夫の定年記念で夫婦で旅行へ/憧れのスイス・アルプスの登山列車

18日~25日まで夫婦で旅行にでかけてきました。夫が昨年3月に定年を迎え、いつかスイスの登山列車に乗ってみたいという夫の長年の夢をかなえようと、思い切ってツアーを申し込みました。

今回の参加者は14人・7家族グループで、とても家族的でした。バンコク経由でスイスのチューリッヒ空港へ。行きも帰りも18時間近くかかる飛行機の旅は疲れましたが、念願のスイスアルプスは想像以上でした。

夫婦で海外旅行は初めてで、国内旅行もあまりありません。夫へ日頃の議員活動協力への感謝と罪滅ぼし? も兼ねた「感動のスイス・アルプス三大名峰絶景の旅8日間」は、幸運なことにすべて天候に恵まれました。

何しろ登る前は雲がかかっていてもユングフラウヨッホ、モンブラン、マッターホルンがそれぞれの展望台に着く頃にはみごとに晴れ上がり、本物の三大名峰の頂上がまじかに見えて感動の連続。

ガイドさんによれば、数あるツアーでも全部見ることができるのは非常にめずらしいことだそうです。その一部を写真でお届けします。

 

 

【20日、今年ちょうど100周年を迎えたユングフラウ鉄道で展望台へ~世界遺産ユングフラウ(3,454m)】

【この登山列車の途中の駅からみえる世界遺産アレッチ氷河】

このあと、ユングフラウヨッホ、アイガーの巨峰をバックに、お花畑をみながら1時間半ハイキング。

 

【21日、ロープウェイで登り、エギーユ・デュ・ミディ展望台からまじかにみえた最高峰モンブラン(4,810m)】

 

 

 

 

 

 

 

【21日の夕方にマッターホルンの麓の町ツェルマットへ。駅周辺です】

【町中を走る電気自動車。音がしないので交通事故には気をつけないと・・。これにも乗ってみました】

【夜9時すぎまで明るく、日没の夕陽に照らされるマッターホルン】

【22日、登山鉄道でゴルナグラード展望台へ。そこからマッターホルンや花を眺めながらハイキングし、眼下にみえる駅から登山電車で下山】

           【リッフェル湖に映る「逆さマッターホルン」もみごとに見えて】

 

21日の午後の自由行動は、もっとマッターホルンをもっとまじかにみようと、一旦ツェルマットの町に戻り、タクシーに相乗りして今度はロープウエイで別の展望台へ。  【ホテルでつくってもらったお弁当を食べながらロープウエイからの展望を楽しんで】

ここの展望台は4000m級。さすがに頭がフラフラしましたが、少し休んで展望台下の氷河のトンネルへ。きれいなイルミネーションに輝く氷の彫刻に魅せられて。

                        【今回のツアーガイドさんと】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22日、いよいよ最後の観光は、ツェルマット駅からサンモリッツ駅まで氷河特急8時間の旅。世界一ゆっくり走る特急だとか・・・。

この日は、まさに雲ひとつない晴天。青い空ときれいに整備された牧草地、絵葉書のようなスイスの風景を満喫。車内でランチしながら、みんなで歓声の連続でした。

 

 

 

父の米寿のお祝い~多くのみなさんに感謝します!

 
       【姉がお祝いにと炊いてくれたお赤飯】

 20日は、私の父の米寿のお祝い会を市内の温泉でしました。父は7月の誕生日で88歳になります。これまで忙しさに紛れてこうした父のお祝いを逃してきましたが、夫に言われてお祝い会をとなった次第です。
 

 孫やひ孫に囲まれて父はとても喜んでくれましたが、父の人生で一番大きな出来事は、先の戦争でシベリアに抑留されたことです。20歳そこそこで徴兵され、終戦後3年もたってから帰国。その後、亡き母と結婚しました。ですから、父はいつも戦争体験の話になってしまいます。


           【ひ孫の私の孫と】

 2年前に母が84歳で亡くなって寂しいようですが、今は家の周りを草刈り機できれいにしています。さすがに最近では腰が痛いといっていますが。お風呂炊きも父の仕事です。わが家は薪で沸かしていますので。でも、太陽熱を利用したり、いつでも灯油にきりかえられるように準備だけはしています。
  
 ともあれ、88歳まで長生きできたのもたくさんのみなさんの支えがあってこそです。この場を借りて深くお礼と感謝を申し上げます。

初孫が生まれました!

     【おっぱいを飲んでゲップもして。小さな手と初めての握手】

 県議選の真っ最中の今月16日、末娘が出産しました。私たちにとっては、初孫です。娘は帝王切開でしたが無事出産。3,000グラムちょうどで、女の子でした。

 娘はどこで出産すべきか迷っていましたが、放射能汚染の問題もあって新潟の長岡のご両親にお願いすることに決め、そのうち県議選が正式に11月となったことから、長岡の病院で出産することを決めました。お陰で私としては、安心して選挙をたたかうことができました。

 新潟のみなさんには選挙応援もたくさん頂き、公私ともに大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。みなさんから「二重の喜びだね」とお祝いの言葉をいただいて、あらためて喜びをかみしめているところです。

               【夫(じいじ)の顔をしっかりみつめて】

 そして、きのう23日午後に新潟へ行き、ようやく初孫と対面できました。夫も久々のだっこ。最初はこわごわでしたが、いろんな表情をする赤ちゃんに目を細めていました。

 私もだっこさせてもらいましたが、生後1週間たち意外にしっかり重く感じました。あたたかい「いのちの重み」でした。

 原発事故さえなければ、また違った対応になっていたかもしれません。そういう意味では、娘にすまない気持ちです。でも、それは今年出産された多くの母親たちにとっても同じでしょう。いろいろ悩み、不安も大きかったと思います。原発事故を起こした東電と国は、こうした人々の日常生活の営みを台無しにした責任をどう考えているのか・・・、といいたくなります。

田んぼの草刈りをする夫

 私が2階のベランダで洗濯物を干していたら、力強い草刈機の音。みると夫がわが家の回りの田んぼの草刈りをしていました。86歳の私の父も草刈が趣味のようなところがあり、腰が痛いといいながら自宅の庭の周辺や土手の草刈をしています。でもさすがに今年から田んぼは夫にまかせたようです。

 夫は、今年3月に定年を迎えました。引き続き同じ職場に勤めています。サラリーマンの家庭に育った夫は、私の実家に引っ越してきてから、機械でやる農作業を手伝うようになり、すでに20年以上たちます。

  今年は、原発放射能汚染が県内に広がり、田植えも全体に遅れました。わが家あたりは、市内よりも放射線量の数値は低いのですが、伸びてくる雑草を刈らないわけにはいきません。しかも収穫しても食べられるのか心配です。

 夫は、定年後は自分で野菜をつくったりする予定でいたようですが、私が今年は作付けを控えるように言いました。私はちっとも手伝えないですし、収穫を30代の娘にさせるのも心配なので。

 3月は誕生日と定年をお祝いする予定が、すっかり震災と原発事故のためにお祝いは簡単にすませてしまったので、懸命に草刈をしている夫にお詫びと感謝の気持ちを込めて、せめて写真に納めてみました。

母との突然の別れ

 お盆休みは13~16日まで夫の実家に行ってきました。夫の母が心臓の手術をしたばかりだったので、義母のようす伺いも兼ねてでした。

 ところが、16日の夕方に帰宅予定だったのに、この日の朝、長野県での宿泊先を出発したばかりのところに妹夫婦から連絡が入り、もう母がもうだめかもしれないとのこと。死亡は朝6時頃とのことでした。これは、まったく誰も予想していなかったことでした。

 母は、血圧が少し高かったので、定期的に病院にも通っていましたし、何より前日には親戚の人たちに手料理を振舞い、孫たちにも会っていたくらいでしたから・・・・。

 母は誰の手も煩わすことなく83歳で逝ってしまいました。人一倍気を使う母にしてみれば望みかなう死に方だったのかもしれません。

 でも一番がっかりしているのは父です。いつも何につけ母に世話をしてもらっていた父は、つい母の呼ぼうとして・・・、切なくなって泣いてしまうのです。

 子どもたちも帰ってしまい、今週から父と私たち夫婦の3人の暮らしが始まりました。母にまかせていた食事の支度が私に回ってきて少々大変です。でも、体調を崩さないように気をつけながら乗り切らなくてはと思っています。

 多くのみなさまにご心配をおかけしたり、お見送りまで頂きました。感謝の気持ちでいっぱいです。