柳橋歌舞伎上演/演じた御舘中学生とじゃんがら踊りを披露した県立いわき海星高校生と文化交流も

16日、江戸時代から柳橋に伝わる農村歌舞伎、中田町柳橋歌舞伎が上演されました。郡山市指定重要無形民俗文化財に指定されています。

今年は、保存会のみなさんによる「寿三番そう」と「奥州安達ヶ原」を、そして地元の御舘中学生が「義経千本桜・伏見稲荷鳥居の場」を上演しました。

また、今年は文化交流として、県立いわき海星高校チーム「じゃんがら」による『じゃんがら踊り』が披露されました。じゃんがら念仏踊りともいわれ,江戸時代から伝わるものです。

いわき海星高校では、昨年3・11の大震災の津波で2人の生徒さんの命が奪われました。いずれも家族を助けに戻って流され犠牲になったとのこと。この日の踊りは、この2人と震災犠牲者への鎮魂の思いが伝わってくるものでした。

 海辺の生徒さんとの交流は初めてです。互いに感想を述べあう場面も設けられました。会場には、東部ニュータウンの緑ヶ丘仮設住宅にいる双葉地区の避難者も招待されていました。

          【夕闇迫ると一段と舞台が映えます】

【左から2人目が柳橋歌舞伎保存会の近藤孝輔会長。来賓の県議、市議、元市長】

中田町敬老会、10周年を迎えた海老根和紙「秋蛍」スタート/明日夕方4時から柳橋歌舞伎上演

15日午前中は、中田町の敬老を祝う会が開かれ、来賓として出席。私の父も88歳の米寿のお祝いを受けました。中田町の75歳以上の高齢者は114人、そのうち米寿の方は36人です。

         【米寿を迎えた36人へのお祝いの品が、代表の方へ】

小中生による作文朗読、柳橋保育所の子どもたちによる「太刀舞い」と今年は新しく「東京ブギウギ」のかわいいダンスが加わり、そしてベテランのみなさんによる日本舞踊などが披露され、楽しませていただきました。

【米寿のお祝いを受けた父と】

                ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

夕方5時半からは、海老根地区ののオープン式へ。350年前から地元で生産してきた海老根手漉き和紙。後継者が残りわずかという事態になり海老根和紙保存会がスタートしたのは98年。

その後、稲穂が実る田んぼのあぜ道に和紙の灯篭を並べ、~海老根長月宵あかり「秋蛍」~としてスタートして今年10周年を迎えました。

きょう明日の2日間、夕方6時~9時開催です。県道小野郡山線沿いの海老根地区は、郡山駅から小野町方面東へ約10kmのところにあります。

また、あす夕方4時~8時は柳橋歌舞伎の上演です。明日は、柳橋歌舞伎と秋蛍の両方を楽しめますので、中田町へどうぞおいで下さい。

 

 【夕闇迫る中、点灯式】

【秋蛍の文字が、ろうそくのゆらめきとともに浮かび上がって】

 【地元の海老根小、宮城小中学校、御舘小中学校、大島小、一般に加え、今年はJA本店・各支店などから、今年は700点を超える作品に】

 

【地元の女性たちによる手づくりのとん汁ときゅうりのつけものがふるまわれて。おしかったです】

 

大震災・原発事故から1年半/当時、避難所になった県農業センターで炊き出しボランティア活動が紹介されて

 【昨年の大震災・原発事故当時、双葉郡避難者であふれた県農業センター。右後方は安達太良山】

9・11で大震災・原発事故からちょうど1年半です。先日郡山市北のはずれにある県農業センターへ行った際に、ホールの展示コーナーに昨年避難所になった同センターのボランティア支援が写真で紹介されていました。

よくみると、真ん中の写真は郡山復興共同センターでおこなった炊き出しのようすで、私がとん汁をよそっているところです。びっくりしました。

あの時、ここへの避難者は約100人。浪江町や双葉町、富岡町、大熊町などからの避難者でした。原発からわずか2~3kmに住んでいた人もいて、突然避難するように言われ、ヘリで郡山へ。その時、スクリーニング検査を受けさせられ、来ていた服も全部脱がされ、服が手元に戻ってきたのは2~3日後だったとのこと。スクリーニングが終わるまで寒くて大変だったと言われたのを思いだしました。

県農業センターは、県立高校の体育館などとは違って施設も新しく、職員の宿泊所もあるせいか布団上下が最初から用意され、暖房もたいて部屋はあたたかく、またお風呂も交代で使用できました。

ただ、食事はあたたかいものがなく、昼間だけ近所の方が炊き出しをしてくれたという状況でした。

私たち共産党も加わる郡山復興共同センターは、夕飯時にせめてあたたかい汁物をと、時々でしたがとん汁をつくって届けてきました。それがわずか1年半前のことです。

ところで、県農業センターへ行く途中の旧国道4号線沿いは、松尾芭蕉が通った風情のある松並木があります。真っ青に晴れ上がった雲一つない空と松の木とコントラストに、心も晴れやかになりました。

いわき市議選で4人全員当選/きょう大震災・原発事故から1年半、除染・賠償・被災者支援すすまないのに9月末で打ち切り?

いわき市議選は、9日に開票が行なわれた結果現職4人が全員当選しました。私たち県議団や県内から、そして全国からも支援に駆けつけていただき、みなさまの大きなご支援にあらためて感謝申し上げます。

今回は、消費税増税法案を民主・自民・公明の3党が強行採決したあとの選挙戦でした。

共産党は、消費税増税なしでも社会保障も財政再建の別の道がある対案を示していることを示し、2014年4月実施までには1年半もあることから、この間に実施中止を求めるたたかいを起こしていくこと。

そして、消費税を増税した3党への厳しい審判を市議選でも、秋の解散総選挙、来年7月の参議院選挙でも厳しい審判をと、私も街頭から訴えました。

さらに、外交問題になっている領土問題についても、尖閣諸島も竹島も千島列島も日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかです。

ただし、竹島については、1905年にわが国へ編入した当時が、日本が侵略戦争をすすめ韓国併合する過程と重なっています。韓国は、事実上の外交権を奪われ、国際社会に訴える術を持たない中で編入したのでした。

日本政府が、過去の侵略戦争について政府として反省を示すことなし、話合いのテーブルにつく土台もできません。そうした外交努力とその上で日本の領土であることを冷静に道理をもって主張すべきです。領土問題では、日本政府の外交力が問われているからも訴えました。

最終盤にも街頭から訴えていたら、県営住宅の3階の窓からお年寄りの女性が「頑張ってー。年寄りのことお願いしますー」と泣くような声で激励されました。別の演説箇所でも「年寄りのための政治をぜひ」と握手されました。その切実な声と表情が忘れられません。

このことは、県政にも,そして総選挙でも問われます。民主党も自民党も総裁選びで右往左往していますが、党内事情よりもこの間の政治,特に震災・原発事故への対応についても、この間採決した増税法案、そして原発再稼動、TPP問題、オスプレイ配備など、民主・自民・公明の3党のあり方が厳しく問われます。

福島・宮城・岩手の被災3県は、昨年の3・11大震災、原発事故からちょうど1年半たっても復興にまだ踏み出させず、多くの命がうばわれたままなのです。特に、原発放射能対策は今後長期に必要です。原発も収束などしていません。それなのに、支援打ち切りだけは実施するというのでは、被災県民は救われません。原発ゼロ、国民の命と暮らしを守る、真の政治改革をしていきましょう。共産党を、国政でも大きく伸ばしてしていただくよう、心からお願い申し上げます。

福島の画人「米倉兌・廣長威彦展」の角館へ

 10日、先日のブログで紹介した福島の画人「米倉兌・廣長威彦展」の最終日の10日、秋田仙北市立角館町平福記念美術館へ行ってきました。角館は、前日の9/7~9まで10数の山車がでる大層なお祭だったそうです。

           【会津の冬シリーズを描いた版画と廣長さん】

さて、今回の絵画展は、”東日本大震災復興支援 がんばろう福島! ”を掲げ、郡山市在住の廣長さんが、30年来にわたって通い続けている角館町のみなさんの協力を得て、親交が深かった福島市出身の米倉さんの絵画も一緒に展示しました。

米倉兌(とおる)さんは、2000年に87歳で亡くなっていますが、福島市に生まれ、1934・42年には二科展に入選されています。戦後、福島市に移住し福島県美術協会会員となり、72年まで県立高校の美術教師でした。1972~92年まで、三越日本橋本店はじめ札幌~鹿児島各店で墨彩展を開催されています。私は、今回の絵画展で米倉さんという画家を初めて知りました。

さらに驚いたのは、この2人と親交があったという故斎藤清氏の版画5点も「特別賛助展示」として展示されていたことです。斎藤清氏といえば、福島県会津坂下町出身の国際的な画家です。会津の冬シリーズを版画と墨絵で制作された貴重な収蔵版画ですが、この3人の親交があったことが今回の展示された写真などで知りました。

廣長さんとお二人とは、親子ほどの年の差もあるそうです。この日は、米倉さんの娘さんのフリーライター米倉みなとさんにもお会いすることができました。   【故米倉兌さんの絵をバックに、廣長威彦さん、米倉みなとさん(中央)とともに】

廣長さんは、郡山市生まれで現在も居住されています。廣長さんはすごいなと思うのは、1960年から富山県五箇村の合掌造り写生を機に、オートバイで1人で全国の民家写生行脚を始め、以来50年以上にわたり77歳になる現在も続けていることです。

油彩画も水彩画も得意としていますが、民家シリーズは全国の消えゆく民家を記録に残そうと、主に版画で表現しています。特に、冬の降り積もった民家の版画はみごとで、斎藤清氏の版画を思わせる画風です。

米倉さんは孤高の画家、廣長さんも無所属です。お二人とも、福島県出身の画家として大きな功績を残されています。しかし、残念なことに、福島県にも福島市にも郡山市にも、その作品の展示や収蔵もありません。斎藤清氏についても県立美術館に絵画あるといってもまだ少なく、国内外の評価にふさわしい位置づけがなされていないように思います。

公立美術館と学芸員などがその専門的立場から、所属があるなしにかかわらず、県内出身の画家についてはもっと光をあてて発掘と評価を行ない、必要な収蔵をする必要があるのではないでしょうか。

【角館も30度近い暑さ。平福美術館がある武家屋敷通りでちょっとソフトクリームで一休み】  

和歌山県議団が視察に、震災救援カンパも/前日には北海道の江刺町議、乙部町議も

きょう4日、控室にわが党の和歌山県議団4人の県議のみなさんがそろって来庁されました。昨日は、南相馬市の被災地を視察されたそうです。原発事故の被害の実態を知りたいと、除染対策や県の取り組みを県から説明も受けられ、そのあと私たち県議団と懇談しました。

そして、和歌山南地区委員会からの多額のカンパも頂きました。私たち福島県民にとって、原発放射能の被害について、実際に来て見ていただくことは何よりも大きな励みです。

昨日は、北海道江刺町と乙部町の町議2人で除染対策などで視察に来庁されました。

「おもかげ復元師」笹原留似子さん、今週号の赤旗日曜版で大きく紹介

私のブログで紹介した復元した納棺師、笹原留似子さんについて、赤旗日曜版が今週号(9/2付)で大きく紹介しています。彼女は、まだ40歳という若さ。でも、豊かな感性で遺体や遺族と向き合い、最後の別れを笑顔で家族が送れるようにと、独学で見に付けた技術で、被災地で300人以上もボランティアで復元されました。

8/17のNHKテレビで放映されたのでご覧になった方も多いと思います。「震災絵日記」のこれらの絵もご本人が描いたものだと知りました。絵に添えられた短い言葉も彼女の手書きです。遺族や遺体に語りかけるあたたかい著者の言葉に、何度読んでも涙が止まらなくなるのは私だけではないでしょう。

また、震災以降、ボランティアを始めた経緯、自分の葛藤や想いをまとめた笹原さんの著書も涙なしには読めません。命の尊さ、東日本大震災がもたらした未曾有悲劇を知る上でもこの2冊はぜひおすすめです。もちろん、赤旗日曜版もこの機会にぜひご購読していただきたいと思います!

京都府議団が本県を視察、被災カンパも頂いて

27日、京都府議団が本県の視察にこられ、県議団と懇談しました。被災カンパもよせていただきました。

京都府議団は現在11人。この日来県されたのは9人と事務局6人です。南相馬市の小高区に現地視察され、夕方県庁控室にこられました。私たちもこの日はちょうど県議団会議があったので、5人そろって懇談しました。

私たちは、震災・原発事故から1年半になろうとしてしているのに、一向に除染も賠償も健康支援もまだまだこれからという状況であり、原発事故の異質な危険と被害について実態を報告。府議団からは、現地をみてきた感想や、甲状腺がん健診や母乳検査について、除染問題、原発サイト内の現状などの質問が出されました。

夜は、少々お酒も入って、震災・原発事故当時のようすや全国で原発ゼロをめざそうと感想を出し合い、楽しい交流会でした。他県からの視察団のみなさんに話を聞いてもらうだけで、心の重荷が晴れる思いです。

府議団は、翌日岩手県の被災地も視察されていくとのことです。

いわき市議選目前/宣伝カーで政策を訴えて

 いわき市議選は9/2日告示、9/9投票で行なわれます。共産党は現職の4人が立ちます。

25~26日、いわき市へ市議選の支援へ入りました。きょうは宮川県議の地元で伊藤市議の勿来地域へ入り宣伝カーで政策を訴えました。8月も終わりだというのに、連日30度を超える真夏のような猛暑です。暑い中での街頭宣伝でしたが、車の中からも良く手を振ってくれます。さすが、宮川県議・伊藤市議の地元です。

【宮川えみ子県議と選挙事務所で】

宮崎県母親連絡会が郡山に宿泊/浪江馬場町議と原発被災の実態を報告

24日夜、郡山市熱海の温泉の宿泊された宮崎県母親連絡会のみなさんへ原発被害の実態を報告させていただく機会がありました。新潟で開かれる日本母親大会へ向かう途中、被災地応援もかねて郡山へ1泊して頂いたとのこと。

 

 夕食時に、原発事故とその被害の実態について報告する機会をいただきました。浪江町の馬場町議と私が話をさせていだき、また食事をしながら質問も受けました。

 みなさんからは、ねぎらいの言葉とともに、共に国と東電に責任を求めていきましょうと連帯のあいさつもあり、あたたかい交流ができました。全国にまた仲間が増えて心強い限りです。

【私の「東京電力とたたかって15年】の冊子をプレゼント】