大震災から半年。原発事故の収束の方向みえず / 小名浜港とアクアマリンへ

11日、きょうで大震災・津波からちょうど半年です。半年前の3/11、あの日の大地震の恐怖の体験は誰も忘れることができないと思います。たくさんの命も犠牲になりました。福島県は、そこに原発事故も加わり、程度の差はあっても重い気持ちをずっと引きずっています。

          【江名港。港の地盤が少し沈み、倉庫も1階部分が壊れて】

 きょうは、夫とドライブがてら、いわき方面へ出かけてきました。この夏は、母の1周忌、新盆を何とか終わらせることができ、ほっとする間もなく郡山市議選に突入。無事3人全員当選でき、そのあとも臨時議会や全協などで忙しかったこの1週間。

たまたま日曜日で時間がとれたので、思い切って夫と久々のドライブ。どこへ行こうかと思ったのですが、震災以降一度も行けなかったいわき方面にしました。

夫は、愛知県の海辺育ち。たまに海を見に行かないと息がつまってしまいかねません。きょうは、少し浜通りの被災地をみたあと、小名浜港を通ってアクアマリン水族館を見学。

アクアマリンもだいぶ被災しましたが、頑張ってほぼ通常に近いところまで復旧。子どもたちの夏休み前に再オープンしました。

入り口前にはがれきが゙積み上げられあるのがみえました。案内の看板もひしゃげて。信号もまだ電気がつながっていませんでした。震災・津波被害の爪跡は今もいたるところに・・・。

久々なので、2人でゆっくり見学していたら、たっぷり1時間半以上もかかり、ちょうど夕方の閉館近くになっていました。

【きれいな何種類もの金魚たちが出迎えてくれて。観ているだけで心がなごんできます】

【震災後の4/7に生まれたゴマアザラシの子ども。名前は「きぼう」です】

【アクアマリンを象徴する親潮と黒潮がぶつかる小名浜沖の潮の目をイメージ。このガラスも震災で壊れ、親潮と黒潮の魚たちが一緒に床一面に散らばっていたそうです】

   

 

 

 

【駐車場近くの3・11震災のモニュメント。アクアマリン周辺の被災がれきと、暑さ6cmもある潮の目の被災ガラス板】

今、小名浜港など福島県の浜通りの海は原発放射能汚染で、海岸で遊ぶことも、海産物をとることもできなくなったので、逆にアクアマリンは子どもにとっても大人にとっても生きた海洋生物がみられる貴重な施設に。

投稿者:

e-kamiyama

 現在6期目です。子どもや女性、お年寄りにあたたかい政治を!平和・いのち・暮らしを守ります!

「大震災から半年。原発事故の収束の方向みえず / 小名浜港とアクアマリンへ」への1件のフィードバック

  1. 核兵器を持たない日本には、原発なんか要りません。

    地球温暖化防止の一つであると思われていた原発政策ですが、震災の直後に放射性物質が漏れ出し、福島県の沿岸地域を中心に、日本列島の一部を汚染してしまいました。住民は県外への移住を余儀なくされています。

    さらに、事故後の後始末が、次の世代に渡って行くなど結構大変であるという事が分かりました。

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