5/20、郡山市大槻町にある原発避難自治体の富岡町役場郡山事務所を県議団で訪ね、宮本晧一富岡町長と懇談しました。県議団からは私と宮川えみ子県議、吉田英策県議の3人、富岡町からは町長と伏見総務課長が応対。斎藤紀明副町長とも挨拶を交わしました。
富岡町は、帰還困難区域、居住制限区域、避難解除準備区域の3つの避難区域に分かれています。住宅除染は99%くらいまで進み、フォローアップ除染もしている。除染にあわせて家屋解体ができることを、住民に理解されないでいるため、メリットも含めて周知を図っているとのこと。
宮本町長は、早ければ来年4月の帰還をめざしているが、すでに昨年4月の段階で職員訓示で表明した。そして、昨年6月に町の第2次復興計画をまとめた。診療所は、公設民営で行う予定で、今村病院がいつか再開をとスタッフを抱えて待っていてくれたので、秋の開所を目指し準備している。
津波被害を受けた富岡駅の周辺一帯は、3・11以前から区画整理事業を実施していた地域でした。全体計画22haのうち18ha(約81%)まで進んだ時点で大震災・津波、原発事故が発生。帰還する来年3月末までには、一部縮小見直しして早く本換地にしたい。また、ここに町の災害復興公営住宅の建設を予定しているが、すでに住民が仮換地されている土地が間にあるため、国は地続きの土地でなければ認められないとし、先に進められないでいる。国の柔軟な対応をと要請も受けました。
さらに、富岡町は、法務局・ハローワークなど国の機関や県の振興局などが置かれていた町でした。帰還や復興をいうのであれば、まず国や県の出先機関を早期に戻してほしい、とはもっともです。
全国47都道府県すべてに富岡町の避難者がおり、国外(中国、フィリピン、タイなど)に13人。県内には1万1,000人で、そのうちいわき市に事業所が移った関係などで6,300人。役場がある郡山市には、3,500人から現在2,700人に。
感心したのは、富岡町が、「帰還する」「帰還しない」の二者択一の選択肢だけでなく、「長期待機」という第3の道も示していることです。これを提唱しているのは避難区域の中で富岡町だけと強調されました。また、今後の復興めざすまちづくり検討会メンバーも、学者や有識者のほか、農・商・工の代表、女性や住民代表と、若手から中堅どころの町職員がメンバ―に入って一緒に進めています。
県議団は、国会議員とも連携し、国や県へ避難者に寄り沿った対応を求めていきたいと思います。