7日と8日は、共産党郡山支援センターのみなさんと、県議団から私と阿部裕美子県議とで川内村の避難者から実状をお聞きしました。
川内村は、2012年1月に帰村宣言し、その年の4月から帰還が始まっていますが、思ったほど戻れないでいる住民が多く、仮設住宅と自宅を行ったり来たりの生活が続いています。
しかし、東電からの1人月10万円の生活保障の賠償は、すでに1昨年(2012年)8月で打ち切られています。高齢者は年金などで暮らしている人が多く、病人もかかえています。今は医療費や高速道路の免除されていますが、今年2月28日で医療費減免が終了予定です。もちろん、すぐに打ち切るとは思えませんが、しかし、政府が今後どこまで対応応するのか不明です。
また、戻ったとしても長年農業や山の資源を生活の糧にしてきた川内のみなさんは、果たして戻って作物をつくり出荷できるのかどうかもわからないし、自家製の野菜さえ若い人たちや孫たちが食べてくれかどうかもわからないなど、帰村してからの暮らしに展望がみえません。
川内村は、雇用の場の確保をと野菜工場など企業誘致して努力しているのですが、実際の採用では正社員ではなくパートや臨時での雇用のため、応募者が少なく、中には本社勤務をといわれてあきらめた人もいるそうです。
国が決めた避難指示区域の30kmと20kmと距離で線引きしたことが、その後の賠償金や支援制度の差になって表れています。同じ川内村の住民なのだから、同じように支援をと求めるのは、ある意味当然です。
私たちが一貫して求めてきたように、「戻る人も戻らない人も支援する」という観点に国が前面に立ち、原発避難者を支援していくことを求めたいと思います。
貴重な情報ありがとうございます。支援センターの大橋さんからもかせつ通信で特にお年寄りの避難者が経済的にも困窮していることが発信され、寝具等の支援物資を訴えています。まとまり次第送りたいと思います。