27日、郡山市九条の会の主催で、ベアテ・シロタ・ゴードンさんと太田緑子さん「追憶と憲法のつどい」が、郡山市民文化センターで開催されました。 参加者には、日本国憲法の本も配布されました。
ベアテさんは、ご存知の方も多いと思いますが、現在の日本国憲法の起草に参加し、憲法第24条の「男女平等」の条項を書かれた方です。
ベアテさんの人となりについて話をされたのは、ベアテさんの自伝「1945年のクリスマス」の編集をされた平岡磨紀子さんでした。
ベアテさんは、GHQ民生局の一員として日本に再び来日。わずか1週間という制約の中で、彼女に与えられたのは憲法第24条「男女平等」、人権に関する条項の草案でした。世界で最も優れた憲法にしようと、焼け野原の東京都内の図書館などから苦労をして資料を集め、精魂込めて書いたのです。まだ22歳でした。
少女時から中学生まで日本で過ごした中で、日本女性の無権利状態を良く知っていたからこそ、それを新しい憲法に書き入れようと頑張ったのです。
また、ベアテさんはユダヤ人であったことから、裕福な家庭に育ったけれど学校ではいじめにあっていたこと。こうした彼女の生い立ちが、人権問題に敏感な感性をもたらしたようです。
また、ベアテさんは、憲法を変えようという人たちから「アメリカからの押しつけ憲法」とよくいわれるけど、「押しつけ」ってよくないことを無理にすすめることでしょ。母国のアメリカの憲法にも明記されていない基本的人権の尊重を明記しているのは日本国憲法だけ。良いことは、押しつけとはいいませんよね」と反論していたとも。
平岡さんのお話を聞いて、郡山での「真珠の首飾りの公演」や、ジェームス三木さんを招いてベアテさんと対談された当時のようすを思い出しましたが、その時もこの文化センターの同じ壇上でした。
また、その企画は、郡山の元太田病院理事長の太田緑子さんでした。太田緑子さんについては、前知事の佐藤栄佐久さんが話をされました。
太田緑子さんは「男女平等」を実行され、多くの社会的役職にも就かれ、県九条の会の呼びかけ人でもありました。県九条の会の挨拶で「憲法9条を守ることを私の遺言とします」と述べていたことを思い出します。
私のニュースが発行間もない頃に登場して頂いたご縁で、その後もお会いする度に励ましの言葉をかけて頂いてきました。
安倍政権が9条改憲に向けて危険な動きをあらわにし、まず、その前段として「秘密保護法」を今臨時国会で通過させ、国民の目や耳、口をふさいでしまおうと狙っています。
秘密保護法は、「原発」関係も対象になると今国会で答弁しています。今でさえも原発事故の情報を小出しにし、構内でのカメラ撮影も制限されているのです。
原発廃炉も、情報を求めることさえできなくなります。集会もデモも日本の国益を損なう行為とみなされれば、最高10年の刑に処されます。
しかし、何が国益を損なうことになるのか、それを決めるのは誰なのか、時の政権権力者だけなのか、こんな恐ろしい戦前の治安維持法と同じ国民弾圧法を通過させてはなりません。
ベアテさんは昨年12月に、太田さんは2010年10月に他界されていますが、政権党である安倍内閣の危険な動きに、女性の開放と平和な未来を共に願っていたお二人が生きていたら決して黙ってはいないでしょう。
私たちはこのお二人の遺志を引き継いで、行動を起こさねばならないと思います。