郡山市議選がまもなく告示です

  【高橋よしはる市議とともに街頭宣伝】

 郡山市議選の告示が今月28日に迫っています。9/4投票まで橋本のりゆき、高橋よしはる、岩崎まりこの3人の現職が再選めざして奮闘中です。

今回は、4月のいっせい地方選が延期され、ようやくこの日程に決まったのですが、あと1週間で本番を迎えます。私も3人のブロックで街宣で市民に訴えています。

原発放射能の影響は郡山で深刻な事態になっています。

何しろ市議団の話では、2学期から転校する予定の子どもが700人を超え、1,000人になるだろうとされているとのこと。1つの中学校が消えてしまうことに等しい人数です。

ですから、校庭の表土はいち早く実施した郡山市ですが、もっと細かい線量測定と通学路や側溝など生活空間の除染をスピード感をもって行う必要があります。

郡山は全国2位の米どころですが、コメの分析が今の検査体制では明らかに無理です。県にも市にも分析機器が全く足りません。JAでも設置しているとはいえ、圧倒的に不足しています。

今の県の分析機器では、研究用のせいかあまりにも精密すぎて、時間がかかりすぎます。費用も2~3千万円もします。もっと費用も安くて測れる機器を大量に導入すべきだと思います。

賠償問題も本格的にはこれからです。実害はもちろん、風評被害も精神的苦痛も含めて全面賠償を求めるたたかいをすすめます。

企業や団体の政治献金を一切受けとらない、東電にもはっきりものがいえる共産党を大きく伸ばしていだだけますよう、全国からの支援を心から訴えます。私も一緒に頑張ります。

郡山市内の仮設住宅を訪問~秋田の伊藤さんがお米など支援物資をもってかけつけて

 19~20日、秋田から伊藤さんが秋田こまちのお米30キロと卵や野菜、食器などを車に積んでやってきました。今回で3度目になります。

 午前中、お米や野菜などを箱に詰めて一軒ずつ訪問したのですが、秋田こまちのお米が一番人気でした。自治会長さんにも挨拶し、午後は伊藤さん1人で食器などをもってお店?を開いていただきました。

    【秋田の伊藤さん。小分けにした秋田の米や卵を詰めて訪問】

        【私はゴーヤやきゅうりなどの野菜野が入った袋を持って】

   【仮設住宅の玄関まわりなどへの苦情が多かったせいか、だいぶ改善されたようです】            【最初に訪問した家庭で、仮設住宅の室内をみせて頂いて。2部屋分です】

  【こちらは台所。玄関などに網戸もついていましたが、あとからついたとのこと】

  訪問した棟が、川内村の住民でまとまっていたせいか、また今週は涼しくなったせいか、あまり切実な要望はなかったのですが、1戸に2人が普通ですが3人では狭い住宅です。季節が変わるごとに訪問することが必要だと思いました。訪問ボランティアに来ていただけると助かります。

 また、市内の放射線量を測定するボランティアも来ていただければありがたいです。

          【高橋よしはる議員の選挙事務所で昼食】

【午後に伊藤さんが開いた仮設住宅でのミニ青空市。17人くらい来ていただいたそうです】

写真は、すべて伊藤さんの提供です。伊藤さんは、郡山のあと、仙台の市議選応援し、そのあと津波被害を受けた石巻で壊れたお墓の片付けのボランティアを。ここもすさまじい被害です。

県医師会長と懇談

 20日、小池晃党政策委員長とともに県医師会の高谷会長と会談。久保田県委員長、私と宮本副委員長が同行しました。実は、小池さんと高谷会長と同窓生とのこと。もちろん、年齢の差はかなりあります。震災や原発のことなどを含めお話をうかがいました。

市の交通安全大会と交通安全母の会

13日、郡山市の交通安全大会に参加。今年は、地元の交通安全母の会の役員でもあるので、バスでみなさん参加。来賓としても壇上に上がりました。

 今年は、放射能の影響で、春の交通安全週間は旗振りは中止しました。私の地元は比較的線量が低いのですが、それでも若いお母さんたちはわが子が心配出、車で学校へ送迎しているからです。

 秋には再開するそうですが、町内会の各種行事も自粛しています。かように、原発放射能汚染の影響は、さまざまなところへ及んでいます。

浪江商工会と双葉商工会へ義援金を届けて

 15日、浪江町議の馬場議員とともに、二本松市内に仮事務所がある浪江商工会と双葉商工会へ共産党中央委員会からの義援金を届けました。浪江商工会は松崎会長、佐藤事務局長、双葉商工会は筒田経営指導員に応対して頂きました。

   【浪江商工会の松崎会長へ義援金の目録を手渡して】

         【双葉商工会の筒田経営指導員へ義援金の目録を手渡して】

 懇談では原発賠償問題について、仮払いで250万円の上限が設けられたが、最初から決めていたようで、それを会議に持ち込まれたとのこと。

 これには納得していないし、その仮払いの実際の支払い状況は会員の半分程度とのこと。ある会員は、請求書を提出したのに東電からなかなか支払われないので、おかしいと思い連絡したら「保留扱い」のまま放置されていたという。せめて、その理由を本人へ連絡すべきではないかと、同感です。

 また、仮払いについての苦情を商工会の窓口の職員が応対しているが、精神的には大変きつい。本当は東電へ向かう苦情が全部ここへくる。東電にそうした対応をやってもらいたい、とつらい心情も訴えられました。

 双葉町は、3キロ圏内に工業団地があった。大手の製造メーカーが立地し、地元雇用にも貢献していた。なぜ設備を持ち出せないのかをきちんと説明してほしいとも。

 ところで、地震保険の支払いが損保会社によってまったく出ないところと、帰宅できない警戒地区とわかるだけで適用をすぐ認めてくれる保険会社もある。実際に戻れないのだから、たとえ家屋が残っていても適用させるようにしてほしいと要望されました。

 「原発さえなかったら」、こんな状況にならずに済んだのに・・・・ここでもこの言葉がでました。原子力損害賠償法の枠を超えた賠償をさせるための特別法の制定を求めていくこと。双葉地方の全住民で国と東電を行動を起こしていきたいとの決意がありました。県も県議会も行動を起こしていくときだと思います。

なつかしい学生時代の先輩たちと母校見学

 10日、大学時代の先輩から声をかけていただき、みんなで東京で集まるというので、夫と急遽上京し、なつかしい先輩たちと再会してきました。

 実は、案内を頂いていても県議会が終わったばかりで予定がどうなるかわからなかず、返事を出しかねていました。でも、同じサークルで知り合った夫も私も同じ大学出身。、当時の別のサークルが中心の集まりとはいえ、なつかしい先輩たちへ原発事故を被害を受けた福島の現状をぜひ伝えたくなって出かけました。そして、私の「東電と闘って15年の冊子」も大いに普及してきました。

 ことの発端は、埼玉で共産党の市議を24年間務めた高崎さんが、このほど引退し郷里の九州へ帰るため、その送別会というの主旨でした。もちろん、高崎さんのことは私も学生時代から知っています。  この会合には、なんと共産党の現職議員が私を含めて5人。先輩たちも全国各地で活動家として奮闘していることがわかり、私も改めて元気をもらってきました。

 食事会のあと、夕方渋谷駅から大学まで歩きました。正面にみえる大学の校舎がりっぱな高いビルになっていて、30数年前の校舎とはまるで違っていてびっくり。 あの頃のキャンパスの面影はすっかり変わっていて驚きました。そういえば私は、中退後、ほとんど行っていなかったのですから当たり前です。 

渋谷駅構内に飾ってある岡本太郎さんの絵画、原爆被害のことを描いたものだそうですが、福島県の惨状と重なりました。

 

郡山共同センター、国と東電へ原発事故の収束と全面的補償を求め申し入れ、国には署名も提出

6日、郡山共同センターのみなさんが、福島市の国と東電へ「原発事故の収束と全面的補償を求める要請書」を提出。あわせて、約6,000筆の署名を国へ提出しました。

 私は、県議会の特別委員会の審議中だったため同行できませんでしたが、ちょうど控室にみなさんがこられたときは、休議中だったので一緒に写真をとりました。前列は高橋市議、橋本市議、岩崎市議などです。

「原発ゼロ」をめざす、7・2中央集会に2万人

 7/2、東京明治公園で開かれた「原発ゼロをめざす」7・2緊急行動へ郡山のみなさんと参加してきました。全体で2万人の集会となりました。主催者挨拶は伊東達也さんが行い、志位共産党委員長が来賓挨拶しました。

 

 

 

 特に、原発被災県である福島県からの参加者は集会でもデモ行進でも大いに注目され、全国各地で闘かっている団体のみなさんと交流できました。

 また、郡山からバス2台で参加したみなさんと、集会参加者へ私の「東電・原発と闘って15年」の冊子を普及したり、原発をなくす署名行動をしたりと奮闘。デモ行進は明治公園から代々木公園まで1時間半近く歩きました。子どもたちも頑張って歩き、「原発ゼロに! 放射能なくせ!」と沿道にもアピールしました。

原発なくせ! 原発事故の全面賠償を ! / 県内から1000人を超える集会・デモ

25日、県復興共同センターの主催で、福島市のまちなか広場で開かれた原発なくそう集会・デモ行進に郡山のみなさんと参加。雨の中でしたが、1000人をこえる参加者は市民の注目を浴びました。

集会では、大門みきし衆議院議員が国会報告。そして、南相馬党市議の渡部寛一市議が、被災地の実態報告。伊東達也全国原発問題連絡センター筆頭代表は、万感の思いをこめて渾身の挨拶。

飯舘村の酪農家、浪江町相双の業者、女性から挨拶が続きました。飯舘の酪農家が自殺者はもう出さないと怒りと決意を述べましたが、牛を手放す時、農家のお母ちゃんたちが走り出すトラックを追いかけて別れを惜しんだとの訴えには涙がこぼれました。

そして、女子高校生は「もう結婚できないかもしれないし、赤ちゃんも産めないかもしれないのですかと村の集会で発言したとのこと。この原因をつくった東電に対する怒りがこみあげてきます。

 【あいにくの雨でしたが、原発被災に立ち向かう怒りの声が会場にいっぱい】

            【デモに出発前】

 

【デモ行進の後方は県庁です】

【青年たちのデコレーション。爆発した1号機と3号機の原子炉建屋】

木村真三氏の放射線汚染実測調査報告の講演会

 19日夜、急きょ郡山で開かれた木村真三氏の放射線の講演会の案内を受けて私も参加しました。木村氏は、放射線医学研究所の研究員を辞職して、放射線研究の草分けといわれる岡野信二氏とともに精力的に県内を実測し、県内の汚染マップづくりをすすめています。

  放射線を測定する特殊な機器を車に積んで、原発立地の10キロ圏内にも入り、放射線量の高い地域を見つけたりして、今話題のホット・スポットとよばれる地点を報告し、マスコミでも報道されています。

 40代前半の木村氏の方報告を聞いたのは初めてですが、大変刺激を受ける内容でした。チェルノブイリにも調査に入っていて、25年前に原発が爆発したあとの人々のくらしを調査。高齢者は移住せず、放射線量の高い地域でどうやって暮らしているのかを調査しているので、わが県とも比較研究していくとのこと。

 また、講演に参加した人は一緒に汚染マップづくりに参加してほしいと、計測の仕方を教えていただきました。測定位置は、地上から1mの地点。これが国際基準で、同じ数値を出すためです。さらに、東京都内で測ったように地表から5cmの高さを測ります。いずれも計測機をビニール袋に入れて測ること。計測機を地表の放射能で汚染させないためです。

地表の線量と1mの高さがあまり差がないくなれば、それは土譲深く放射線がしみこんでしまったことになる。そうなれば表土の除去を深く削る必要が出てきます。その意味では、これも時間との勝負のようです。

 また、削った表土の処分方法についてですが、単なる上下置換方式はダメで、今の線量くらいであれば、削った分の深さの穴を掘り、土のう袋に詰めて埋めて上から土をかぶせる程度でよいとのこと。

 少しでも汚染実態をメッシュで測り、またその変化も地図で誰もがわかるようにすること。汚染土譲の表土除去をあらゆる場所で行なうこと。これは、県民の安心・安全からも、また県外へ避難した人がふるさとへ戻れる確かなメッセージになると思います。