17日、「本当の空がある」と二本松市で農林水産業復興大会が開催されました。JA・漁連・森林組合などの主催で、消費者や流通業界なども加わり、原発放射能・風評被害から安全安心な農産物や食の流通を内外に呼びかけた全県集会です。二本松市民会館は満席となりました。
私たち県議会議員県選出国会議員が来賓として出席。県議団からは私とあべ、宮本県議の3人で参加。私は共産党県議団長として壇上で紹介されました。
きょうは、昨年3/11の大震災・津波、原発事故からちょうど1周年です。郡山市の開成山野球場で、「原発いらない! 3・11福島県民大集会」が開催され、全国から16,000人が参加し観客席はあふれんばかりでした。
午後1時からオープニングコンサート。加藤登紀子さんが出演し、原発は人災だとも述べ、100万本のバラなど迫力のある心に響く歌を次々と披露し、原発放射能に苦しむ福島県民を激励してくれました。
午後2時からは、県民大集会。実行委員長の竹中柳一さんが開会挨拶。呼びかけ代表者の清水修二福島大学副学長が、この1年間を振り返って福島県民がおかれている原発放射能による苦しみなどを代弁。
大江健三郎さんが連帯挨拶。大江さんは、この国の倫理観、原発再稼動を大江さんらしい切り口で批判。政治よりも経済よりも命を大切にすることが、人間として大事なことではないのかと福島の原発事故をみて思うと。 ジョンレノンのイマジンを引き合いに、小説家の私が想像力を働かせみたらこんな場面を想像してみましたと紹介したのは、「きのう、日本は全ての原発がすっかりなくなりましたと、学校で先生が子どもたちに教えている場面です」と。そう想像しただけで、私も本当に晴れやかな気持ちになりました。大江さんは、それに向かって行動をとしめくくりました。
県民からの訴えは、山形に避難している若い母親、農家、漁業者の妻、高校生、警戒区域からの避難者など、1人1人涙なしには聞けませんでした。途中、震災時刻の2:46pmに合わせて黙祷を行ないました。
このあと、市役所周辺をデモ行進。
NPTのニューヨーク行動で一緒だった群馬と秋田から駆けつけてくれたお2人も、最後まで参加してくれました。
集会前の午前中には、このお二人が持ってきてくれた支援物資をもって、川内村の避難所がある富田の仮設住宅を訪問し届けました。
この日は、ある企業がカレーライスの炊き出しをしていました。声をかけたら、突然、議員さんから全国のみなさんへビデオメッセージをと言われたので、「原発ゼロの日本を。福島県は1年たっても放射能問題で復興に向かえずにいます。放射能による不安で家族もバラバラになったりしています。ぜひ、全国に避難している県民を支援してほしい。除染・賠償・健康支援で頑張っていきますので」と訴えました。
19日は、中田町の芸能祭でした。きょうは、原発ゼロをめざす郡山市民の会結成のつどいがあり、みなさんにご挨拶だけとなりました。中田のみなさんは、芸の達人揃いです。
夕方、緑ヶ丘の仮設住宅の調査してきました。凍結防止策などが心配だったからです。県は、住民や市町村の指摘を受けて内側に断熱材を入れたり、床下の隙間を防ぐ板張りと通気口を設置したようです。
それでも、サッシのレールが結露で凍りつき開閉に支障をきたしているとのこと。そういえば、今朝わが家の台所の水道も細く水を出していたのに、つらららで凍るような寒さでした。
また、火災などへの対策で私たちも要望していた南側の窓については、一部掃き出し窓に改修されていました。これは希望者のみだそうです。
【配管凍結防止や床下寒さ対策、一部掃き出し窓に改修された緑ヶ丘の仮設住宅】
17日、『大震災・原発事故1年~復旧・復興の現状と課題』のテーマで、仙台で開かれた被災3県の県議と日野秀逸(東北大学名誉教授)を交えての座談会に出席しました。「議会の自治体」誌の企画です。
被災3県からは、岩手県の斎藤信県議団長、宮城県の横田有史県議団長と遠藤いく子県議、そして福島県は私です。
野田政権がすすようとしている「社会保障と税の一体改悪』、TPP参加問題にもふれながら、被災者支援、雇用、産業、原発放射能の除染・賠償、健康支援などについて、それぞれ被災県での取り組みと課題、現状などについて意見交換しました。それぞれ県によって課題も悩みも共通のものもあれば違いもあります。
私からは、18才以下の医療費無料化を県議選の公約に掲げ、それを知事が国に求め、結局国が実施しないとしたことから今年秋から県が独自に実施する成果を得たこと。ただし、県民や市町村負担がどのようになるのかは不明。
さらに、原発事故については、知事がついに「全基廃炉」を明言し、県の復興計画に盛り込んだが、肝心の除染も賠償も健康支援も検査機器もまだ緒についた程度。
なのに、野田首相はステップ2完了をもって「原発事故は収束した」と宣言し、国と東電の責任を小さくみせ、被災者も差菜ざまな形で線引きし県民の分断を図っていること。
一方、県内の避難者は16万人で、そのうち県外避難者は6万人を超え、今も増え続けている現状で、放射能に対する不安は1年たってもますます拡大し続けていると報告しました。
日野秀逸教授は、阪神・淡路大震災と今回の東北の大震災が比較されることが多いが、今回の東日本の震災は、地震・津波に原発事故まで加わって、規模も内容も比較にならないくらい大きいこと。
また、東北の被災3県は、もともと産業基盤が弱く、高齢化・過疎化が進んでいたこと。そこに構造改革による医療・介護・福祉の後退、公共交通機関や住宅問題など、「複雑で困難な課題がある」と分析されています。
ところが野田政権は、今回の震災と原発事故を簡単に片付けようとしていると厳しく指摘。また、経団連など財界の真のねらいと戦略について、さまざまな発言例を引いて明らかにしました。
詳しくは、3月号の「議会と自治体」をぜひご覧下さい。私は、この座談会で多くのヒントと今後の展望がみえてきて、もやもや感がだいぶ晴れた思いです。
11~12日は、党会津地区の会津若松、磐梯町、喜多方の3ヶ所の「新春のつどい」で県議団を代表して挨拶させていただきました。
11日は、会津若松市のつどいに参加。手づくり感いっぱいの楽しい会でした。思えば、昨年3/12に県議選に向けた会津の演説会で私が挨拶するはずでした。それが、前日の大震災の発生でキャンセルに。あれから11ヶ月ぶりに会津のみなさんにお会いできたわけです。今度は、5人の県議団の団長として・・・。
【大熊町から会津若松に避難している石田党町議と】
【女性後援会は、どこでも元気いっぱいです】
この日は、会津若松市に宿泊。雪の会津はこんな時でなければ見る機会もないので、とても楽しみでした。鶴ヶ城は雪化粧。夜は城内で絵ろうそくまつりが開かれていたので、行ってみようかと思いましたが、風邪をぶり返してはとあきらめました。きっと、幻想的な風景でしょうね。
さて、12日は夕べの降り積もった雪に驚きましたが、しだいに青空もみえて快晴に。道路は雪で覆われ、喜多方へ向かうにしたがって吹雪に。でも、会場はそれぞれ熱気あふれる新春のつどいで、私も大いに元気をもらいました!
【喜多方のつどいで。左は喜多方市の田中市議】
喜多方で餅つきの手伝いをするとは思ってもみませんでしたが。
帰りは、会津地区委員長のおすすめで、喜多方駅3:15pm発の磐越西線「ストーブ列車」に乗り、終点の郡山駅に夕方5:13分に着きました。私は初体験です。全席指定で、切符を手配をしてもらった甲斐がありました。お陰で、素敵な鉄道の旅を満喫できました!
【3両編成で、私の席は2号車。テーブルつきの座席は木製で、車内はレトロな雰囲気】
【列車は、磐梯山の近くをゆっくりと登って行きます。喜多方のつどいで頂いたつきたてのお餅。おいしくて2つも食べてしまいました!】
【ストーブは3号車に入ったところに。ここから配管で車内にあたたかい空気が送られるしくみのようです】
19日は、仙台で党国会議員の笠井亮、大門みきし、高橋ちづ子議員と小池晃政策委員長、被災3県の県議団が一同に会する県議選後初の交流会議を開きました。国への要望や被災3県の取り組みなどについて交流しました。
岩手県や宮城県は、復興に向けた取り組みが問題を抱えながらも各分野でいろいろ実施されていることがよくわかります。
それと対象的なのが原発・放射被害を受けた福島県です。ようやく12月末に県の復興計画ができたばかりですし、原発放射能の影響は大きく、15万人を超え(うち県外避難者6万人余)の避難者が、流浪の民となって今後の生活設計が立てられないでいること。その違いをはっきりを感じました。
前日訪問した山形県の避難者からの要望など広域避難の問題、県内の除染がなかなかすすまない実態や、原発損害賠償、健康支援対策の課題、県議選で私たちが公約に掲げ、知事も18才までの医療費無料化を国に要望していることも伝えました。
子どもたちをめぐる学校現場の課題と教員不足問題、雇用や産業支援では農林水産業への放射線被害とその対策についても意見交換しました。
朝山形を出発する時は、こんなに雪がどっさりでしたが、仙山線で仙台に着くと全くなく、違いにびっくり