17日、郡山で県医労連の定期大会で挨拶したあと、福島市で開かれた東北ブロック平和委員会の学習交流会に参加し、福島原発事故の被災実態を報告させていただきました。(私も郡山平和委員会の会委員です)
郡山への支援・救援に何度もかけつけてくれた秋田平和委員会の伊藤さんからのご案内でした。(写真は、秋田での活動を報告する伊藤さん)
16日、江戸時代から柳橋に伝わる農村歌舞伎、中田町柳橋歌舞伎が上演されました。郡山市指定重要無形民俗文化財に指定されています。
今年は、保存会のみなさんによる「寿三番そう」と「奥州安達ヶ原」を、そして地元の御舘中学生が「義経千本桜・伏見稲荷鳥居の場」を上演しました。
また、今年は文化交流として、県立いわき海星高校チーム「じゃんがら」による『じゃんがら踊り』が披露されました。じゃんがら念仏踊りともいわれ,江戸時代から伝わるものです。
いわき海星高校では、昨年3・11の大震災の津波で2人の生徒さんの命が奪われました。いずれも家族を助けに戻って流され犠牲になったとのこと。この日の踊りは、この2人と震災犠牲者への鎮魂の思いが伝わってくるものでした。
海辺の生徒さんとの交流は初めてです。互いに感想を述べあう場面も設けられました。会場には、東部ニュータウンの緑ヶ丘仮設住宅にいる双葉地区の避難者も招待されていました。
15日午前中は、中田町の敬老を祝う会が開かれ、来賓として出席。私の父も88歳の米寿のお祝いを受けました。中田町の75歳以上の高齢者は114人、そのうち米寿の方は36人です。
小中生による作文朗読、柳橋保育所の子どもたちによる「太刀舞い」と今年は新しく「東京ブギウギ」のかわいいダンスが加わり、そしてベテランのみなさんによる日本舞踊などが披露され、楽しませていただきました。
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夕方5時半からは、海老根地区ののオープン式へ。350年前から地元で生産してきた海老根手漉き和紙。後継者が残りわずかという事態になり海老根和紙保存会がスタートしたのは98年。
その後、稲穂が実る田んぼのあぜ道に和紙の灯篭を並べ、~海老根長月宵あかり「秋蛍」~としてスタートして今年10周年を迎えました。
きょう明日の2日間、夕方6時~9時開催です。県道小野郡山線沿いの海老根地区は、郡山駅から小野町方面東へ約10kmのところにあります。
また、あす夕方4時~8時は柳橋歌舞伎の上演です。明日は、柳橋歌舞伎と秋蛍の両方を楽しめますので、中田町へどうぞおいで下さい。
【秋蛍の文字が、ろうそくのゆらめきとともに浮かび上がって】
【地元の海老根小、宮城小中学校、御舘小中学校、大島小、一般に加え、今年はJA本店・各支店などから、今年は700点を超える作品に】
【地元の女性たちによる手づくりのとん汁ときゅうりのつけものがふるまわれて。おしかったです】
【昨年の大震災・原発事故当時、双葉郡避難者であふれた県農業センター。右後方は安達太良山】
9・11で大震災・原発事故からちょうど1年半です。先日郡山市北のはずれにある県農業センターへ行った際に、ホールの展示コーナーに昨年避難所になった同センターのボランティア支援が写真で紹介されていました。
よくみると、真ん中の写真は郡山復興共同センターでおこなった炊き出しのようすで、私がとん汁をよそっているところです。びっくりしました。
あの時、ここへの避難者は約100人。浪江町や双葉町、富岡町、大熊町などからの避難者でした。原発からわずか2~3kmに住んでいた人もいて、突然避難するように言われ、ヘリで郡山へ。その時、スクリーニング検査を受けさせられ、来ていた服も全部脱がされ、服が手元に戻ってきたのは2~3日後だったとのこと。スクリーニングが終わるまで寒くて大変だったと言われたのを思いだしました。
県農業センターは、県立高校の体育館などとは違って施設も新しく、職員の宿泊所もあるせいか布団上下が最初から用意され、暖房もたいて部屋はあたたかく、またお風呂も交代で使用できました。
ただ、食事はあたたかいものがなく、昼間だけ近所の方が炊き出しをしてくれたという状況でした。
私たち共産党も加わる郡山復興共同センターは、夕飯時にせめてあたたかい汁物をと、時々でしたがとん汁をつくって届けてきました。それがわずか1年半前のことです。
ところで、県農業センターへ行く途中の旧国道4号線沿いは、松尾芭蕉が通った風情のある松並木があります。真っ青に晴れ上がった雲一つない空と松の木とコントラストに、心も晴れやかになりました。
いわき市議選は、9日に開票が行なわれた結果現職4人が全員当選しました。私たち県議団や県内から、そして全国からも支援に駆けつけていただき、みなさまの大きなご支援にあらためて感謝申し上げます。
今回は、消費税増税法案を民主・自民・公明の3党が強行採決したあとの選挙戦でした。
共産党は、消費税増税なしでも社会保障も財政再建の別の道がある対案を示していることを示し、2014年4月実施までには1年半もあることから、この間に実施中止を求めるたたかいを起こしていくこと。
そして、消費税を増税した3党への厳しい審判を市議選でも、秋の解散総選挙、来年7月の参議院選挙でも厳しい審判をと、私も街頭から訴えました。
さらに、外交問題になっている領土問題についても、尖閣諸島も竹島も千島列島も日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかです。
ただし、竹島については、1905年にわが国へ編入した当時が、日本が侵略戦争をすすめ韓国併合する過程と重なっています。韓国は、事実上の外交権を奪われ、国際社会に訴える術を持たない中で編入したのでした。
日本政府が、過去の侵略戦争について政府として反省を示すことなし、話合いのテーブルにつく土台もできません。そうした外交努力とその上で日本の領土であることを冷静に道理をもって主張すべきです。領土問題では、日本政府の外交力が問われているからも訴えました。
最終盤にも街頭から訴えていたら、県営住宅の3階の窓からお年寄りの女性が「頑張ってー。年寄りのことお願いしますー」と泣くような声で激励されました。別の演説箇所でも「年寄りのための政治をぜひ」と握手されました。その切実な声と表情が忘れられません。
このことは、県政にも,そして総選挙でも問われます。民主党も自民党も総裁選びで右往左往していますが、党内事情よりもこの間の政治,特に震災・原発事故への対応についても、この間採決した増税法案、そして原発再稼動、TPP問題、オスプレイ配備など、民主・自民・公明の3党のあり方が厳しく問われます。
福島・宮城・岩手の被災3県は、昨年の3・11大震災、原発事故からちょうど1年半たっても復興にまだ踏み出させず、多くの命がうばわれたままなのです。特に、原発放射能対策は今後長期に必要です。原発も収束などしていません。それなのに、支援打ち切りだけは実施するというのでは、被災県民は救われません。原発ゼロ、国民の命と暮らしを守る、真の政治改革をしていきましょう。共産党を、国政でも大きく伸ばしてしていただくよう、心からお願い申し上げます。
【ガードレール部分が狭い県道小野郡山線、旧宮城支店付近の歩道】
去る8/3に県中建設事務所へ要望していた通学路整備について、9/7にあらためて対応状況について尋ねました。通学路の歩道整備については、最近、通学時の児童を巻き込む死亡事故が相次いでいることから、PTA会長からも地元町内会からも要望されています。あわせて、現在工事中の石切り坂バイパスの進捗状況についても尋ねました。
【9/7 県中建設事務所で、石切り坂バイパス工事や歩道整備の説明を求めて】
宮城小学校区の宮ノ脇~赤沼橋の間の通学路の歩道については、以前設置した反射ポールを再度要望し、このほど整備されました。また、石切り坂バイパスにつながる旧JA宮城支店向いの歩道については、石切り坂バイパスの工事に合わせて歩道を延長し整備する方向で検討をすすめていると県が回答しました。
一方、1日に8000台の通行量になっている「石切り坂バイパス」の本体工事については、今年12月末までに、宮城小学校前の交差点のボックスカルバートを完成させ、新県道を西側の郡山市農道交差点まで進めるとのこと。近くのガソリンスタンドもこれに合わせて移転するようです。
また、バイパス工事全体にかかる予算は、すでに確保されているとのことですが、工事完成年度は今後1年半以上もかかる予定で、遅くも2014(H26)年の上半期の完成をめざしているとの説明でした。
しかし、ここは冬場の交通の難所、長年にわたる中田町のみなさんの悲願となっています。私が最初に立候補した91年に石切り坂改修を掲げてからもすでに21年。1日も早い完成を求めます。
また、この日は三穂田町山口の県道長沼・喜久田線の側溝改修と、県道にはみだしている樹木の伐採も要望しました。最近の豪雨続きで、歩道の内側が10cm以上もえぐれて危険です。現地調査の上、改修を要望しました。
10日、先日のブログで紹介した福島の画人「米倉兌・廣長威彦展」の最終日の10日、秋田仙北市立角館町平福記念美術館へ行ってきました。角館は、前日の9/7~9まで10数の山車がでる大層なお祭だったそうです。
さて、今回の絵画展は、”東日本大震災復興支援 がんばろう福島! ”を掲げ、郡山市在住の廣長さんが、30年来にわたって通い続けている角館町のみなさんの協力を得て、親交が深かった福島市出身の米倉さんの絵画も一緒に展示しました。
米倉兌(とおる)さんは、2000年に87歳で亡くなっていますが、福島市に生まれ、1934・42年には二科展に入選されています。戦後、福島市に移住し福島県美術協会会員となり、72年まで県立高校の美術教師でした。1972~92年まで、三越日本橋本店はじめ札幌~鹿児島各店で墨彩展を開催されています。私は、今回の絵画展で米倉さんという画家を初めて知りました。
さらに驚いたのは、この2人と親交があったという故斎藤清氏の版画5点も「特別賛助展示」として展示されていたことです。斎藤清氏といえば、福島県会津坂下町出身の国際的な画家です。会津の冬シリーズを版画と墨絵で制作された貴重な収蔵版画ですが、この3人の親交があったことが今回の展示された写真などで知りました。
廣長さんとお二人とは、親子ほどの年の差もあるそうです。この日は、米倉さんの娘さんのフリーライター米倉みなとさんにもお会いすることができました。 【故米倉兌さんの絵をバックに、廣長威彦さん、米倉みなとさん(中央)とともに】
廣長さんは、郡山市生まれで現在も居住されています。廣長さんはすごいなと思うのは、1960年から富山県五箇村の合掌造り写生を機に、オートバイで1人で全国の民家写生行脚を始め、以来50年以上にわたり77歳になる現在も続けていることです。
油彩画も水彩画も得意としていますが、民家シリーズは全国の消えゆく民家を記録に残そうと、主に版画で表現しています。特に、冬の降り積もった民家の版画はみごとで、斎藤清氏の版画を思わせる画風です。
米倉さんは孤高の画家、廣長さんも無所属です。お二人とも、福島県出身の画家として大きな功績を残されています。しかし、残念なことに、福島県にも福島市にも郡山市にも、その作品の展示や収蔵もありません。斎藤清氏についても県立美術館に絵画あるといってもまだ少なく、国内外の評価にふさわしい位置づけがなされていないように思います。
公立美術館と学芸員などがその専門的立場から、所属があるなしにかかわらず、県内出身の画家についてはもっと光をあてて発掘と評価を行ない、必要な収蔵をする必要があるのではないでしょうか。
【角館も30度近い暑さ。平福美術館がある武家屋敷通りでちょっとソフトクリームで一休み】
来週の週末は、中田町へぜひおいで下さい。9/15(土)~16(日)の夜は、海老根伝統手漉き和紙工房周辺で開催する「秋蛍」を。16日は、柳橋歌舞伎の定期公演です。地元の御舘中学生も義経千本桜を上演します。
「秋蛍」は、豊かに実った田んぼのあぜ道に、地元の小中学生などが作成した和紙の灯篭が並べられ幻想的な雰囲気が満ち溢れます。和紙は、地元の保存会が楮を切りり出し、冬の寒い時期に保存会のメンバーが漉いたもの。15日、16日ともに夕方6:00~夜9:00までです。
郡山指定重要無形民俗文化財の柳橋歌舞伎(保存会会長近藤孝輔)は、すっかり内外に知られるようになりました。
今年は震災復興祈念として、他地域伝統文化交流を実施する予定とのこと。16日だけの上演です。夕方4時開演~夜8時終了です。
柳橋歌舞伎を鑑賞したあと、帰りに海老根の「秋蛍」を見るという観光コースにもなっています。
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なお、お問い合わせは、「秋蛍」は、海老根秋蛍実行委員会事務局(TEL/FAX024-943-4264)まで。「柳橋歌舞伎」は、中田行政センター(TEL024-732-1111)へ。
6/30(土)~9/10(月)まで、秋田県仙北市立角館町平福記念美術館で開催されている絵画展~福島画人「米倉兌(とおる)・廣長威彦(威彦)」展は、あすが最終日です。
郡山市にお住まいの廣長さんからご案内を頂いていて、ぜひにと思っていましたが、6月議会中だったりしてなかなか行けず、とうとう明日が最終日。思い切って家族で明日秋田へ行くことにしました。
米倉さんは福島市生まれ、廣長さんは郡山市生まれ・在住です。お2人について、案内チラシから引用しますと、「廣長先生は、1960年代から全国の風土町並と集落を50年来現地取材し、記録として残すため、油彩・水彩・版画で作品を制作発表しています。
また、米倉先生は、墨彩で奥の細道や相馬野馬追、洛中・洛外シリーズ、更に南船北馬の中国シリーズなどを全国で発表しておられます」と紹介されています。
廣長さんと米倉さんは20数年来の親交があったそうですが、米倉さんは2000年に87歳で死去されています。
なお、角館町平福記念美術館へのお問い合わせは、TEL0187-54-3888です。
はじめに、私がこの間国会等の動きや情勢にかかわって党県議団の考えを述べ、具体的な要望内容については、阿部裕美子県議が述べました。
今回の要望は、大きく9項目です。1)総合計画の見直しあたって 2)「原発ゼロ』の福島を 3)くらしと生業の再建を土台にした復興を 4)被災者支援について 5)除染の促進 6)健康管理体制、医療、福祉 7)教育の充実 8)再生可能エネルギー 9)オスプレイ配備と低空飛行訓練に反対すること。
私たちは、復興の基本は『1人ひとりの生活と生業を取り戻すこと』と強調。これを基本にした県の総合計画の見直しを求めたほか、
原発ゼロ、人災、全基廃炉の立場から国と東電にその全ての責任をとるよう求めること。原発トラブル、原発労働者への被曝低減対策。
くらしと生業の再建では、最優先で被災者の「住まい」の確保を強調。そして、中小企業、農林水産業の再建・維持、地域循環型・内発型、福祉型の産業興しを求めました。
被災者支援では県外・県内の自主避難者を含めた支援継続。財物賠償では、不動産登記をしていない事例が多いため、市町村の固定資産台帳に基づいて行なうよう提案。
国保、介護、後期高齢者医療の減免を10月以降も継続できるよう国へ求めること。当面は県独自でも支援を要望。医師をはじめ看護師不足については、国の責任で配置すること。
また、県民の生活用水の放射能検査を新潟の刈羽原発に委託するのをやめ、他の検査機関に切り替えるべきと求めました。
この申し入れのあとで県議団会議を行ない、午後は代表者会議もありました。