県議団で、新潟市の避難者と相馬市の仮設住宅を訪ねて懇談

11~13日、5人の県議団の視察を行ないました。新潟県の県外避難者からの聞き取りをするため、11~12日に新潟県庁や新潟市内の避難者交流センター「ふりっぷはうす」を訪問。また、13日は相馬市へ行き、浜通り農民連との懇談、津波被害を受けた相馬市民が避難している仮設住宅を訪問し懇談しました。

【新潟県党県委員会で、竹島県議(私の左)と新潟市議団の3人】

11日夕方、新潟市内で県議と市議団から3・11以降の避難者受け入れ状況などについて意見交換しました。新潟県には現在6,800人が新潟市をはじめ各市町村に避難していますが、この1年、新潟県の共産党は議員もかかわってそれぞれの地域で福島県からの避難者を受け入れ、あたたかい支援を続けています。

新潟県は、中越地震と07年の中越沖地震被害を受け、日本で初めての原発被災も経験していています。その経験を生かし、全国からの応援を受けた恩返しと受けとめて、各地で福島県からの避難者もあたたく迎えてくれています。

私からもあらためて感謝を述べ、さらに、原発被災についても当時の福島県議団が刈羽原発を視察して東電に地震・津対策を求める申し入れをしたこと。しかし、東電はそのき教訓を生かさず対策をまったくとってこなかったことが、甚大な被害となり1年たっても復興に向かえないでいること。同じ東電の原発立地県どうし、今後も互いに連携して原発ゼロの日本をめざしていこうと話合いました。

 

12日は、新潟県庁でまず危機管理政策監を表敬訪問したあと、県外避難者の広域支援対策課の加藤課長さんから避難者の受け入れ状況などについて説明を受けました。

【新潟県の広域支援対策課の加藤課長さんから説明を受けて】

 新潟県では、災害時の緊急対応だけでなく長期にわたる避難は続くだろうとみて、広域支援対策課を5/18に立ち上げ、福島県からの避難者支援にあたってきたとのこと。

福島県からも職員を派遣していますが、昨年1年間は2~3ヶ月交代で、今年4月からは1年間の常駐配置となり県職員2人を派遣しています。この日、赴任したばかりの県職員2人も私たちの訪問に同行してくれました。

新潟県の担当課からの聞き取りから、従来の災害救助法の枠内では、このような原発事故と放射能不安による広域避難への対応ができないことが多く、災害救助法そのものの見直しと救助法枠を超えた柔軟な対応ができるような制度の拡充が必要なことがわかりました。

また、避難者支援についても、警戒区域からの避難者と自主避難者とでは国が線引きしていることから、窓口にこられた避難者は等しく支援したいと思ってもできないこと。国・東電による線引きは、県民の分断を招いています。

さらに、高速道の無料化の「継続」も要望されました。新潟県では現在、新潟~郡山間の高速バス代の補助制度を検討していることが、竹島県議の指摘で明らかになりました。

しかし、これはむしろ福島県として対応すべき問題です。もちろん、国が高速道路の無料化を継続し、自主避難者にも対応できるようにすべきです。

12日午後は、新潟市東区にある避難者交流支援センター「ふりっぷはうす」を訪問しました。代表の村上さんから避難者受け入れの実状をうかがったあと、避難しているおかあさんたちからも要望をお聞きしました。

ここには、双葉地方の人もいますが、福島市や郡山市などから自主避難している方も多く、経済的な負担や子どもの医療費の窓口無料化、保育所入所、住民票の扱いについての他、放射能被害の内部被ばく検査体制、住宅の二重ローン問題、高速道路の負担軽減などについて次々と要望や疑問が出され、また、これらの福島県の対応がみえにくいことが共通の意見でした。

さて、13日の視察は相馬市内へ行き、午前中は浜通り農民連と懇談。農家の除染や今後の農業経営について意見こ懇談。賠償問題では、賠償金の課税問題なども出されました。

 

 

 

午後は、津波・原発事故直後から店を再開し、弁当や食材を提供するなどして支援を続けた中島ストアの中島さんの案内で、仮設住宅のみなさんと懇談しました。

 

ここの仮設住宅には、津波被害で自宅が流出した人が多く、漁師も多くいました。東電の財物保障はどこまでみてくれのか、いつまで仮設に住むことになるのか、津波危険区域となったが復興住宅はどこにつくる計画なのか、業業は再開できるのかなど、いまだに先が見えないことの不安が次々と話されました。

 

 

投稿者:

e-kamiyama

 現在6期目です。子どもや女性、お年寄りにあたたかい政治を!平和・いのち・暮らしを守ります!

「県議団で、新潟市の避難者と相馬市の仮設住宅を訪ねて懇談」への1件のフィードバック

  1. 「頼まれれば越後から米搗きに来る」ということばを思い出しました。新潟の方々はホントに情け深い方々ばかりです。
    いろいろとご支援賜り、感謝で胸がいっぱいです。被災早々新潟出身の歌手小林幸子さんがさっそく飛んできて相馬市民にどっさりおコメを配って慰問されたことが忘れられません。新潟地震の際の恩返しだと言っておられました。
    今後ともよろしく交流のほど、おねがいいたします。

    なお、わたしは戦友会で新潟の人々と交流を深めていましたが、このごろはご無沙汰の年ごろとなりました。
    しかし、新潟ー郡山の距離の遠いのには悩まされました。本県でも磐越の交通にいっそう励まれるよう祈っています。

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