志位委員長が台風19号の被災地を視察/県と郡山市、須賀川市に義援金を届け、被災者から聴き取り

 

18日、志位委員長が台風19号被災地の福島県入りし、福島県と郡山市、須賀川市へ、全国から共産党に寄せられた災害募金の義援金の目録を渡しました。また、避難所や浸水被害地の現地を視察しました。
岩渕友参院議員、町田県委員長、県議団長の私神山が同行。郡山市議団、丸本県議予定候補と須賀川市議団がそれぞれ現地で合流。県庁県議団控えで打ち合わせ。

①最初に、福島県庁で鈴木正晃副知事へお見舞いを申し上げ全国からの義援金の目録をお渡しし、国への要望などもお聞きしました。

②志位委員長らと、郡山の高瀬小学校の避難所へ。
市から電気マットが配布されたり、私たちが15日にここへ支援物資として提供したふとんや豚汁は、大変喜ばれていることが分かりました。現在、食事は朝・昼はパン、夜はおかずつきの普通のお弁当が配布されています。
しかし、温かい汁ものはないので、志位委員長もこれが、提供できるよう求めていくことを伝えました。改定された災害救助法では、1日1人1,140円を見積っているのですから。
さらに、3・11の時のように、避難所から民間アパートなどの借り上げ住宅の提供と、ホテルや旅館などの借り上げを国としても求めていくと伝えました!

一方、もう1人の男性の体験は凄絶でした。1階に1人暮らし、急に水が入ってきて台所のテーブルの上に立ちケータイで友人や知人に連絡を取っていたが、だんたん胸から最後には首まで水に浸かった。
この間、消防本部に4回ぐらい119番通報したが、結局来てもらえなかったと。ガタガタ体が異常なくらい震えが止まらなかった。2日間水の中にいたことになると。
私も、通りかかった下行合で、水害で取り残された人がいると会長さんから頼まれ、119番通報しましたが結局来なかった。
この2つの事例は、消防隊員が不足していることが1つの要因です。福島県は、全体で他県に比べて1000人も足りないと、党県議団は、県に対策を何度も質してきました。しかし、県はそれぞれの広域消防が判断することと、冷たい答弁を繰り返しています。県も国も、改めて消防職員の増員こそが求められます。

③郡山市役所では、市の災害対策本部会議が開かれている会場で、志位委員長が全国からの義援金を品川市長に手渡すとと共に、挨拶。お見舞いを申し上げながら党としても救援や復旧に全力をあげる決意を表明。
そのまま、私たちも市長のそはで会議に参加させて頂きました。各部長からの報告。プッシュ型支援をするとして、西日本豪雨災害で機能を始めた国と業績をつなぐ「リエゾン」からの報告もありました。15日の岩渕友参院議員の国会質問では、全国に1000人が配置されているとのこと。郡山市には、経産省・国交省・自衛隊から配置され、現場の対応状況が次々と報告されました。県からは16日から職員が派遣されていると報告。
さらに追加報告では、リエゾンのみなさんから課題や要望に応えていくと(まるで志位委員長や岩渕友参院議員にも答弁しているかのようでした)。
このあと、品川市長とも別室で懇談しました。

県政報告会を市内で2ヶ所

桑野協立病院の医療生協後援会が、私を応援する会を開いて頂き、県政報告をしました!
市内の台風被害の現状と支援の課題を述べたあと、県政の問題点などを報告しました。

 

 

 

 

 

夜は、白岩町で県政報告会。高橋よしはる市議が進行役。

 

高瀬公民館の避難者へ豚汁の炊き出し~涙がこぼれると喜ばれて

16日夕方、党郡山・安達地区委が避難所への豚汁の炊き出しをしました。今夜は、浸水被害した上行合地区の方々がいる高瀬小学校体育館です。
温かい豚汁に涙が出ると喜んで頂きました。最初に避難した12日夜は、アルミパック入りのごはんだけ。味もほとんどなくて涙が出る思いだったと。

ちょうど、品川市長も避難者を回っていたので、市長からも温かい食事やふとんの提供、また公営住宅や借り上げ住宅の提供などを、県に要望あげてほしいと求めました。

別の方は、ここに来る前に帝京安積高校に避難したが、そこが夜中に1階まで浸水。電気系統がダメになり、とても寒かった。朝に自衛隊のボートで救出され、ここに来たとのこと。着替えがないが、きょうはベニマルから衣類の提供があったそうです。

帰り際に、声をかけられて、聞けば私が避難所回りをした時に会っている富岡町から原発避難した女性でした。郡山に家を建てたが、そこが浸水被害にあったと。なんと、重ねての被災に心が痛みます。

県議選に向けた共産党の政策を県庁で会見し発表!

31日告示の福島県議選に向け、また今回の台風19号被害をふまえ、共産党福島県委員会は、「いのちを守る県政を」の県議選政策について、県庁記者クラブで会見しました。
町田県委員長に、副委員長の神山が同行しました。

谷田川の堤防決壊現場、県中建設事務所へ対策を申し入れ

谷田川の決壊現場です。この少し下流で阿武隈川に合流します。
谷田川の決壊によって、田村町下行合地区が広い範囲な浸水被害になりました。
反対側の郡山中央工業団地にある堤防も決壊!こちらは、あとで見ようと思います。工業団地もまだ、操業開始できない工場が多数。

県中建設事務所へ、谷田川の決壊への応急対応と、上流の河川改修。幹線県道の早期復旧を求め要望書を提出。高橋よしはる市議が同行しました。
このあと、浸水被害した水門町や下行合地区で聞き取り調査。お天気’がよく、みな泥だらけの家財を外に出す作業をしていました。災害ごみ収集と、土ぼこりがひどい。散水車をの要望が。
早速、県中建設事務所へ散水車の出動を電話で追加要望しました。自民党にも要望したが来てくれたのは、共産党の神山さんが初めてだ、散水車を頼むと。

党福島県委員会台風19号災害対策本部が、県へ緊急要望

15日、党福島県委員会台風19号災害対策本部として、知事へ緊急要望しました。
この間、国会議員や県議、市町村議員などが現地調査や避難者からの聞き取りをした内容をまとめたものです。
きょうは、県危機管理部の菅野政策監が応対しました。本部長の町田県委員長が要望書を手渡しました。


私からは、阿武隈川流域の越水被害と、内水面被害は8・5水害より大きかったこと。また、1次避難所の対応が温かい食事や下着や衣類、入浴などの提供が十分になされていない。
東日本大震災の教訓が生かされていないと感じる。県の出先機関を含め市町村を支援すべき。県職員の派遣も検討するよう求めました。

須賀川の丸本さんと伊達の大橋さんからは、農業被害と果樹被害への支援が必要と要請。いわき市では、浄水場が水没し断水が続いており、復旧のメドが立っていません。

芳賀地域公民館で避難者から聴き取り/調査をふまえ、郡山市へ要望

③避難所は、水門町の冠水地域の住民が多く避難している芳賀地域公民館を訪問。
避難所はとしての温かい食事の提供は、夕べ大町の青年ボランティアのみなさんが温かいすいとん汁の炊き出しをしてくれたそうで、ホッとした様子。でも、毎日ではないようです。
下着などの着替え、毛布だけでなく布団や入浴サービス、今後の住まいの借家住居の確保、浸水した家の消毒をなどの要望がありました。

このあと、岡田市議、高橋よしはる市議も同行し、市役所でこれらの要望を伝えると共に、国の激甚指定や県としても住まいや職員の派遣などを含め、積極的に行うよう共産党としても求めて行くことを伝えました。
市は、まだ浸水被害や越水地域があり、まだ全体の被害をつかみきれないでいる様子でした。

市内田村町下行合地区で、逃げ遅れた人の救出を頼まれ119番通報

③田村町下行合の集落も水浸し。消防団や住民の方が集まっていました。
県議の神山です、と声をかけると町内会長さんでした。「神山さん、ちょうど良かった」と、聞けばこの先に水没した家に取り残された人がいる。1人は消防団が首まで浸かりながら救助したが、その先まで行けない。消防本部に救助をお願いしてくれないかとのこと。

消防団の方に聞いたら連絡はしていないとのことなので、私のケータイから電話。しかし、消防本部は今すぐに行けないので安全を確保できるのであれば待ってほしいとの返事。会長によれば電話で連絡とれるから大丈夫と。
このあと、通りかかったミニパトカーの警察官にも、事情を話ました。実は、この写真の、奥あたりで谷田川が決壊したとの情報ももらいました。

この先に、逃げ遅れた人が数人います!幸い、2階にいて無事のようですが。

 

台風19号被害状況調査

13日の災害状況調査。①郡山市内の阿武隈川の東側、阿久津地区はご覧のように水浸し。ここは水田です。作業小屋には、稲刈りしたばかりの籾やコンバインが入っていたと。
この先には、水没した大型ビニールハウスが屋根のほんの一部しかみえない。8・5水害(1986年)より大きい。せっかく、キュウリやトマトが採れるようになったばかりとも。

②阿武隈川、郡山第4中学校近くの堤防から。水位は、少しひいたようですが、この近くの石渕地区は、阿武隈川が溢水し、住宅が浸水被害したそうです。
避難所になった芳賀地域公民館で話を伺うと、ほとんどが水門町と下河原地区の方。横塚地区の方も何世帯かいました。この避難所は、非常食のご飯のアルミパックが渡されただけ。ペットボトルの水は、職員も市に要請の連絡をとっているが、まだ届かないと。岡田市議に連絡しました。

台風19号の浸水被害は、8・5水害より大きい!

③郡山駅が写真の奥の方向に見えるのですが、県道小野郡山線の田村町下行合地区です。一帯が水没しこれ以上は先に行けません。実は、この先の谷田川橋を越えた水門町に私の選挙事務所があります。1階まで水没状態とのこと。
途中、小さなお子さんを連れた若いお母さんに話を伺うと、ここの水害を近くまで見に行ってさらにショックを受けたと言い、話を聞いているうちに肩を震わせました。
私も近くまで行って分かりました。これはひどい、同行した宗像さんもつぶやきました。この小屋はどこからか流れ着いたもの。道路の真ん中です。