【昨年の大震災・原発事故当時、双葉郡避難者であふれた県農業センター。右後方は安達太良山】
9・11で大震災・原発事故からちょうど1年半です。先日郡山市北のはずれにある県農業センターへ行った際に、ホールの展示コーナーに昨年避難所になった同センターのボランティア支援が写真で紹介されていました。
よくみると、真ん中の写真は郡山復興共同センターでおこなった炊き出しのようすで、私がとん汁をよそっているところです。びっくりしました。
あの時、ここへの避難者は約100人。浪江町や双葉町、富岡町、大熊町などからの避難者でした。原発からわずか2~3kmに住んでいた人もいて、突然避難するように言われ、ヘリで郡山へ。その時、スクリーニング検査を受けさせられ、来ていた服も全部脱がされ、服が手元に戻ってきたのは2~3日後だったとのこと。スクリーニングが終わるまで寒くて大変だったと言われたのを思いだしました。
県農業センターは、県立高校の体育館などとは違って施設も新しく、職員の宿泊所もあるせいか布団上下が最初から用意され、暖房もたいて部屋はあたたかく、またお風呂も交代で使用できました。
ただ、食事はあたたかいものがなく、昼間だけ近所の方が炊き出しをしてくれたという状況でした。
私たち共産党も加わる郡山復興共同センターは、夕飯時にせめてあたたかい汁物をと、時々でしたがとん汁をつくって届けてきました。それがわずか1年半前のことです。
ところで、県農業センターへ行く途中の旧国道4号線沿いは、松尾芭蕉が通った風情のある松並木があります。真っ青に晴れ上がった雲一つない空と松の木とコントラストに、心も晴れやかになりました。