、福島医大で医療機器開発やがん治療薬の開発の「医工連携事業」、「土湯温泉町復興再生協議会」、郡山市で「ハイテクプラザ」を視察。

【県立医大内に建物が増設された、がん医薬開発のための動物実験室を視察。ねずみのCTスキャンも】

私は、放射線量を測る測定器も食品などの分析機器も圧倒的に不足していることから、大玉村の地元企業が盲人向けの「しゃべる線量計」を開発し喜ばれていることを紹介し、医大でもハイテクプラザ、産業振興センターでも、県内の中小企業への放射能に関する機器開発や資金面での支援を求めました。

【南相馬市鹿島地区にある仮設店舗「福幸市場」で】

南相馬市の仮設住宅近くに県内で最初にオープンした仮設店舗を調査。国の全面支援と地元商工会や市が関わってスタートしていますが、他の地域にももっと増やすべきです。ただ、敷地内が砂利のままでした。仮設住宅は、私たちも何度も申し入れ舗装になっていますので、ここも舗装にすべきです。お年寄りが手押し車で買い物に来ても不便をきたしているそうです。

土湯温泉復興協議会では、大きなヒントをいただきました。地震で被災し大きな旅館が廃業するなど観光客が激減していますが、地域の復興をかけて協議会を立ち上げ、温泉の蒸気を利用するバイナリー発電と小水力で地元の電気をまかなう地産地消の発電を計画しています。

また、観光誘客についても従来の発想を変え、相馬や南相馬などの沿岸部の被災地、原発放射能の影響地などを直接みてももらい、宿泊は線量が少ない土湯温泉でゆっくり休んでもらうという、まさに逆転の発想で観光ツアーを計画していました。

翌23日の特別委員会で、この土湯温泉復興協議会の調査の例をあげて、県の観光交流や再生可能エネルギーの発想の転換が必要ではないかと県に質したところです。

 

兵庫県のボランティアと仮設住宅を訪問

 

 21日、党ボランティア派遣で兵庫県から党議員や県役員など6人もきてくれました。党中央から4月から郡山にボランティアの担当者がされることになり、郡山には兵庫県の方がきています。
昨年の震災発生後直後から南相馬やいわきなどには派遣されていますが、1年経過した今年4月からは、中通りの仮設住宅や民間借り上げがある福島や郡山などにもボランティアが派遣されることになったものです。

郡山では受け入れ担当のスタッフを決めて、すでに4月初めに第1回目の仮設住宅訪問を始めています。前回訪問時に農業をやりたいので畑を借りたいとの要望がでて、高橋市議が対応しています。

この日は2回目で、私もようやく時間が取れたので郡山市内や兵庫県のみなさんと一緒に、ビッグパレットそばの富岡町・川内村の仮設住宅を訪問しました。

 兵庫県からお米を頂いたので、袋に小分けにして届けると喜んでくれました。仮設での生活要望や病院・介護の問題、家族のようすなどをうかがいました。


仮設住宅は狭いので、若い夫婦は別の民間借り上げアパートなどに住み、高校生はサテライト校の寮に移ったりして家族がバラバラという世帯は多い。高齢者世帯がほとんどで、足が不自由で本当ならベッドを2つ置きたいけれど、狭いので脳梗塞で倒れた夫のベッド1つで我慢せざるをえないという方も。

また、買い物も歩いていけるスーパーが近くにないので、子どもたちや孫たちの車で一緒に出かけるしかないとのこと。仮設店舗があれば助かるといわれました。病院への通院や介護などについては、南東北病院がかかわっているようです。

郡山商工会議所と消費税増税などで懇談/ 被災地郡山商議所は消費税増税反対!

20日、3人の市議団とともに、郡山商工会議所を訪問し消費税増税問題などについてのわが党の提言などで懇談をしました。

丹治商工会議所会頭をはじめ役員の方々など4人で応対していただきました。郡山商工会議所は、昨年の震災で建物の被災を受けため全部取り壊され、現在向かい側の市の建物を借りています。

 その建物の再建から話が始まりました。元々営利事業でやっているわけではないので、建てかえる費用がないこと。会員である地元の商工業者も震災で被害を受けたりして仕事をやめる人もでているため、建設資金を集めるのも大変なこと。国や県、市の補助も受けたいとの要望も出されました。

 消費税増税については、地元の商工会議所として反対だとはっきり述べています。中小業者は、価格に転嫁できず身銭をきっている状態であること。

 また、放射能の影響で、周辺の農産物は売れるのかどうか。農家が元気にならなければ商工業もダメになると・・・。原発・放射能対策では、除染、賠償問題、検査機器、電気料金、水利権まで次々と話が広がり、「黙っていてはダメだ。もっと声をあげていく必要がある」と意見が一致。

 昨年11月27日に、郡山商工会議所が中心となって郡山駅前で郡山市民復興大会を開催し、原発廃炉、税金の減免、子どもたちや市民の医療費無料化など市民の切実な要求を代弁するスローガンを掲げて活動しています。7割を占める中小業者を国も県もしっかり支援していくことは、政治の大事な役割です。

 最後に、郡山商工会議所として、郡山を中止に県内の観光地や農産物、工業製品などを首都圏にアピールするDVDを作成したとのことで、これをいただいてきました。

福島県知事も政府の大飯原発再稼動に意見 / 福島復興再生特措法に基づく計画骨子案提示

12日夜、NHKの県内ニュースを見ていたら、佐藤雄平知事が福井県の大飯原発の再稼動をすすめようとする政府に対して、「福島原発事故の検証がされていない中で、再稼動の議論はじくじたる思い」「再稼動の議論に関わらず、見内原発の廃炉を求める」との記者会見のようすが報道されました。

 

福島県民が今も味わっている原発被災の苦しみを、他県では二度と起こしてほしくないと私は心から願っていますが、知事の発言は当然のことであり、機敏な行動についても評価するものです。

また、17日の地元紙で大きく報道されましたが、福島県のための「福島復興再生特措法」が国会で3/30に通り、31日施行され、その法案に基づいた計画の骨子案が示されました。

私は16日に、県庁控室でその事前説明受けましたが、この法案は、原発事故を受けた福島県のために特別につくられた法案です。国の責任で財政支援も含め原発事故にかかわる今後長期にわたる支援を担保する法案です。知事も昨年4月から何度も要望し、わが党もそれを評価し後押ししてきました。

この特措法の大きな特徴は、知事の提案権と変更権が明記されていることです。もちろん、知事は市町村長の意見を聞くことも求められいます。

私たちは、国や東電による線引きによって、県民同士が分断されがちですが、それに抗して知事を先頭に、「オール福島」で国と東電に迫っていかねばなりません。そして原発ゼロの福島県と原発ゼロの日本にするたたかいを、党派や立場の違いを超えて一致してすすめていくことです。

そのための大きな拠り所として、この「福島復興特措法」を大いに活かしていきたいものです。

仮設住宅が期間延長に/お風呂の追い炊きと物置の設置、保育所への食材分析器も配備が実現

 

厚生労働省は、1昨日、仮設住宅や借り上げ住宅の期間をさらに2年延長(1年経過ごとに再延長の契約を交わす)を発表しました。仮設住宅での住まいも狭く、これも早く復興住宅や公営住宅を建設して、そこへ移れるようにすべきだと思います。しかし、これも建設戸数の計画があるだけで、具体的にどこに建設するか示されていないのです。

 

 

 

【緑ヶ丘の仮設住宅とお風呂】

一方、そうした中でも仮設住宅の追い炊き機能がないためすぐお風呂が冷めてしまうと何度も要望されていました。わが党は再三にわたり国会でも県議会でも取り上げ要求していましたが、このほど山下芳生議員の質問に「追い炊き機能の保温ヒーターなどを認める」と答弁し、さらに、物置の設置についても災害救助法の対象に加えられました。

また、学校給食の食材の検査機器の配備は県でも予算化したものの、保育所は置き去りにされていました。これも国が1/2補助で保育所へ配備することが国会で山下議員への答弁で明らかになりました。ただし、これは福島県だけとのこと。他県からも要望されていたようですが見送られたようです。

ところで、3・11の大震災・原発事故から1年が過ぎ、原発事故で避難指定区域も4/15に次々と解除されましたが、まだ日中だけ戻れるようになっただけであり、とても元の家で生活できるような状態ではありません。 それは、先日相馬市で浜通り農民連のお2人から聞いた話からも明らかです。

彼等は、南相馬市の小高区に自宅や農地をもっていますが、亀田さんが家の片付けに戻ったけれど、どこから手をつけてよいか分からない状態だった。1年も人が住んでいなかったので傷みが相当すすんでしまい、とても戻って住む気にはなれないといっていました。

また、飲料水も出ないので業者に相談したら、途中の配管はあちこち壊れていて、地域全体を改修しなければ引けないとのこと。井戸水を使っていた家庭も多かったので、こちらも対応しなければならないこと。「解除」されても、当分はライフラインの復旧がなければ住めません。賠償についても、「避難解除」に合わせて打ち切ることが懸念されています。

           【相馬市内でも、津波による海水が引けない田んぼがあちこちにみえます】

さらに、農地についても三浦さんの田んぼはまだ海の中にありますし、除塩作業もまだこれからであり、あと何年たったら農業を再開できるかの見通しはない状態です。そのため、他市に農地を求めたそうです。             【津波で壊滅的な被害を受けた相馬市磯部地区は、この道路の向こう側です】

国立科学博物館でインカ帝国展を鑑賞 / 孫との再会

15~16日は、長女と一緒に末娘の孫に会いに行き、15日は、国立科学博物館で、マチュピチュ「発見」100年~インカ帝国展を開催中とのことだったので、新幹線を上野で降りて鑑賞してきました。


 日曜日だったせいか大変な人出で、館内は大渋滞。それでも、お昼前に入ったので入場は待たずに済みましたが、午後は入り口に長い行列ができるほどの盛況ぶりでした。6/24までの開催です。

 

 

 

 

 

 

 

アンデス・ペルーに生まれたインカ帝国の始まりから滅びるまでと、その後のインカについてまでを第1~3部のコーナーで紹介。すわった状態のミイラが、数体展示されていたのも今回の大きな特徴ではないかと思います。

そして、第4部はマチュピチュへの旅。最後の部屋では大きなスクリーンで3Dの映像をグラスをつけ鑑賞。そこにまるで自分が降り立ったような臨場感が味わえますが、3Dはちょっと変な気分にもなります。たっぷり、2時間近くかかりました。

 

上野公園内は、この他ボストン美術館、国立近代美術館、上野動物園もあっていろいろ楽しめます。今度はそちらにもぜひ見に行きたいと思います。

 

 さて、娘たち夫婦のところには夕方着いて1晩泊めてもらいました。婿さんが腕をふるって手料理を準備してくれている間、こちらは孫と2度目の再会をゆっくり楽しんで・・・。昨年11月、私の県議選の最中に生まれた初孫はちょうど5ヶ月になりました。

 娘は母乳がたっぷり出るらしく、ほっぺが落ちるくらいぷっくり太って、体も女の子とは思えないくらい重くしまっています。名前を呼ぶと、一生懸命笑ってくれるのがホントうれしいものですね。

県議団で、新潟市の避難者と相馬市の仮設住宅を訪ねて懇談

11~13日、5人の県議団の視察を行ないました。新潟県の県外避難者からの聞き取りをするため、11~12日に新潟県庁や新潟市内の避難者交流センター「ふりっぷはうす」を訪問。また、13日は相馬市へ行き、浜通り農民連との懇談、津波被害を受けた相馬市民が避難している仮設住宅を訪問し懇談しました。

【新潟県党県委員会で、竹島県議(私の左)と新潟市議団の3人】

11日夕方、新潟市内で県議と市議団から3・11以降の避難者受け入れ状況などについて意見交換しました。新潟県には現在6,800人が新潟市をはじめ各市町村に避難していますが、この1年、新潟県の共産党は議員もかかわってそれぞれの地域で福島県からの避難者を受け入れ、あたたかい支援を続けています。

新潟県は、中越地震と07年の中越沖地震被害を受け、日本で初めての原発被災も経験していています。その経験を生かし、全国からの応援を受けた恩返しと受けとめて、各地で福島県からの避難者もあたたく迎えてくれています。

私からもあらためて感謝を述べ、さらに、原発被災についても当時の福島県議団が刈羽原発を視察して東電に地震・津対策を求める申し入れをしたこと。しかし、東電はそのき教訓を生かさず対策をまったくとってこなかったことが、甚大な被害となり1年たっても復興に向かえないでいること。同じ東電の原発立地県どうし、今後も互いに連携して原発ゼロの日本をめざしていこうと話合いました。

 

12日は、新潟県庁でまず危機管理政策監を表敬訪問したあと、県外避難者の広域支援対策課の加藤課長さんから避難者の受け入れ状況などについて説明を受けました。

【新潟県の広域支援対策課の加藤課長さんから説明を受けて】

 新潟県では、災害時の緊急対応だけでなく長期にわたる避難は続くだろうとみて、広域支援対策課を5/18に立ち上げ、福島県からの避難者支援にあたってきたとのこと。

福島県からも職員を派遣していますが、昨年1年間は2~3ヶ月交代で、今年4月からは1年間の常駐配置となり県職員2人を派遣しています。この日、赴任したばかりの県職員2人も私たちの訪問に同行してくれました。

新潟県の担当課からの聞き取りから、従来の災害救助法の枠内では、このような原発事故と放射能不安による広域避難への対応ができないことが多く、災害救助法そのものの見直しと救助法枠を超えた柔軟な対応ができるような制度の拡充が必要なことがわかりました。

また、避難者支援についても、警戒区域からの避難者と自主避難者とでは国が線引きしていることから、窓口にこられた避難者は等しく支援したいと思ってもできないこと。国・東電による線引きは、県民の分断を招いています。

さらに、高速道の無料化の「継続」も要望されました。新潟県では現在、新潟~郡山間の高速バス代の補助制度を検討していることが、竹島県議の指摘で明らかになりました。

しかし、これはむしろ福島県として対応すべき問題です。もちろん、国が高速道路の無料化を継続し、自主避難者にも対応できるようにすべきです。

12日午後は、新潟市東区にある避難者交流支援センター「ふりっぷはうす」を訪問しました。代表の村上さんから避難者受け入れの実状をうかがったあと、避難しているおかあさんたちからも要望をお聞きしました。

ここには、双葉地方の人もいますが、福島市や郡山市などから自主避難している方も多く、経済的な負担や子どもの医療費の窓口無料化、保育所入所、住民票の扱いについての他、放射能被害の内部被ばく検査体制、住宅の二重ローン問題、高速道路の負担軽減などについて次々と要望や疑問が出され、また、これらの福島県の対応がみえにくいことが共通の意見でした。

さて、13日の視察は相馬市内へ行き、午前中は浜通り農民連と懇談。農家の除染や今後の農業経営について意見こ懇談。賠償問題では、賠償金の課税問題なども出されました。

 

 

 

午後は、津波・原発事故直後から店を再開し、弁当や食材を提供するなどして支援を続けた中島ストアの中島さんの案内で、仮設住宅のみなさんと懇談しました。

 

ここの仮設住宅には、津波被害で自宅が流出した人が多く、漁師も多くいました。東電の財物保障はどこまでみてくれのか、いつまで仮設に住むことになるのか、津波危険区域となったが復興住宅はどこにつくる計画なのか、業業は再開できるのかなど、いまだに先が見えないことの不安が次々と話されました。

 

 

母校の高校入学式、震災復旧工事を急いで!

 9日、私の母校郡山東高校へ来賓で出席しました。今年は午後からの入学式で、新1年生は320人です。

【校舎の柱は、地震によるひびが縦に走っています】

昨年の震災で南校舎が被災しましたが、郡山東高は耐震補強で対応するそうです。今年度中に工事完了の予定とのことです。

生徒たちは当初体育館での授業を余儀なくされ、昨年半ばからは校庭に設置された仮設校舎で授業を受けています。仮設は生徒たちが歩くだけでも建物が揺れるそうです。学校側からも、前倒しでの工事完成をと要望されました。

このような学習環境のことは新1年生代表の挨拶にもありましたが、仮校舎から1日も早く落ち着いた元の環境で学習や高校生活が送れるよう、私からも県に求めていきたいと思います。

 

三春滝桜は、4月20日前後が満開? / 小松祝正さん絵画展

9日は、気温も10度以上になり、春らしい晴れやかで暖かい日でした。                 まだ、三春の滝桜はつぼみもみえません。

                        【小沢の桜~田村市船引町】

田村市船引町文化センターで開かれている小松祝正さんの絵画展へ行ってきました。会期は、今月7日(土)~15日(日)まで(AM9:00~PM5:00m)開催中です。

小松さんは、田村市大越町にお住まいの方で、現在、日本芸術文化協会副会長、日本芸術家連盟副会長、太平洋美術会会員です。

 今年は2年ぶりとのことですが、小松さんは大震災・原発事故があったこの1年も精力的に描き続けていました。今回のテーマは『東日本大震災復興祈願』で、約80点を展示しています。

                      【波立海岸~いわき市久ノ浜】

原発で避難を余儀なくされている大熊町や浪江町など、浜通りの四季折々のなつかしい風景が多数展示されています。 小松さんにうかがったところ、これら故郷の風景をみて涙ぐんでいた方もいたそうです。

 

船引町へ行く途中に、三春滝桜のそばを通ってきました。先週も行きましたが、今年は寒い日がいつまでも続いているため、ほとんどつぼみもみえません。

三春は梅、桃、桜が一緒に咲くので「三春」というのですが、梅もまだほんの少しつぼみをもった程度です。 駐車場係りの方に伺ったところ、今年の見ごろは例年より遅く、4/17~24日頃かとのことでした。樹齢1000年以上の古木の枝垂れ桜です。私の地元中田町には、滝桜の子孫の枝垂れ桜がたくさんあって、いまや桜めぐり観光コースに入っています。

それにしても、昨年の今頃は大震災後でしたが、桜が咲いていたはずなのにほとんど記憶になく、今思い出しても風景には春らしい色がついていないのです。 原発事故が起きてそれどころではなく、水もガソリンもないので、ほとんど出かけられなかったせいなのでしょうか。