京都府議団が本県を視察、被災カンパも頂いて

27日、京都府議団が本県の視察にこられ、県議団と懇談しました。被災カンパもよせていただきました。

京都府議団は現在11人。この日来県されたのは9人と事務局6人です。南相馬市の小高区に現地視察され、夕方県庁控室にこられました。私たちもこの日はちょうど県議団会議があったので、5人そろって懇談しました。

私たちは、震災・原発事故から1年半になろうとしてしているのに、一向に除染も賠償も健康支援もまだまだこれからという状況であり、原発事故の異質な危険と被害について実態を報告。府議団からは、現地をみてきた感想や、甲状腺がん健診や母乳検査について、除染問題、原発サイト内の現状などの質問が出されました。

夜は、少々お酒も入って、震災・原発事故当時のようすや全国で原発ゼロをめざそうと感想を出し合い、楽しい交流会でした。他県からの視察団のみなさんに話を聞いてもらうだけで、心の重荷が晴れる思いです。

府議団は、翌日岩手県の被災地も視察されていくとのことです。

いわき市議選目前/宣伝カーで政策を訴えて

 いわき市議選は9/2日告示、9/9投票で行なわれます。共産党は現職の4人が立ちます。

25~26日、いわき市へ市議選の支援へ入りました。きょうは宮川県議の地元で伊藤市議の勿来地域へ入り宣伝カーで政策を訴えました。8月も終わりだというのに、連日30度を超える真夏のような猛暑です。暑い中での街頭宣伝でしたが、車の中からも良く手を振ってくれます。さすが、宮川県議・伊藤市議の地元です。

【宮川えみ子県議と選挙事務所で】

宮崎県母親連絡会が郡山に宿泊/浪江馬場町議と原発被災の実態を報告

24日夜、郡山市熱海の温泉の宿泊された宮崎県母親連絡会のみなさんへ原発被害の実態を報告させていただく機会がありました。新潟で開かれる日本母親大会へ向かう途中、被災地応援もかねて郡山へ1泊して頂いたとのこと。

 

 夕食時に、原発事故とその被害の実態について報告する機会をいただきました。浪江町の馬場町議と私が話をさせていだき、また食事をしながら質問も受けました。

 みなさんからは、ねぎらいの言葉とともに、共に国と東電に責任を求めていきましょうと連帯のあいさつもあり、あたたかい交流ができました。全国にまた仲間が増えて心強い限りです。

【私の「東京電力とたたかって15年】の冊子をプレゼント】

商労文教委で長崎県を視察/浮体式洋上風力発電・電気自動車の実証実験地

21~23日、県議会の商労文教委員会で長崎県を視察しました。今回は特に国の補助を受けて五島市で実証実験を行なっている浮体式風力発電(戸田建設)と電気自動者のまちづくりの取り組みを調査。

採算面からはどうなのかはまだ実験段階なのでこれからだと思います。風力発電は、環境面からもいろいろ検討すべき課題があると思います。電気自動車の方は、わが県でこそ実験してみるべきだと思いました。

【模型を使っての説明~棒の下の方におもりがついている。棒は海底に固定した4本の鎖とつないである】

     【海上タクシーで五島市の椛島沖へ】

【海上に浮かぶ実験用の風力~発電はまもなく始まるそうです。実際には、この2倍の大きさの風力に】

【電気充電するスタンド】

 

【左側は急速充電スタンドから充電。右側は家庭用の蓄電池から充電】

五島市では、国と県から100%補助で市内の観光用レンタカーやタクシーの一部で導入され運行中。

試乗させてもらいました。スイスのツェルマットで電気タクシーに乗ったばかりだったので同じでしたが、音がほとんどしないとやはり歩行者にはわかりにくりでのではないかと思います。

また、充電スタンドの設置と家庭用の充電機器の設置を導入するしくみをつくる必要があります。原発廃炉を国が決断し、財政面でも導入しやすい仕組みを早期につくるべきです。福島県内でも国が支援し早く地域で始めてみるべきでしょう。

ところで、長崎市では原爆資料館にもいきました。ファットマン(太っちょ)とよばれる長崎に投下された原子爆弾の模型。広島型よりも確かに太い。広島はウラン爆弾、長崎はプルトニウム爆弾でした。この原爆で死者7万人以上、重症負傷者を含め15万人以上が犠牲になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【1945年8月9日午前11時2分に投下された長崎市爆心地の模型】

被災3県の党県議団が厚労省大臣政務官と経産副大臣へ要望書提出

20日、東北の被災3県の県議団は、高橋ちづ子衆議院議員の同席のもとで、厚労大臣政務官と経済産業副大臣に対し、10月以降も被災地の医療の減免の継続と中小企業へのグループ補助金の継続を求める要望書を提出し懇談しました。

これは、9月末に政府の支援打ち切る動きになっているので、この2点に絞って急遽政府交渉したものです。福島県議団からは私と阿部県議、そして渡部チイ子衆議院選1区予定候補の3人が出席。また、宮城県議団と岩手県議団がそろって参加しました。

 衆議員議員の藤田一枝厚労大臣政務官は、私たちの要望に対し「被災地の現状を聞かせてもらってよく実情がわかった」とのべつつも、「国民の税金を使っているのでいつまでもというわけにはいかないが、なるべく要望に応えられるようにしていきたい」と答弁しました。

  また、参議院議員の柳澤光美経済産業副大臣は、福島県の原子力災害現地対策本部も担当していますが、グループ補助金の継続について、こちらも税金なのでどこまでももとというわけにはいかないがと述べたので、私からも「せめて申請しても補助金が足りなくで受け付られなかった分については追加してほしい」と要望しました。

しかし、どちらも政治家としての発言の色合いが濃いもので、9月末で打ち切りさせないよう、働きかけを強める必要があると感じました。被災3県の実態をよくみて判断してほしいものです。

 

知事へ被災者支援のさらなる充実と継続を求める申し入れ/宮城県議団、東京都議団の視察/県職員の点字採用試験を認めて!と県へ要望

17日は、朝から夕方まで宮本しづえ県議と共に、来客や要望・申し入れなどであわただしい1日でした。

午前中は、県庁内で宮城県議団4人全員と東京都議団2人が来県し、そろって本庁内で県の説明を受けました。県の除染対策、原発賠償問題、18歳以下の子どもの医療費無料化についての調査です。それぞれ担当課から聴取。私たち2人の県議も同席しました。

 

午後は、県視覚障がい者協議会のみなさんが、点字採用試験の導入を求めて県と懇談。きょうは、県職員採用試験を受けたいという本県出身の視覚障害者の大学生ご本人も参加。

今年6月県議会では私も質問しましたし、請願も全会一致で採択されたばかり。しかし、県は他県を調査してきたがまだ検討中であり、近いうちに本人あてに回答すると答弁するにとどまりました。

3時半からは、知事あての申し入れ書を提出。被災者支援等の充実と継続を求め、県委員長とともに県へ申し入れをしました。村田副知事が応対しました。

国は、被災地の医療費等の減免措置や入院期間の緩和措置などを9月末で打ち切る方向を示していますが、国は原発被害を受けた県民は、まだまだ避難が続いている現状をみようとしていません。

その前提となっている「事故収束宣言」の撤回、東電の録画記録については一部公開にとどまらず全面公開を国へ求めること。県内自主避難者への支援、県の給付金の柔軟対応などを求めました。

 

相双民商・相馬地方卸個買・仲買組合が東電と賠償交渉

9日、民商県連・相馬地方の卸個買・仲買組合のみなさんが、弁護士とともに県庁内でこの間の賠償請求で闘ってきた経緯と成果、今後の運動などについて記者会見を行ないました。さらに、東京電力と賠償問題で交渉。私も同席しました。

 

参加したみなさんや県連からは、最近東電の賠償窓口の対応のあり方や、書類提出の強要などを含めて強圧的な姿勢について質すとともに、これまでの対応でお互いに確認してきたやり方を再確認させる場面が少なからずありました。

また、東京電力は、昨年の事故発生した3月と4月分、加工業者・小売業者は4~5月分という差を設けた理由ついてあらためて見解を求めましたが、納得できる回答はでないため、後日現場も見た上で文書での回答を求めました。

一方、参加者からは津波で漁港が壊れても、3/27の魚介類の出荷停止がでるまでは、漁業者たちは壊れていない船を集めて再開に向けて準備をすすめていたと実状を述べました。 言い換えれば、原発事故さえなかったら3月下旬の時点で漁業が再開できたはずなのです

しかし、東電は事故は津波によるものであり、賠償の対象にならないと一貫して主張しています。事故の検証作業もされていないのにどうして津波の生だと断定できるのでしょううか。賠償に関わってくるので、事故をできるだけ小さくみせようとしている姿勢がありありです。

津波で亡くなった遺体の復元ボランティア、女性納棺師・おもかげ復元師/ラジオ福島の番組で紹介

毎週月曜の夜7時~9時のラジオ福島の「月曜Monday(もんだい)夜はこれから」は、大和田新アナの今年4月からの新番組で、インタビューしたり討論させたりしている番組です。

実は、私も今年7月9日、この番組に20分間でしたが共産党県議として電話出演させていただきました。福島の復興についてがテーマで、消費税増税問題、TPP、原発再稼動など20分の持ち時間で本県選出の吉野正芳衆議院議員と意見を交わすというものでした。

このラジオ番組は、ユーストリームでインターネットでも見ることができます。ただ、私が出演した時間帯とその前に出演した公明党県議が話をした約1時間の部分は、なぜかユーストリームにつながらず、ちょうど私の話が終わったあとから配信されています。

私が、消費税増税問題などを批判した意見を述べたせいかどうかはわかりませんが、みなさんにも録画でみてもらうことができなくなって非常に残念です。

さて、きょう8/6の今夜は、岩手県北上市の復元納棺師、笹原留依子さんの活動の紹介でした。彼女が関わった遺体とその家族について書いた本の朗読を聞いて涙がとまりませんでした。

女性の納棺師というのは、私は初めて知りましたが、この方は東日本震災の津波で亡くなった損傷激しい遺体の復元ボランティアをされています。

写真も流されてしまってない中、遺族の方から話を聞いて生前の姿を想像して元に戻していくというのです。顔だけでなく、必要とあれば手や足も復元して家族と対面させる。これまで300人復元したそうで、福島県でも行なっています。

今年1月、社会に喜びや感動を与えた市民に贈られる「シチズン・オブ・ザ・イヤー」賞を受賞されました。

今週、笹原留依子さんが出版した「おもかげ復元師」「おもかげ復元師の絵日記」がポプラ社から発売されます。また、NHKテレビが、今月17日夜10時から彼女の活動を放映するそうですので、あわせてご紹介します。

仮設で暮らす原発避難者の思いを共有して~東京からバスで参加

8月6日、きょうは広島に原爆が投下されて67年たちます。原発は、この核兵器の「平和利用」などといって推進してきましたが、結局ウランを使う技術を持たないまま、しかも安全神話をふりまいて何の対策をとっていなかったことが、今回の事故で明らかになりました。

きょうは、東京から2つの団体が、バスを仕立てて先に宮城県をみて郡山市富田町の仮設へやってきました。郡山の木村さんのお知り合いの方の企画です。

富田町の仮設集会所で、避難している富岡町の方と川内村の2人の方から当時の生々しい体験をうかがいました。私たち郡山のスタッフも一緒に聞きましたが、胸がつまりました。

富岡町の方は、原発事故で家族・親戚・友人・知人もみんなバラバラにされた、とその苦しみを涙がこぼれそうになるのをこらえながら話してくれました。

また川内町の方は、避難してくる富岡町の住民を受け入れていた当時のようすや、原発関係の仕事をしてきた、防護服をきて汗だくになっても顔をぬぐうこともできない中での作業の大変さをリアルに表現。

2人とも共通して最後は「原発はもういらない」でしめくくりました。私も県議会のようす、原発ゼロの福島をつくるため「オール福島」を大切してこの1年やってきたことなどを報告。

 私からも2人の話にふれながら、県議会での論戦のようす、とりくんでいることなどを報告。最後に、東京のみなさんから合唱を披露していただきました。

私たちはよく、他県の方から「どんな支援がほしいですか」と聞かれるのですが、まず「原発避難者の生の声」を聞いていただくこと、これが何よりもありがたいことです。

2つの平和行動~朝顔まつり・オスプレイ配備反対宣伝署名

5日(日)、午前中は、坪井さんが主催する「朝顔まつり」に参加。満州、撫順の戦犯管理所ゆかりの朝顔の種を譲り受けた坪井さんが、勤務している富田町の公民館で毎年咲かせています。

   【「赦し(ゆるし)の花」の本と、その本にまつわる種をもらいうけ育てた坪井さんとその朝顔】

 坪井さんがほとんど1人で準備し、ここを1日借りて一般の人にも開放。ゆるしの花あさがおの花のピアノ演奏、原爆パネル展、平頂山事件弁護団の大江京子弁護士の講演会も。会場には朝顔に関する絵画、写真、書籍、手ぬぐいや小物なども多数展示。

          【子どもたちが制作したという立体的な朝顔の絵の前で】

 

 

 

 

 

 きょうは、ピアノ演奏や原発カルタとりなどに参加しました。秋田平和委員会の伊藤さんが坪井さんの応援にかけつけ、また被災者への支援物資ももってきてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

げんぱつカルタを制作したのは、若いママのこちやけいこさんという方。カルタを読み上げた森さんは朝顔のゆかた姿です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後は、沖縄に連帯して駅前で午後3時からオスプレイ配備反対の宣伝署名行動に参加。きょう、沖縄ではオスプレイ反対の県民集会を予定していましたが、台風接近のため集会は延期された模様です。

通行人の反応は思ったよりも良く、足を止めて署名をしていく人も多く、チラシの受け取りもよかったです。

 

 

 

 

炎天下での行動は心配でしたが、台風接近でこちらも生暖かい風が吹きしのぎやすくなり、1時間の行動に20人以上が参加しました。