2つの母校の入学式へ~今年140周年の宮城小、90周年の郡山東高校

IMG_00018日、私の母校の小学校と高校の2つの入学式に来賓で出席しました。午前中は、地元宮城小学校の入学式へ。今年140周年を迎えるそうです。ピカピカの新1年生は8人です。私の頃は30数人2クラスあったんどえすが、こんなに少なくなって様変わりです。でも、「少人数のよさを生かした学校づくりをすすめていきたい」と校長先生の挨拶にそのとおりだと思いました。

IMG_0005午後は、こちらも母校の郡山東高校の入学式に県議会議長代理で出席し挨拶しました。郡山東高校は、今年創立90周年を迎えます。震災でプレハブ校舎で授業を受けていましたが耐震化工事が完了し、今年から正規の校舎で学ぶことができるようになりました。

また、PTAの協力で全ての教室にクーラーがつくようになるとのことです。でも、本来ならPTAからでなく県の教育予算で設置すべきものです。異常気象が続いている今、子どもには我慢させよなどという時代でもありません。

ところで、きょうも強風が吹き荒れ、本宮からきた同窓会長は、いろいろな大きなものが吹き飛とんで危なかった、車も飛ばされそうだったとのこと。実際、新幹線も高速道路もストップしました。郡山の西部地区は、風が強い点では負けない地域ですが、今回のは台風なみの異常気象そのものです。

投稿者:

e-kamiyama

 現在6期目です。子どもや女性、お年寄りにあたたかい政治を!平和・いのち・暮らしを守ります!

「2つの母校の入学式へ~今年140周年の宮城小、90周年の郡山東高校」への7件のフィードバック

  1. 祝!母校で晴れの議長ごあいさつ。

    母校で議長あいさつの晴れ舞台、おめでとうございます。代理を務められた栄職に生徒のみなさんも、胸を張られたことでしょう。
    校長先生は確か斎藤貢一先生かと存じます。ご夫人が元職友の次女なのでより親しみを感じます。(たぶん今回は異動はなかったかと思いますが)

    そのほか、郡山東高校にはたくさんご縁があるので、入学式の風景をお知らせいただき、臨場感あふれ、うれしく感慨無量です。母校のご発展をお祈りいたしますとともに、多難の折、県議の栄職に輝いておられることに、ますますご活躍ご発展をお祈りいたします。

  2. 全教室にクーラーありがたいことです。

    PTAさんありがとう。ほかの学校はどうなっているのでしょうか。この際、仮設住宅の方々の冷暖房設備はどうなっているのか。県予算で百余の学校は賄いきれないのでしょう。
    いろいろ考えさせられるテーマですね。
    本県(福島)県立学校では、体育館の暖房(28℃まで可能)設備の学校もありますね。
    この設備予算要求を副知事に申し出たらビックリしていましたが予算化してくれました。

    なんでも地域任せは学校特有の現象のようですが…。

    須賀川の県立学校に地元にお住まいの県教育委員長が来校され、新しい柱時計を発見、「誰方から戴いたのですか」に「県予算で購入しました」と答えた一幕もありました。
    学校もいろいろですね。

    古いお話を2つ。大正末期、浜通に学校創設を政友会系の知事に要請したところ、地域の国会議員全員が民政党から政友会に鞍替えさせられ、認可された例があります。

    学校のためなら地域はなんでもやる、やらされる歴史があります。

    周知のとおり、安積高校も県庁と引き換えに創設されました。

  3. 90周年、節目の年に天駆け上がれ!
    母校90周年おめでとうございます。節目の年にクーラーのプレゼント、その勢いで大発展めざしておられることをお祝い申し上げます。この際体験を披露させていただきます。
    浜通の高校50周年に校庭工事を「プレゼント」その勢いで初の甲子園出場をはたした。
    まさに勢いは何物も一蹴してしまいます。校庭工事は自衛隊に委託して完成されました。
    その経過が凄い、教育委員会や県議会さらに日教組の猛反対を押し切った快挙です。
    一職員がこんな大それたことができたのは、地域が一丸となって支援された賜物です。
    自衛隊工事誘致の決定打は、一職員が県の主管課長に要請、2つ返事でOLとなった。
    知事ー地連ー陸自6師団を経て、一個小隊が学校に宿営し夏休み2週間で完工した。
    猛反対の理由は、教委は過去の経緯から工事に頑固反対し、一円の予算も出さない。いざ、自衛隊の内定を受けても逡巡し、「ならば、拒否してもよいか」に泣く泣く折れた。
    また「自衛隊工事導入などもってのほか」が通念であった。自衛隊はまだ市民権を得ていなかった。校内は名うての日教組だが、事情説明に納得した。だが、県議会の社会党議員が猛反対し空前の大騒動となる。しかし。一職員がその県議宅に深夜まで酒間殴りこみを掛けるなどして異議は撤回された。ちなみに県議は職員の級友の実弟でもあった。
    血気にはやり余計なことをした、といまごろ気がついていますが…。

  4. 前記は超異例のケース。

    前記事例は当時(1973年)としても超異例のケースでたぶん空前絶後の出来事でしょう。

    そもそも、自衛隊誘致など個人でできる業ではありません。自治体が誘致運動に長い年月をかけ運動費100万円位準備するのは当たり前、実施参加人員も総務課土木課総係りで事務事業を行うのが普通。成功率は1%くらいでしょう。まして学校には従事者は1人くらいですから、寿命が10年位縮めるワケです。外部の声援はPTA位です。一体、自衛隊の1兵を動かすのは、旧軍なら天皇、現代なら首相しかいません。旧軍時、切腹覚悟で軍を移動させた将軍(林銑十郎大将)がいますが柳条湖事件に朝鮮軍を緊急移動させ、越境将軍と言われました。その仕組みは今も変わりません。県議会が大荒れしたのは当然です。

    まして現代人にはこの大騒動を理解困難と思われますので、念のため申し添えます。

  5. 県立高校にまつわる歴史的な出来事。県庁とひきかえに安積高校が郡山にという話以外は、初めて聞くことばかりです。自衛隊に校庭工事をさせるプレゼントなど、もちろん今でも大問題になる事案です。しかし、あながち過去のことと言ってはいられなくなるかもしれません。安倍政権破、憲法改定、それも9条の第2項をかえて、自衛軍という軍隊をもちたいと公約にも掲げていたのですから。戦争する国への道を絶対許してはならないと思います。参院選挙は、その意味でも極めて大事になっています。

  6. 神聖な学校に自衛隊がやってきた、といわれた時代
    時は創立50周年記念行事のさ中、甲子園初出場の花を添え、自衛隊ブルも唸り出す。
    喜び3重奏のオンパレード。珍らしい自衛隊の動きにスポットを当ててお目にかけます。
    てんやわんや自衛隊出番の経過は前記のとおりですが、その模様はつぎのとおりです。
    ざっくざっく足並みそろえ1コ小隊が校門をくぐるや、「戸をあけろ!」居丈高な隊長の声。
    「宿営の部屋を案内せよ」3教室を指差する「畳がない、すぐ敷け」と矢継ぎ早に叫ぶ。
    学校は夏休みに入り応接したのは職員ひとりだけ。柔道場の畳を使用する旨伝えると、隊員50名がすごすご整備作業に掛かる。炊飯は調理教室を使用、調理補助員を要求されPTAが4,5人協力。入浴は宿直員用浴室を使用、職員が風呂屋の三助を努める。工事に関しては職員が事前に工事設計書を作成、師団の認可をうけてある。土取り場はPTAが見つけて提供した。作業補助員4,5名要求されPTAから旗振り、道路清掃人夫を差し出す。食堂は県教委の許可を受け、校地内にプレハブ1棟建設したがすべてPTAに委託。新設した理由は、校内では禁酒禁煙だからだ。はじめに校内禁酒を伝えると、「酒も飲めないなら工事を断る、作業は訓練の一環だ」と彼らに屈した。だが、作業の現場校庭に国旗掲揚することは断った。これは教員組合の反対に彼らが屈した。工事終了後、知事表彰状を要求され、3通交付した。こちらは学校長の感謝状1通を用意していたが一蹴された。彼らの履歴褒章につながるためだろう。去るとき職員1人が見送ったが、隊員一同から栄誉礼を受けた。去る足音は軽いようだった。来校するときは隠密裡にやってきたが、途中、革新政党などの妨害予防のため緊張していた。そんな時勢であった。
    Yours Truly gakusui ☆

  7. あながち、過去のできごととはいえない情勢になっています。自民党の石破茂幹事長が、「憲法96条改定は、憲法9条改定と結びついている」と本音をテレビでも発言したとのこと。しかも、この夏の参院選挙では、このような考えを持っていると思ってもらって選択してもらって結構と述べたというのですから、あからさまな自民党の本音を表明したものです。

     自衛隊を国防軍と言う名の軍隊にし、日本を再び戦争する国に国民を引きずり込もうとしているのです。今度の参院選挙で、安倍自公政権へ国民の厳しい審判を!

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