22日、県議団5人で会津若松市に避難している大熊町の仮設住宅で町民と懇談し、午後は阿部裕美子と私とで、富岡町の第一・第二小学校、第一・第二中学校の4つの小中学校と幼稚園が、同じ三春町の旧曙ブレーキ工場の建物内にある学校を視察してきました。
大熊町は、区域が見直しされて96%は帰宅困難地域となっています。大熊町民との懇談では、わが党の石田町議も参加。自治会長さんからも挨拶をいただき、まず除染対策の要望をされました。
原発問題では、原発をつくったのは国なのだから、東電まかせでなく国が責任をもって対応すべきだ。第一原発をつくったのはアメリカのGE社だったと、当時のようすを知る地元ならではの指摘も。
参加されたみなさんは、福島第一原発周辺、1km以内に住む人たちがほとんどで、一時帰宅できても毎時1940マイクロシーベル、除染しても毎時40~50マイクロシーベルトでは住めないし帰れない。自宅はネズミの糞だらけで、水も出ないと。土地・家屋、家財などの財物賠償基準について、仮設住宅や災害復興住宅の要望などが出されました。
【小塚自治会長さん、石田町議を囲んで~会津若松市扇町1号公園大熊町仮設住宅】
さて、午後は阿部県議と私、県議団事務局の2人と共に、富岡町の幼稚園、小中学校が一緒の三春町にある旧曙ブレーキ工場内へ行って、富岡一小の新井川校長先生、二小の伏見校長先生から説明を受け、「校舎」内を見学させていただきました。
4つの小中学生は全部で74名で、1階は幼稚園と小学生、2階は中学生となっています。教室は、何とかそれらしくなっていても、体育館がありません。
小学生は、近くの三春町要
田
中へ週1回全員でバスで行ってくるそうですが、支度してでかけていく時間が30分もかかるそうです。
中学生は、その時間がとれにくいし全員では無理なの
で、結局この2年間は体育の授業ができず、部活動もできないとのこと。ようやく柔道室だけはできたようですが。
それでも、現場の教師たちは中学生の運動不足を解消するため、敷地内のグラウンドでスポーツイベントなどを企画し工夫しています。「体育館を備えた、せめて仮設校舎を」が現場の声でした。
避難している子どもたちにも、他の地域の子どもたちと同じ教育環境をというのは当たり前の要求です。2年間の空白期間、そしてこれからも続く避難生活を考えれば、子どもたちの成長に与える影響は多大です。2年たってもこんな当たり前のことができていないのは異常事態です。
子どもたちは、大玉村や郡山の仮設から1時間以上もかけてスクールバスで通学・通園しています。帰りは、中学生の5校時、6校時の授業が終わるまで待っています。そして、夕方4時(3時半の時も)に出発するときは、教職員全員で子どもたちを見送り、朝も全員で迎えるようにしているとのこと。教師たちも大変な環境の中で頑張っています。
【校舎内の階段に掲げられている、富岡町を象徴する夜ノ森公園のみごとな桜の写真パネル】