8/12付けしんぶん赤旗3面。俳優の香川京子さんが、20才の時、今井正監督の「ひめゆりの塔」の映画に出演し、沖縄戦の悲劇を知ったとの特集記事です。「別れの曲」の楽譜が、自宅にあったと写真も掲載されています。
実は、この「別れの曲」(相思樹の歌)の作詞者は、私の地元、県立郡山商業高校出身の太田博さんです。
私が以前、毎月発行していた「こんにちは神山えつこです」の2001年10月号で、太田少尉について、同級生の森合さんと従兄弟の元高校教師の太田さん、2人(共に故人)にインタビューしています。
太田少尉は、郡商卒業後沖縄に配属され、ひめゆり学徒隊の女学生たちと交流が生まれました。戦場では卒業式もできないだろうと聞いて、詞をプレゼントしたのがこの歌だったそうです。
しかし、太田少尉博は、1945年6月、切り込み隊として25才で戦死。ひめゆり学徒隊もその前日、米軍のガス弾が投げ込まれ、作曲をした東風平少尉と共に「別れの曲」を歌いながら集団自決により爆死。奇跡的に生き残ったのはたった5人だったそうです。
その5人の生き残りの1人が、故宮良ルリさんです。宮良ルリさんは、この年の10月、郡山商業高校を訪れ、同級生の森合さんたちの尽力で、正門そばに建立されている「相思樹の歌」の歌碑を見学。私たち編集メンバーも同行しました。
明日8/15は、78回目の終戦記念日です。改めて、岸田政権による戦争する国づくりを許さず、憲法9条を生かして平和への取り組みこそ進めましょう!