共同センターで街頭募金と署名行動                                          秋田から救援物資を山のように積んできてくれました!

  7日、駅前で郡山共同センターは、先週に引き続ききょうも大勢の参加者で、街頭募金と原発の廃炉を求める署名行動をしました。青年のみなさんとカエルちゃん、実は娘です。カエルの親子と言われて・・・!??

 署名に応じたある若い女性は、実家が全村避難となった飯舘村とのこと。不安なようすでした。

  【前列が伊藤さんご夫妻。高橋市議(地区委員長)と私】

 ところで、きょうは私の選挙事務所に、わざわざ秋田から救援物資を届けてくれた伊藤さんご夫妻。きょうで2回目です。

 前回は、私がでかけていて会えなくて残念でしたが、あの時貴重なガソリンと灯油を運んでくれて大助かりでした。

 今回は、仮設住宅などに移った避難者向けにと集めてくれた食器や台所用品、座布団、下着や半袖のポロシャツなど、乗用車に山ほど積んできてくれました。

 伊藤さんとは、ちょうど1年前の5月の連休、NPT再検討会議が開かれたニューヨークで核兵器廃絶のNGO活動で同じ班になり、5日間行動を共にしたメンバーです。

 それにしても大震災・原発事故が発生後は、たった1年前のことでさえ、とても遠い昔のことに思えます。

弁護士さんたちの原発・震災学習討論集会                                                  福島原発事故・震災被害状況を報告                       

 6日、全国から集まってきた弁護士のみなさんが、郡山で原発・震災学習討論集会を開きました。

 「プレ企画」」として、被災地の地元議員報告が組まれ、私と馬場浪江町議、荒木千恵子南相馬市議の3人から報告しました。

 私は、津波・原発事故による県内の被災状況を。荒木市議からは事故を起こした第一原発から20km、30km圏などの線引きによる矛盾が集中している現状を訴えました。

 馬場町議からは、原発事故で村が放射能線量が高くなり、ついに全村が計画的避難区域指定になり、飼っていた牛の親子をきょう売ってきたところだ。

 通常なら200万円は下らないはずだが、避難してからもときどきに戻っていたが、満足にえさをやれなかったのでやせてしまい、たった40万円で売られて行ったと、涙をこぼしました。

青年ボランティアが、いわきと相馬でガレキ撤去

 5月の連休中、全国の青年ボランティアが福島県の津波被災地のガレキ撤去で大活躍。私は行けませんでしたが、娘がいわき市と相馬市でボランティア活動してきたので報告します。     【大門みきし参院議員と井上哲参院議員がいわき入りし、宮川県議とともに青年たちを出迎え】 

 娘がとってきた写真です。いわき市へは薄磯海岸近くの被災地で2日間活動。現地で宮川県議たちが出迎えてくれたとのこと。神社に通じる道路のガレキをみんなで頑張って、なんとか通れるようにしたそうです。

 その翌日は相馬へ行き、新地町の井上町議宅へ。家屋は免れたようですが敷地内の泥片付けを手伝い、そのあと新地町の被災地を案内してもらったそうです。

 写真は、線路と電車ごと被災したあの新地駅。線路は完全に逸脱しています。津波発生の時、たまたま乗り合わせていた若い警官2人が、機転をきかせ役場まで乗客を誘導し多くの命を救いました。

 一方、電車に残り情報収集していた運転士と車掌の2人は、この新地駅の連絡橋に避難。橋が津波をかぶりながらも一晩寒さに耐えて、乗客ともども全員無事だったそうです。

64回目の憲法記念日に3人の市議団とそろって街頭宣伝

 3日は、64回目の憲法記念日。今年は大震災の被害と原発事故の収束がみえない中で迎えました。憲法のそれぞれの条項を今こそ被災地に生かすこと、憲法の持つ言葉の重みも自分自身でかみしめながら演説しました。

  3人の郡山市議団と私は、後援会のみなさんと共に4チームに分かれて市内を午前中街頭演説しました。お昼近くに郡山駅前で合流し、3人の市議団とそろって訴えました。

  私は、JR後援会の方と田村町、中田町の4ヵ所で演説。駅前で演説を終わったら、須賀川の女性の方が私の名前を知っているし頑張ってほしいと握手していきました。

 午後は、浜通りから避難している避難所を訪問しました。きょうは、それぞれからじっくり話を伺いました。

 テクノアカデミー郡山校体育館には、約10人ほど。来週月曜日入学式と授業が始まるので、教室の方へ移動するとのことです。ちょうど横浜から美容師のボランティアのメンバーがカットを終わって帰るところでした。そのあと整体師の方も。連休中のせいかさまざまなボランティアが入っているようです。

 市内西部にある市青少年会館には、150人以上の方がおり、うち浪江町が約60人、富岡町と南相馬市が25人ずつ、それ以外の市町村からも入所しています。

 ここは、市内の県立高校が授業が始まったので、こちらに移動してきたみなさんです。宿泊施設なので、業者による3食ともあたたかい食事が用意され、お風呂も洗濯場もあり、これまでの不自由な生活よりはずっと改善されました。

 林業研究センターは40人弱。活用できる制度の手引きを配布市ながら、罹災証明を取りましたかと伺うと、まだ手続きをしていない方がいたので、世話役の県職員を通じて、役場から手続きの用紙を取り寄せてもらうことにしました。

既に民間住宅を借りた人も対象になると再度通知                                                                                                                      県へ第16次申し入れ                                                                                                                                                 国が4/30付けで県知事あてに指示

 厚生労働省は、4/30付けで、福島県知事あてに、民間賃貸住宅の借り上げの取り扱いについての指示文書をあらためて通知していることが分かりました。

 県の災害対策本部が4/13付で市町村へ通知した文書では、厚生労働省の指示を受けて「民間住宅に借り上げについては適用範囲を拡大するよう求める」としていました。

 ところが、県土木部はこれを知りながら、4/22付で市町村に出した内容は、要件を次のように限定しています。

 「資力がない人、高齢者の介護や障がい者や乳幼児への対応、子どもの通学などの理由で市町村が認める世帯」などと、3つの要件に合致しない世帯は対象外としたのです。

 27日に開かれた県議会の災害対策本部全議員会議では、他党からも質問がありましたし、宮川県議はさかのぼって家賃補助を出すべきと求めたにもかかわらず、土木部長の答弁は適用を5/1からと限定したのです。

 しかし、29日に本県に調査に入った赤嶺政賢衆院議員は、国会答弁ではそんなことは言っていないとのこと。そして、きょう送って頂いた文書をみると、厚生労働省が、4/30付けで再度本県知事あて(岩手・宮城も同様)に指示を出していることがわかりました。

 4/30付厚労省の指示文書では、敷居金や礼金、仲介手数料等の費用に加え、月ごとの家賃に共益費及び管理費を加算したものすべてが、国庫負担の対象経費になると明言しています。

 つまり、被災者はもちろん、県や市町村の行政負担は生じないのです(当たり前ですが)。したがって、災害による避難者は、すでに民間住宅を借りている世帯にも適用されます。県外へ避難した世帯も対象です。厚労省の通知どおりに、市町村にも認めさせていきましょう。

 なお、家賃は岩手・宮城地震の際6万円を参考に、特別な事業がある場合は協議を。借り上げ予定期間は、2年間としています。県土木部もこの立場で通知を見直す必要があります。

 きょうは、この民間住宅の借り上げ問題を含め、県へ第16次の申し入れを行ないました。避難所へのさまざまな支援と高校生のサテライト校への通学手段対策、地震被害を受けた県営住宅では、県が斡旋した他の棟の部屋が狭くて家財を納められないなどの問題が生じているため、そこを県が避難所扱いとすることなどを求めました。

        【災害対策本部、総括班の皆川主幹が応対】

第82回メーデー郡山地区集会

 第82回メーデー地区集会が郡山駅前のビッグアイで行なわれました。例年ですと郡山開成山の野外音楽堂で開催指、市内をデモ行進しますが、今年は、郡山も地震の被災を受けていますし、浜通りから2,000人以上の避難民も受け入れていることから屋内での開催を中心に行ないました。

 会場いっぱいの約200人が参加し、私も共産党地区委員会を代表して連帯の来賓挨拶を行ないました。郡山市の原市長と県中振興局の小松局長からもメッセージが寄せられました。

 福島県民は、地震・津波・原発事故、そして風評被害の四重苦に見舞われています。特に、原発事故に起因する放射能汚染、農畜産業、商工業などあらゆる経済活動に影響が及んでいます。

 共産党をはじめ、多くの市民団体が原発の津波・地震対策を再三求めてきたのに、その対策を怠ってきた東電と国に対し「人災」と認めさせ、原発に起因する全ての損害・賠償を東電と国に求めていきます。

 その財源は、消費税増税ではなく、不要不急の大型公共事業の中止、原発建設費等の莫大な予算を振り向ける、米軍への思いやり予算の中止、大企業と大金持ちへのゆきすぎた減税の見直し、政党助成金の廃止など、予算の組みかえを行なうこと。さらに、大企業の244兆円もの内部留保金の活用を求めるべきです。

 集会後、大勢で郡山駅前周辺で街頭募金や原発についてのシール投票、原発事故の全面補償と福島原発の廃炉を求める署名行動に繰り出しました。

塩川哲也衆院議員、赤嶺政賢衆院議員が浪江町長、川内村と懇談                                                国はテレビ辞令?                                                   

 29日、塩川鉄也党衆院議員が赤嶺政賢衆院議員とともに、役場ごと移動している浪江町や富岡町・川内町の仮役場を訪ね懇談しました。私と馬場町議、二本松の3人の市議団が同席しました。

  二本松市東和支所に移動している浪江町の仮役場では、馬場町長、副町長、議長らと懇談。避難当時のようす、役場ごと移動したことに伴う困難、住民サービスの状況、国や東電の派遣状況などをお聞きしました。

 この部屋で町長ら3役が寝泊りし、職員と一緒に朝は早くから夜遅くまで対策にあたってきたこと。町長はじめみんな血圧が上がり、副町長はついにダウンし先日入院したばかり。倒れた職員も数人出ていると。

  ところで、塩川衆院議員は、原災法では原子力災害合同協議会を開き、そこに被災市町村も参加することになっているが要請はされたかと尋ねると、「国から会議に呼ばれたことは一度もない。浪江町の『計画的避難区域指定』でさえ、町へ事前連絡もなくテレビの官房長官の会見で知った。“テレビ辞令”かと思っている」と・・・。

今後の仮設住宅や民間借り上げ住宅についての見通しについては、仮設住宅は用地をどこに確保するかが課題になっているようです。あまり市街地からはずれず、畑地などの民間の土地を借りられないかなどで意見交換しました。

 

 二本松市内の避難所をたずねました。ここは、洗濯機2台とシャワールームが外にあり、洗濯物が春風にゆれていました。

   

    【二本松市内の避難所で浪江町民の要望を聞く馬場町議と、塩川・赤嶺議員ら】

【要望を聞く赤嶺衆院議員と】

 郡山市内のビッグパレットでは、川内村の副村長さん、住民課長さんと懇談。冨岡町はちょうど会合のためあいにく留守でした。高橋・岩崎市議も同席し懇談。 

萱の葺き替え、菜の花畑の春

 29日の朝、塩川鉄也衆院議員の調査に同行するため福島市に向かうと、連休初日ということもあり高速走路は他県ナンバー車でいっぱい。渋滞が始まっていました。

 

 渋滞をさけて松川スマートインターチェンジを出て山越えで福島市内へ向かいました。途中最近ではめずらしい萱葺き作業をしているところに出くわし、思わず車を止めてパチリ。

 さらに行くと、黄色の菜の花畑。ここでは車を降りてしばし春のにおいを満喫。

市内の倒壊マンション、さらに傾いて

 郡山市内でも地震被害を受けた家屋が、まだまだ手付かずのままです。このマンションは、麓山通りにある岸本精肉店が入っていたビル。1階部分は、完全につぶれています。この間にだんだん南側に傾いているような気がします。

母校の県立高校も地震で被災

  市内の県立高校も地震被害を受けました。あらためて私の母校県立郡山東高校を訪ね、校長先生の案内で中をみせていただきました。北と南の2つの校舎をつなぐ廊下の柱には、大きな×印の亀裂が・・・。激しい揺れで両方から押され、亀裂が生じたのでしょうか。

  第1体育館は天井が被災し、足場を組んで工事が始まっていました。

 1年生8クラスは、校舎が使用できず第2体育館でパーテーションで区切って授業を開始。「先生の声が聞き取り取りにくいし、黒板の字もみえにくい」とちょうどこの教室にいた生徒さんが言っていました。

 2~3年生は、使える校舎で授業を開始。仮校舎を建てる予定で土台ができたところですが、資材不足で工事を開始できないでいること。 

 また、体育館も仮校舎も、これから梅雨時期と夏場を迎えるためクーラーの設置を要望中とのこと。

    【グランドの左向こうが仮校舎の建設予定地】

 郡山東高校は、実は今年度耐震化工事を行なう予定だったそうです。しかし、この際大規模改修工事に切り替える必要があるのではないでしょうか。

 現校舎は、私の高校時代に新築された30数年もたつ校舎です。私の高校生活は改築工事の3年間だったことを思い出しました。改築の時期がきているのは確かです。 

 同様に、県立安積黎明高校の地震被害はもっとひどく、2つの体育館に全学年が移動させて授業をしていると聞きました。こちらも大規模改修工事は免れないようです。

 ところで、東高校の放射能数値はどれくらいか。先生が持っていた文科省支給の「はかるくん」で測定すると地上50cmの高さで0.97マイクロシーベルト、地面に近くになるにつれて数値があがるのがわかります。外での部活動は震災後久しぶりとのこと。

 屋外運動についても今後どうすべか課題の1つのようです。例年だと5月中旬にはプールの水を貯め始めますが、今年はどうするのか、部活の練習試合などを行なうにはバス台などの遠征費用がさかみそうだとも。いずれも例年にない県の支援が必要です。