26~27日は、高橋ちづ子衆院議員と3人県議団とで、富岡町の仮設・借り上げ住宅の避難者との懇談や富岡町を現地調査しました。
26日は、郡山市富田町にある富岡町の「おだがいさまセンター」で避難者と懇談。町当局からは、田中司郎副町長、滝沢総務課長、菅野主幹の3人が。また、富田仮設の遠藤武自治会長、絆ステーションの小林さん、仮設住民の斉藤さん夫妻などに参加いただきました。
お年寄りが多い仮設の中で、めずらしく子どもたちの声が聞こえる中での懇談となりました。富岡町は、今年3/25に一部避難解除され3つに再編されました。それにともなっての現状や問題点などが出され、最後に町がまとめた要望が、高橋ちづ子衆院議員に手渡されました。
斉藤さんご夫妻から、避難の実態についてまとめた報告を受けました。遠藤自治会長さんは「わが家Bクラスです」と述べながら話を始めたので、みんなで「Bクラスって何ですか」と聞いたら、”居住制限区域”のことだそうです。ちなみに、Aクラスは帰宅困難区域、Cクラスは避難解除準備区域。さまざまな思いがこもったネーミングです。
NPO絆ステーションの小林さんは、民間借り上げアパートなどに住む避難者がほっとできるようにとカフェを立ち上げたら、1年間でのべ5千人の利用があったそうです。最近、ある方が一時帰宅した際、自宅のタンスを開けてみたら子ネズミがぞろっと中にいた。次々とタンスをあけたらそこにもいっぱい子ネズミが・・・。まるでネズミの団地のようだったと。
27日は、滝沢総務課長さんと菅野主幹の案内で富岡町の現地へ行き、地震被災を受けた役場や生涯学習施設、桜並木で有名な夜ノ森公園のほか、学校の敷地内の除染土壌の仮置き場、津波被害を受けた富岡駅などを視察。
震度6強の地震が襲った直後、役場では電気が消え自家発電もダメで、災害対策のモニターもみられなくなり、すぐに近くの生涯学習センターに災害対策本部を移したものの、そこも防災無線もダメになり情報はテレビで避難指示が出たのを知ったこと。
3・11のあの日、この会場では東電の「ヒューマンエラーを防ぐために」との研修会が開かれていましたが、皮肉にもそれは役に立たなかったようです。富岡町の大きな地図が広げられ、おにぎりのアルミ箔の包みや非常食のビスケットの残りも当時のままで。ここでバス7台と県に要請したバス2台とで町民を川内村に避難を決断したそうです。ホワイトボードには、その時点での行方不明者と死亡者の指名もあって・・・。
【富岡町役場内~税金の申告会場のお知らせ案内がそのまま】
【滝沢課長さんの机と天井板が震災で落ちた菅野主幹の机】
【3・11の夜避難町民を受け入れた町の生涯学習館~雨漏りがひどく床はでこぼこ】
自宅のネズミ被害の実態をと、特別に滝沢課長さんの自宅を案内いただきました。納屋においてあったみそ樽は、離れ牛にきれいに食べられてしまい、家の中におじゃまするとネズミやイノシシの糞が畳のあちこちに。何度か片付けたが、だんだんやる気もがなくなっていると。言われて気がつきましたが、家の中はイノシシのにおいが。別のお宅では、布団の中に青大将の蛇がいたそうです。
【いのししが突進して倒されないよう、板戸をつけた玄関】 【ネズミやイノシシの糞と荒らされた家の中】
別れる時に課長さんにお礼を述べると、「ぜひ、この現状を多くの人に知らせてほしい」と訴えられましたが、私たちも涙が出る思いでした。