3/31、郡山市民文化センターで前進座が「怒(いか)る富士」を上演しました。この作品は、新田次郎の原作です。宝永山が噴火して富士山麓の村々が灰に埋もれ、時の幕府は廃村とし、棄民政策をとるのですが、それにあえぐ農民たちと、彼らを守ろうと命を懸した関東郡代・伊奈半左エ門との物語です。
私は、以前にも前進座のこの作品を国立劇場で観劇しています。しかし、今回ほど伊奈半左エ門が直訴した時代と、今まさに福島県民に現実に起きているとぴったり重なっていると感じたことはありません。
上演された3/31は、広野・川内村や県外の自主避難者への住宅提供が打ち切られた日であり、大熊町・双葉町を含む帰還困難区域を除いてすべての避難区域が解除された日です。飯舘村、川俣町山木屋地区、浪江町は3月末に、富岡町が4/1に解除されました。しかし、住民説明会では「時期尚早」との声が上がっていました。安倍自公政権は、原発事故から丸6年を経過したことをもって「福島県民切り捨て」を実行したのです。
伊奈半左エ門が幕府に直訴する場面は、私の2月県議会の総括質問を思い出しました。伊奈半左エ門も訴えていましたが、私も仮設住宅の打ち切りは、決して強制的な退去としないよう、人道的な対処をと県に強く求めたばかりでした。その一方で、県は国と一体になって、復興の名の下、「イノベーション・コースト構想」で約700億円を新年度予算に計上。研究拠点の各施設整備費にも多額の国費が投入されました。これらの金額を明示させ、県の姿勢を追及しました。
ところで、2月県議会で自民党は、代表質問で原発事故は「天災だった」との所信を述べたのです。しかし、2012年12月県議会で、前佐藤雄平知事は「今回の福島原発事故は、人災だった」との認識を答弁しています。私たち共産党は事故前から地震・津波対策を何度も国・東電に申し入れていたこと、前知事のこの答弁を指摘し、自民党の認識の後退を厳しく批判しました。7年目に入る福島の自民党の姿です。