10日、先日のブログで紹介した福島の画人「米倉兌・廣長威彦展」の最終日の10日、秋田仙北市立角館町平福記念美術館へ行ってきました。角館は、前日の9/7~9まで10数の山車がでる大層なお祭だったそうです。
【会津の冬シリーズを描いた版画と廣長さん】
さて、今回の絵画展は、”東日本大震災復興支援 がんばろう福島! ”を掲げ、郡山市在住の廣長さんが、30年来にわたって通い続けている角館町のみなさんの協力を得て、親交が深かった福島市出身の米倉さんの絵画も一緒に展示しました。
米倉兌(とおる)さんは、2000年に87歳で亡くなっていますが、福島市に生まれ、1934・42年には二科展に入選されています。戦後、福島市に移住し福島県美術協会会員となり、72年まで県立高校の美術教師でした。1972~92年まで、三越日本橋本店はじめ札幌~鹿児島各店で墨彩展を開催されています。私は、今回の絵画展で米倉さんという画家を初めて知りました。
さらに驚いたのは、この2人と親交があったという故斎藤清氏の版画5点も「特別賛助展示」として展示されていたことです。斎藤清氏といえば、福島県会津坂下町出身の国際的な画家です。会津の冬シリーズを版画と墨絵で制作された貴重な収蔵版画ですが、この3人の親交があったことが今回の展示された写真などで知りました。
廣長さんとお二人とは、親子ほどの年の差もあるそうです。この日は、米倉さんの娘さんのフリーライター米倉みなとさんにもお会いすることができました。 【故米倉兌さんの絵をバックに、廣長威彦さん、米倉みなとさん(中央)とともに】
廣長さんは、郡山市生まれで現在も居住されています。廣長さんはすごいなと思うのは、1960年から富山県五箇村の合掌造り写生を機に、オートバイで1人で全国の民家写生行脚を始め、以来50年以上にわたり77歳になる現在も続けていることです。
油彩画も水彩画も得意としていますが、民家シリーズは全国の消えゆく民家を記録に残そうと、主に版画で表現しています。特に、冬の降り積もった民家の版画はみごとで、斎藤清氏の版画を思わせる画風です。
米倉さんは孤高の画家、廣長さんも無所属です。お二人とも、福島県出身の画家として大きな功績を残されています。しかし、残念なことに、福島県にも福島市にも郡山市にも、その作品の展示や収蔵もありません。斎藤清氏についても県立美術館に絵画あるといってもまだ少なく、国内外の評価にふさわしい位置づけがなされていないように思います。
公立美術館と学芸員などがその専門的立場から、所属があるなしにかかわらず、県内出身の画家についてはもっと光をあてて発掘と評価を行ない、必要な収蔵をする必要があるのではないでしょうか。
【角館も30度近い暑さ。平福美術館がある武家屋敷通りでちょっとソフトクリームで一休み】