25~27日は、県議会の土木委員会の県外調査で、東日本大震災を受けた岩手・宮城の津波被災地の復旧状況を調査してきました。
私は災害復興住宅の入居に関し、被災者のアンケートの回答からみえる課題や、個人の住宅再建への岩手県独自のかさ上げ支援について質問。岩手県は、県独自に住宅被災者支援法の最大300万円でも再建できないとし100万円の独自加算を実施しています。
また、このあと釜石市にある出先事務所の釜石土木事務所で進捗状況nの説明を受けました。
ここでは、国の復興財源の方向が示され、市町村負担が一部求められるという国の方針について考えを訪ねると、市町村負担の1%といわれても、事業費が大きい中で1%に負担は市町村にとっては大変な負担になるとの回答でした。夜は製鉄の町釜石に宿泊しました。
26日は、津波被災地で大きな被害を受けた大鎚町へ。水門や防潮提nの復旧工事、災害復興住宅の工事現場を視察しました。
津波の襲来とそのあとの火災で、人口約4万人のうち1,143人が犠牲になったとのこと。その犠牲者には、役場の職員も多数含まれています。
大槌町役場は、大地震直後に2階で庁舎被害の対策会議を開いていたところに津波が襲来。電柱の高さもある津波だったそうです。
生き残ったのは約50人のうちたった2人だけそうです。町長も亡くなり、役場機能が失われた状態がしばらく続き、困難だったとのこと。私も犠牲者の冥福を祈り、線香を手向けました。
このあと、建設中の復興公営住宅の工事現場で説明を受け、内部も見学させていただきました。5階建てのうち1階部分は駐車場と物置のスペースとのことです。
県庁や出先の振興局でも、入居者の意向アンケート調査では、アンケートをとる度に高齢者ほど今後の方向が決められないという人が増えているとのこと。
4年という時間の経過は、津波被災者にとっても人々の思いをいっそう複雑にさせていることが浮き彫りになりました。高齢化がすすむ東北地方の沿岸部で受けた大震災の被害の困難さを、あらためて突きつけられた思いです。また、釜石市でも港湾の防潮堤の工事現場などを調査。防潮堤も大学の専門家の意見を受けて、厚さ50cmの薄い壁でスリットという壁に窓をつけています。これは、海が見えない不安に応え、しかも津波被害の力を分散する効果もあるとのこと。なかなか参考になる手法だと思いました。
国道の下の平坦部分は津波被害を受け、釜石市内中心部も建物の1階部分が浸水する被害を受けています。