県議会の日程を2日短縮し、きょう閉会                                                                                                                県へ原発震災への第4次要望を申し入れ

14日、本来なら県議会の総括審査会をきょうから2日間開く予定でしたが、11日の地震災害・原発災害発生を受けて中止しました。議場は、天井ガラス板が落下。私の議席はコンクリート破片などで真っ白でした。

 16日が閉会の予定でしたが、今日14日中に採決・閉会とすることで合意し、結局最終本会議は夜7時30分から開催し、8時過ぎに閉会となりました。

 その合間をみて、断続的な地震の揺れの中で、めちゃめちゃになった控室の片付けをしたり(この部屋も危険なので別の部屋へ引越しすることに)、県災害対策本部へ申し入れをしたり夜8時半まで県庁内にいました。

 ところで、県議会の災害対策本部(議長が本部長)を設置することを本会議で決定し、その第一回目の会議を本会議終了後に開催。共産党からは私が委員となりました。

 議長は最初設置後の委員選定と顔合わせと考えていたようですが、ガソリン不足や避難所不足など緊急に対応すべきことがあると自民党から意見が出ましたし、私も、それに加えて原発の被曝者避難民への対応も早急にすべきと提案。これらの意見を議長から緊急に県へ申し入れすることで一致しました。

 それにしても、きょうも、東電の福島原発は次々と炉心溶融をおこし、海水で冷やすも結局ダメで、完全に制御は難しい状態になっています。

 そして、恐れていたプルトニウムを含むMOX燃料を入れた第一原発3号機が、きょうついに爆発。第二原発も危ない状態です。一方、原町共同火発も重油タンクが爆発しました。【報道する福島民報・民友の2紙】

 現実に今、原発震災の実態をみて、「原発問題は、まさに共産党が言っていたいうとおりになった」と各方面から率直な感想が寄せられています。

 きょうは、ある週刊誌の記者から電話をいただき、07年に東電へ申し入れた原発震災対策を求めた県議団のHPの文書をみたが、今現実に起きている事態への的確な指摘だったといわれ、コメントも求められました。

 また、県議会の会議の合間をぬって、共産党県議団と県委員会の連盟で、藤川県議と一緒に県へ第4次の申し入れを行ない、県生活環境部の荒竹次長が応対しました。

 緊急車両などを含め、県民もガソリン不足は深刻で、国へ直ちに対策をとるよう要請することや、被災地に取り残されている障がい者、病人、高齢者など災害弱者を緊急に救出すること。避難民の受け入れは余裕が亡くなっていることから、雇用促進住宅の活用など公営住宅の開放をすること。

 原発地域からの避難者への対応については、ヨウ素剤の配布をすでに申し入れたが実際に配布されていないことから急ぐよう求め、スクリーニングする機材や体制の確保なども求めました。

  本会議場が使用できず、本庁舎5階の正庁で2月県議会最終本会議が行なわれました。(14日夜7時半~8時10分)

写真は、提案された88議案のうち、東港建設、やまの道林道建設(旧緑資源)のムダ遣いや職員350人削減などの11年度予算案・2月補正予算案と、各種手数料・使用料値上げ8議案、県の建設事業へ市町村負担を求める議案など23議案に反対し、採決で着席する党県議団。意見書7件は、全会派一致で採択。人事案件2件は、いずれも再任のため反対。

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e-kamiyama

 現在6期目です。子どもや女性、お年寄りにあたたかい政治を!平和・いのち・暮らしを守ります!

「県議会の日程を2日短縮し、きょう閉会                                                                                                                県へ原発震災への第4次要望を申し入れ」への4件のフィードバック

  1. 危険、困難のなか誠にお疲れ様です。同時に多忙ななか毎日の情報ありがとうございます。一般のマスコミの情報で様々なことが分かってきましたが問題はそれを行政がどうするか行政にどの様な要請をしていくか「ブログ」での、共産党ならでは、神山さんならではの情報と内容に感謝しております。自らを投げ捨て被災者のために奮闘していることは良く分かりますが決してご無理なさなぬよう、議員さんでなければ出来ぬことが第一と思います。御身のことも充分考慮して頑張って下さい。私は仲間に呼びかけて、今日はこれから駅頭で被災者への支援募金を訴えに行く予定です。

  2. 衣類や乾電池などの生活用品や食料が、スーパーマーケットやコンビニが、営業休止の所があり、営業続行の所もあるものの、トラックが物資を配達することが出来なくなっており、しかも他の人が店に多く殺到し購入してしまった為に在庫切れになり、入手不可能になりつつあります。
    この為、日本政府や福島県当局は、物資配給をさらに増強するべきです。
    また、日本における今年7月24日の地上デジタルテレビジョン放送の完全移行化計画でも、大きく影響しており、
    地震で購入したばかりの地デジ対応の液晶テレビが、破損してしまった世帯も少なくないらしいです。
    しかも、電気屋さんの多くが、営業を休止してしまった為、地デジの設備が購入できない状態にあります。
    この為、日本政府は、簡易地デジチューナーの無料配布増強か、
    あるいは、地デジ完全移行化計画を当面の間に延期するなどのいずれかを実行せざるを得ない可能性が高いのではないでしょうか?

  3. 共産党議員のみなさんは、以下のような事実を学習されていますか?

     1999年10日19日、西村真吾防衛政務次官が、「日本も核武装したほうがええかもわからんということも国会で検討せなアカン」と、週刊プレイボーイ誌で発言した責任を問われ更迭された。「こういう発言をする人を任命した小渕恵三首相の責任を追求したい」と鳩山由紀夫民主党代表は語った、そう翌日の新聞は伝えている。しかし、その三週間前に東海村「ジェー・シー・オー(JCO)」の事業所で、臨界事故が起きたばかりで、核に対する不信感が高まっていなかったならば、更迭まで至らなかったかもしれない。
     マスコミは、一斉に、臨界事故を起こしたジェー・オー・シーを責め、監督責任を怠った科学技術庁を攻撃した。しかし、海外のマスコミがこの事故の重大性を正しくとらえ、トップ・ニュースで扱ったのにくらべると、出足も遅れ手ぬるいものだった。チェルノブイリ事故をレベル7とすると、レベル4かそれ以上と考えられるこの事故は、即刻、IAEA(国際原子力機構)への通報が義務づけられているにもかかわらず、日本政府はそれを怠った。
     日本政府は、放射線の作用や事故が起きたらどうなるか、原発にはどのような危険がともない、それにはどのような用心が必要かなど、市民が必要とする情報の公開や説明の責任を一貫して避けてきた。それは、原発政策推進の邪魔になると判断したからで、その姿勢は、原発建設に踏み切って以来、変っていない。
     そのからくりを図らずも知ったのは、1990年ころに、たまたま読んだ、Zhores Medvedev,The Legacy of Chernobyl(Basil Blackwell,1990)のおかげである。その文献は、チェルノブイリ事故が起きたとき、どのような事情で、原発が暴走したのかを詳しく分析し、事故が世界の原発政策に与えた深甚な影響について考察した文献だった。
     その本に書いてあった衝撃的な事実を要約すると、次のようになる。原子炉というものは、制御しなければ果てしない連鎖反応を起こして、限りなく温度を上げ、炉心も壁も密閉容器も溶かして放射能を拡散させる危険な仕掛けである。途方もなく温度を上げさせないために、連鎖反応を無限におこしかねない中性子を制御棒で吸い取り、一定量の連鎖反応の範囲に押さえておく必要がある。そのために、つねに冷却水で常時冷やしておかなければならない。
     だが停電などで冷却水のポンプが停止したらどうなるか。原発の温度が異常に上昇しはじめるから、すぐ非常用電源に切り替えなければならない。チェルノブイリ原子力発電所の非常用電源用のディーゼル・エンジンは、始動に16秒、それが必要な電源を供給できる回転数に達するまでに70秒を必要とした。この70秒の空白をどう埋めるか。当時の科学者は、巨大な発電機が、停電後も慣性で回転しつづけるときに起こす電力で、その空白をしのげる、と想定した。しかし、国が発電所開設を急いだため、実際にそれで安全かどうか、確認の実験も行わずに運転を開始した。
     ところが運転開始後になって、慣性による発電では、まかないきれないことが判明した。それを解決する装置が中央からチェルノブイリにとどき、機能するかどうか実験する必要が生じた。中央から実験のための原子力学者がやってきて実験をやる手筈だった。それは、1986年4月25日金曜日の午前中に予定されていた。
     しかし、旧ソ連では、労働意欲が低下しており、ノルマの半分を積み残し、月末の週末になってそれを消化するという労働パタンが常習化していた。月末の金曜日は、各工場や職場が遅くまで残業し、電力消費量がピークを迎えるのが常であった。それだけではない。5月1日のメイデーには、ノルマの達成報告が行われ、それに応じてボーナスが出るしきたりであったから、4月25日の金曜日には、実験のために発電機を止めるわけにはゆかなかった。当然、消費電力量を監視する官庁は、実験のために発電機を停止することを許可しなかった。
     しかたがないので、実験は、夜の11時10分まで延期された。だが、その実験が半日以上延期され、中央から派遣された原子力の専門家たちは一日中待たされたあげく帰ってしまって不在だった。たまたま深夜勤務の当番に当たった発電所の素人のオペレーターたちが、この実験をやれ、という申し送り書を受け取った。彼らは、何の実験かも知らなかった。その上、手書きの書類には、斜線で消した部分もあって、どの部分が正しいのか、オペレーターには判断しかねた。オペレーターは、他のオペレーターに電話で、消したところは間違ってるのかしら?と確かめている。聞かれたほうも、要領をえず、消された指令のとおりやれば? と気楽に答えた、という。このへんは、東海村の臨界事故を起こした作業現場の状況と変わらない、あるいは、今回の福島原発の明白な設計ミスや甘い想定、関係者の無知と慣れと無神経さも共通している。素人が時限爆弾を無害化しようと無邪気にいじくりまわしているようで慄然とさせられる。ある元東電社員によると「残っているのは孫請けの派遣社員ばかりで東電社員は安全なところにいる。会見に出てくるのは現場のことをなにも知らない連中だから、質問に答えられるハズがない。」そうである。この無責任な現場放棄の状況は、チェルノブイリそっくりではないか。

     本来の実験は、冷却水のポンプが停電して発電機が自動停止し、通常出力の半分の500MWまで下がったとき、慣性による電力で、冷却水のポンプを50秒間動かすに足りる発電が可能かどうかを調べるものであった。しかし、オペレーターたちは、実験の意味も原子物理学の常識もなかった。実験を行おうとして原子炉の出力を落とし始めると、急に200MWまで落ちた。出力を下手に落とすと「キセノン毒効果」という作用が現れることを、彼らは知らなかった。
     出力を落とすと原子炉の中にキセノンがたまり、それが中性子を食い、出力低下は加速するのである。一度、原発を止めるとキセノンの半減期がすぎるまで数日待たなければ再稼動できないという。この「キセノン毒効果」のため、出力ワット数はどんどん落ちていった。オペレーターたちは、中性子量を増やし、連鎖反応を活発化して出力を上げようという素人考えで制御棒を引っこ抜き始めた。操作を急ぐため手動に切り替えた。発電のための水蒸気量が低下するので熱交換の冷却水を増やしてみるが、かえって炉を冷え込ませ、ますます水蒸気量が減った。そこで非常装置も解除して、制御棒をどんどん引き抜きつづけた。
     どんなに抜いても15本は残しておかないと暴走する危険がある言われる制御棒のタブ
    ーをやぶり残り5〜8本のところにまで引き抜いてしまった。ライオンの檻の鉄棒をだんだん間引いて、ほとんどスカンスカンにしていったようなもので、ライオンはもういつ檻の外へ飛び出すか分からない、そんな危険なところまで制御棒を減らしてしまったのである。午前1時23分、突如、原子炉は暴走に転じた。わずか4秒で通常出力の100倍に達した。驚愕したオペレーターは、制御棒を急速に差し戻すパニック・ボタンを押した。だが、もうそのときには、急上昇した温度は、制御棒の鞘を破壊し、制御棒は下りなくなっていた。ボタンを押して20秒後には、蒸気爆発が起こり、1千トンもある原子炉の天蓋が吹き飛んだ。さらに上昇した温度は、水を水素と酸素に分解しそれが二次爆発を引き起こした。
     キエフ地域の全消防署に動員がかけられ、81台の消防車と186人の消防夫が必死の消化にあたった。しかし、消防署員は、ガイガー・カウンターももっていなければ、チェルノブイリ発電所で、かつて火災訓練をしたことすらなかった。その上、彼らは、原子炉火災のとき水をかけるのはタブーであることを知らなかった。超高温が水を瞬時にして酸素と水素に分解し、それが再結合して爆発を繰り返すからである。彼らにあったものは、江戸の火消と変わらない無知と善意の使命感だけであった。
     地域の労働者と消防夫たちは、なにも知らず必死に火事を消し止めるために働いた。警官も1千人以上が送り込まれた。最終的には、ウクライナ地区の警察官16,500人がチェルノブイリに駆り出されたが、警官たちも消防夫と同様に無知で、だれ一人防護服も着けていなければ、放射能に対する装備ももたなかった。こうして彼らの数千人が被爆したのである。彼らは、放射能を帯びた塵を除染することも、そうした塵を吸い込まないようにする注意もしなかった。
     地域をあげて無知だったから、避難勧告も遅れ、避難が始まったのは、たっぷり被爆した36時間後であった。所長が上層部に報告したのは、午前3時になってからであり、モスクワも事の重大さをすぐには理解できなかった。軍隊も到着したが、超強度の放射能を測定できるガイガー・カウンターももっていなかった。防護服を着た最初の化学処理班が到着したのは、翌日の午後2時すぎになった。やっと中央で第1回の対策委員会が開かれたときも原子炉の破壊は把握しておらず、消防夫たちはまだ水をかけ続けていた。このへんの杜撰さは、東海村の事故とおどろくほどよく似ているし、今回の福島原発の処理が不手際であったこととも似ている。
     ソ連政府は、初め事故を隠蔽しようとした。しかし、全世界に放射性物質が振りそそぎ、その一部は日本にも達した。原子炉の破壊が、隠せないと知ると、ゴルバチョフは、しぶしぶ事実を認めた。事実が明るみに出るにつれ、日本を除く全世界、とくにヨーロッパはその被害の甚大さと危険の身近さに震え上がった。原子炉の事故に国境はない、ということを至近距離にある欧州諸国は、肌身で知ったからである。
     事故から4カ月たった8月、IAEA(国際原子力機構)は、ウイーンでチェルノブイリ原発事故調査とヒアリングのための会議を開いた。これまでに要約した事故の概略は、隠蔽しようとするソ連政府の思惑を越えて事実を調査して公表したレガソフの報告による部分が多い。しかし、レガソフはそのすぐあと自殺している。
     この事故を引き起こした旧ソ連の原子力行政や監督の杜撰さは、目を覆うばかりであるが、それよりももっと背筋が寒くなるのは、そのときに日本政府が露呈した日本の原子力政策の秘密主義である。約60カ国が参加した上記のウイーンの会議に、なんと原発日本国の政府は、代表を送らなかったのである。メドヴェデフは書いている。「日本は、当時、原発開発の非常に野心的な計画を進めていた。日本原子力産業会議は、世論の反発を非常に恐れた。そのため、日本は、1986年8月に開催されたIAEAのポスト・チェルノブイリ再審会議に代表すら送らなかった。会議の結果を本国に報道しなければならない義務を回避したのである」(上掲書、220ページ)。
     つまり、これまで書いた唖然とするようなチェルノブイリ原発事故の顛末は、1986年8月の時点で、全世界に公開され常識となった情報だったのである。しかし、日本政府の情報操作により、それは日本の国民の耳目にはとどかなかった。日本の原子力関係者が、チェルノブイリの事故が無知から起きたものであり、日本も無知から同じ事故が起こしかねない、と86年の時点で正しく認識して周知し、対策を講じていたならば、動燃や東海村の事故は起こらなかったであろうし、福島原発の設計も原発の危険性を心底認識したより万全な安全なものになっていたはずである。ポスト・チェルノブイリ審査会議に出席した多くの国は、新しい原発の建設を断念したり、安全確保のための厳しい点検体制を導入したり、風力・太陽エネルギーへの転換を真剣に追求しはじめたからである。
     しかし、日本政府は、原発推進政策のために、チェルノブイリの教訓を隠蔽し、国民を無知のまま放置する道を選んだ。代わりに流布されたのは、チェルノブイリを知った者には、とうてい信じることのできない「原発安全神話」であった。事故の翌日、現場の野菜を食べるパフォーマンスをして安全宣言を出すような、ほとんど常識では考えられないような無知蒙昧ぶりを、首相自ら平気で全世界に発信するほど、日本は、原子力情報後進国になっていたのである。アメリカがこの事故を聞いて、アメリカでは、ずいぶん昔に起こったタイプの事故だと論評したことを思い合わせてみるとよい。
     今回の大地震にともなう原発事故をめぐる、政府・東電・マスコミのやり取りをみていると、原発をめぐる常識、科学的知識の水準の低さに驚かされた。チェルノブイリの原発と福島原発とは形式が異なるけれども、異常な状況下に置かれた原発がいかに瞬時にして危機に陥り、すぐ大量に入手でき、長時間注水が可能な体制をととのえ、手をうたなければならないのに、設備が壊れることを恐れて、のろのろと芋でも焼いているみたいに原子炉を覗き込んでいる印象を受けた。
     ビキニ水爆実験で死の灰浴びた第五海福丸乗組員が死亡した事件は、もう忘れられているが、この事件は、被曝をふせぐためには、屋内に入って、部屋を密閉し、放射能を帯びた塵を肌から荒い落とすこと、呼吸器に吸い込んで内部から放射能をあびないようにすることが大切であることを教えてくれた。しかし、今回、福島原発が水素爆発を起こしたとき、どうすべきでしょうか、聞かれたテレビのキャスターは、何も知らずに絶句していた。
    天下の公器の万人がこんなに無知では情けない。
     
     チェルノブイリとしっかり向き合わなかったつけがまわってきた最悪の事態が起きたのだ。こんどは、この事故にしっかり向き合って、国民の原発常識のレベルを上げ、こんな設計ミスを起こさないようにしなければならない。強力な放射性物質が四散した場合には、特別に強力なガイガー・カウンターが必要になるし、消防、警察、自衛隊、東電の社員などのために、相当数の防護服や除染施設が必要になることは、チェルノブイリをよく知っていればたやすく想定できたであろう。

     最後に、枝野官房長官の説明ぶりは、有能であったが、質問するマスコミ側のレベルの低さには驚かされた。一刻を争う事態が起きているのに、どうでもよいことを、繰り返し聞いて、貴重な時間を浪費させている。ちゃんと回答を理解し、聞き取っていないのだ。お粗末なのは、マスコミだけではない。厚生労働大臣とか、東電の社長も、この危急存亡のときなのに、くだらぬ挨拶を繰り返し、すでに説明のすんだことをたらたらと述べ、中身の無いおしゃべりをもたもた繰り返す。一番知りたい核心にいき着かない。こういう話下手な人に緊急事態の会見をさせるのは、危機管理意識のいろはに反する。傍らの連坊さんが、担当者が知っていますから、とかなり、苛ついておっしゃってはいたけれど。

  4.  地デジの件はまったくそう思います。震災前の委員会でも質問したら、あらたに難視聴地域の整備状況は、人数、世帯数とも全国ワースト2位と6位でした。震災被害をみれば、情報、特に地元の情報の大切さがよく分かります。延期は当然ですね。
     ところで、ガソリンや灯油、そして物資の供給を急ぐよう、共産党県対策本部でも私も再三要請しています。みなさんからも県の対策本部、または国へどうぞ声をあげて下さい。

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