仮設で暮らす原発避難者の思いを共有して~東京からバスで参加

8月6日、きょうは広島に原爆が投下されて67年たちます。原発は、この核兵器の「平和利用」などといって推進してきましたが、結局ウランを使う技術を持たないまま、しかも安全神話をふりまいて何の対策をとっていなかったことが、今回の事故で明らかになりました。

きょうは、東京から2つの団体が、バスを仕立てて先に宮城県をみて郡山市富田町の仮設へやってきました。郡山の木村さんのお知り合いの方の企画です。

富田町の仮設集会所で、避難している富岡町の方と川内村の2人の方から当時の生々しい体験をうかがいました。私たち郡山のスタッフも一緒に聞きましたが、胸がつまりました。

富岡町の方は、原発事故で家族・親戚・友人・知人もみんなバラバラにされた、とその苦しみを涙がこぼれそうになるのをこらえながら話してくれました。

また川内町の方は、避難してくる富岡町の住民を受け入れていた当時のようすや、原発関係の仕事をしてきた、防護服をきて汗だくになっても顔をぬぐうこともできない中での作業の大変さをリアルに表現。

2人とも共通して最後は「原発はもういらない」でしめくくりました。私も県議会のようす、原発ゼロの福島をつくるため「オール福島」を大切してこの1年やってきたことなどを報告。

 私からも2人の話にふれながら、県議会での論戦のようす、とりくんでいることなどを報告。最後に、東京のみなさんから合唱を披露していただきました。

私たちはよく、他県の方から「どんな支援がほしいですか」と聞かれるのですが、まず「原発避難者の生の声」を聞いていただくこと、これが何よりもありがたいことです。