浪江町の馬場有町長が今朝亡くなりました。69歳はあまりにも早すぎます。心よりご冥福をお祈り申し上げます。(写真はNHK県内ニュースから)
原爆事故の損害賠償を求め、町が町民と共に集団訴訟をおこしADRに訴え戦ってきたのに、東電が応じたのはわずか1件だけでした。
3・11で福島第一原発が爆発し、避難命令が下った、翌日の朝消防団を津波の被害者救助に向かわせる予定だったのにそれができなくなった。津波被害だけだったら救えた命があったはず、原発事故さえなかったらと涙ながらに話されました。しかも、原発が爆発したことを知ったのはテレビから。すべてテレビ情報だったと。浪江町には政府や県から連絡が入らなかったのです。
さらに、町民を避難させた津島地区は放射線量が高い地域だったのを知ったのは、あとになってからだった。避難所は人であふれ、子どもたちは外で遊んでいた。バスも自力で手配せざるを得なかったが、放射能を恐れてなかなか来てくれなかった。
これらのお話を伺ったのは、たしか3・11のあの年に塩川鉄也衆院議員らと伺った二本松東和町の仮役場でした。
しかも、その町長室に副町長や教育長らと共に寝泊まりしていると聞いて、頭が下がる思いでした。あの震災原発事故後の修羅場が、馬場町長の命を縮めてしまったと思います。
去る6/14、東電は7年3ヶ月すぎてようやく第二原発の廃炉を表明しましたが、馬場町長はどんな思いで聞いたのでしょうか。まだまだ、国・東電に立ち向かい、住民が帰還できるまで見届けたかったと思います。改めて、ご冥福をお祈り致します。私たちも、馬場町長を思いを引き継ぎ、国・東電と戦い続けていきたいと思います。