わが家の田植え

 17日は、わが家の田植えでした。夫がほとんど田植機で植えていき、娘と私は苗箱を運んだりして補佐役です。わが家は5反部くらいの作付けなので苗箱で約50枚程度、朝から夜まで1日かかかって終わりました。

夫は昨年定年を迎えましたが、引き続き同じ職場に勤務しており、この日は田植えのために会社を休みました。娘と3人での作業ですが、私は来客の応対や食事づくりなどで娘の半分くらいしかできませんでした。

  午後から雷雨に見舞われて上下とも泥だらけに。夫が一番大変でした。1日中田んぼを歩き通しの上、雨でゴム長靴の中ででぐっしょりでした。せめて夫の好きなものをと、食事や甘いおやつを用意しました。ご苦労様、感謝してまーす!

母の日に街宣~消費税増税しなくても社会保障も財政再建もできる道があります!

13日の日曜日は、午前と午後の2回にわたり、宣伝カーで市内をめぐり「消費税・TPP、原発ゼロ」を訴えて街頭宣伝を8ヵ所で行ないました。この日は、ちょうど母の日でした。

午前中は意外に風が冷たい日でした。午後は、やっと陽射しがたたかくなり、出てきてくれたから拍手もいただきました。

朝の定時定点は今も続けていますが、宣伝カーでの街頭演説は久しぶりです。

街頭から、今年2月に発表した消費税増税しなくても社会保障も財政再建もできるという共産党の提言の中身をお知らせしました。

共産党中央委員会のホームページを検索すると、提言のダイジェスト版のチラシの内容と、提言全文もみることができます。どうぞ読んでみてください。

 

 


 それにしても野田政権は、国民のくらしも被災県のことなど少しも考えていないようです。言葉だけは、福島の復興なくして被災地の復興はありえないなどといいながら、それと全く逆のことをすすめて被災県民にも冷水を浴びせようとしています。

 それは自民党と同じように、財界・アメリカを基盤としているからです。私たち共産党はこの大本を転換し、国民が主人公の政治をつくっていきたいのです。どうぞ、国政でも共産党を大きく伸ばして下さるようご支援を!

警戒区域解除となった20キロ圏内の南相馬市小高区を視察                                               桜井市長と対談・小高の避難者と懇談

11日、県議団5人で、南相馬市の小高区を現地調査しました。桜井市長とも懇談し、午後は仮設住宅で小高区の避難住民と懇談しました。いずれも、渡部寛一党市議の案内で調査を行ない、荒木千恵子市議も合流しました。

南相馬市は、原発事故で原発から20キロ、30キロの同心円で3つに分断されました。小高区は、警戒区域の立ち入り禁止区域でしたが、今年4/16に解除となり宿泊以外は自由に入れるようになったばかりです。

小高区に入ると、ほとんど1年前の大災害を受けたままの風景が続きます。浜辺の近くは、津波被害の遺体捜索のために、がれきなどは片付けられて、ところどころに山積みされて仮置きされていました。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、津波被害がなかった内陸のJR常磐線小高駅周辺の商店街は、地震による被害がひどく、倒壊した家屋が昨年3・11の大震災当時に、タイムスリップさせられた思いです。

 

 

 

田んぼは、津波がおしよせてまるで池のようになり、1年以上も水の中です。塩害の被害もあります。県が設置したばかりの新しい大きなポンプは津波でことごとく破壊されてしまったために、仮の小さいポンプで排水しているので、時間がかかます。早く大きな排水ポンプの設置をと要望中とのこと。

 

 

渡部寛一市議の自宅も小高区の警戒区域内にあります。みんなで訪問してみました。幸い高台の集落にあったので被害はなかったようですが、農家民宿「ほほえみの宿」の看板が寂しそうでした。

周辺には草が生え、水道などライフラインが壊れたままなのでトイレにも行けず、生活できる状態になっていません。

 

 

仮設住宅で小高のみなさんと懇談した時も、「家は大丈夫と思って中に入ったら、床がズブズブだった。1年以上も住んでいなかったから朽ちてしまった」。

「津波で家が流されて戻る家がない。年金ぐらしでは家も建てられない。復興住宅など早くつくってもらえないか」、「家の中にハクビシンが入ったようで、荒らされていてがっかりした」など、次々と実状が・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、ここで私たちが定宿にしている福島市のホテルに避難していた後藤さんが、チラシをみてきたといって懇談会にかけつけてくれました。なつかしい再会でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【仮設住宅集会所での懇談を終えて避難者、渡部市議、荒木市議らと】

 

                        【南相馬市役所で桜井市長と懇談】

桜井市長の話では、地震によって上水道も下水道も配管がこわれている可能性があるので、復旧は早い原町区でも6~7月までかかる見込みで、小高区はそのあとになるとのこと。ライフラインをまず復旧しないことには戻れません。

避難解除されても課題は山積みです。除染もまだまだこれからです。国の委託で除染作業をしたという人は、いくらやっても線量がなかなか下がらない。それは、除染するとき、水が出ないので近くの川の水を汲んできて作業するからだと言います。

これには一同驚きました。しかも、警戒区域などは大手ゼネコンが請負っています。除染費用を莫大にかけながら、こんなズサンなやり方とは・・・。

前知事佐藤栄佐久氏が県庁控え室に来室

きょう、県内避難者との県交渉が終わった午後に、めずらしい来客がありました。前知事の佐藤栄佐久氏でした。

  このほど出版した「地方の論理」~佐藤栄佐久+開沼博~の本をもって各会派をまわってこられたようです。共産党控室に来るのは、現職時代も議会終了後の挨拶時くらいで、実弟の談合汚職事件で知事を辞任して以降は、本当にめずらしいことです。

 昨年の原発事故後、原発問題に関する本を出版するなどしています。昨年の10・30の集会で志位委員長と話をしたこと、先日のいわきでのシンポジウムでも小池晃さんと意見を交わしたことなどにふれて、原発問題や民主主義などの考えなど少しの時間でしたが話をしていかれました。

 今年2月19日に郡山で結成された「原発廃炉・くらしと健康を守る郡山市民の会」の顧問にもなっています。

その市民の会は、5/27郡山女子大建学記念講堂で福島市出身の高橋哲哉東大教授と佐藤栄佐久氏の公開対談を予定しています。午後1時30分開会、2時~4時対談・交流です。ぜひ、ご参加下さい。

原町共栄クリーン産廃処分場の裁判結果を受け、県は控訴しないと公表

8日、県は、南相馬市の原町に設置許可をしていた原町共栄クリーンの産廃処分場について、4月の裁判結果を受けて控訴しない方針を公表しました。

原町共栄クリーンが操業した大甕(おおみか)産廃処分場は、経理責任者が刑事告発を受けるなどさまざまな問題を抱えておりました。地元では反対する住民の会が結成されて、県に対し設置許可の取り消しを求めたり、裁判もたたかってきました。

党県議団も長年にわたり、県交渉や県議会などの質問で何度も取り上げてきた問題で、前期の3人の県議団で現地調査もしています。昨年の大震災で津波被害は免れたものの、原発警戒区域に指定され、このほど解除準備区域になった場所にあります。

今回の県の決断でようやく決着の方向になります。詳しくは明日の朝刊で報道されると思いますが、住民たちと一緒にたたかってきた地元の荒木千恵子党市議にも報告しました。

会津に避難している自主避難者が会を立ち上げ、初めて県へ要望書提出

きょう8日、県に「県内自主避難者にも支援を」と求める要望書を提出したのは、会津に自主避難している「福島県に県内自主避難の権利を求める会」です。

 放射能の危険を感じて、警戒区域等の避難指定区域以外の福島や郡山などから、県内では比較的線量が低い会津若松市や猪苗代町へ個々バラバラに避難していた方たちが、ようやくつながれるようになり、今年4/10に立ち上げたばかりでした。その数日後、たまたま会のメンバーが会津若松の斎藤基雄党市議とつながり、宮本県議が臨んだ会津若松市内のつどいで出会ったことがきっかけで、きょうの県交渉となったものです。

代表の工藤さんの妻・麻美さんが、県の関根生環部次長へ4項目にわたる「区域外避難の権利に関する要望」を提出。なお、県の回答については6/8までに文書で示すようにも求めています。

 避難者からは、「県外避難者と同じような家賃補助を支援してほしい」、「1年が経過し、家主から明日にでも退去をせまられるかもしれないと切羽詰っている状況です」、「インターネットを使えるような経済環境にないので、みんなケータイのメールでやりとりしてきょうの要望書も準備した」、「県、国、市と窓口でたらい回しをされて、どこも相談の受けつけてくれなかった」など切実な訴えが次々と・・・。

 

きょうの県交渉には、県議団からは宮本県議と私、斎藤若松市議、蛇石郡山市議も同席。県からは、生活環境部関根次長と被災者支援住宅対策担当の佐々木土木部参事ら4人が応対。

県内テレビ局各社が大勢つめかけ、夕方の県内ニュースで放映されるなど、マスコミも大きく注目しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この間私たち県議団も、県議会で県内・県外の自主避難者にも県の支援をと求めており、私も今年3月の総括質問で取り上げました。県は、災害救助法では対応できると知っていながら、避難指定区域からの避難者を優先し県内の自主避難者については対応していないと答弁。きょうも同じことを繰り返しつつも、「内部で検討する」と答弁したので、今後の県の回答が注目されます。

県は原発問題については県民を線引きしないとしているのですから、工藤さんたちが要望したように、県外自主避難であろうと、県内自主避難であろうと、そしてこれから避難しようとする人たちに対しても「みんな福島県民です」と、原発放射能から県民の命と健康を守る立場で支援すべきです。ここでも知事の決断が必要です。

今年の5/5は、日本の原発がゼロとなった記念すべきうれしい日!

 きょう5日は子どもの日。そして、今晩北海道電力泊原発3号機が定期点検のため停止となり、これで全国に50基ある原発は、全て停止します。昨年の原発事故前は、54基のうち福島第一原発の1~4号機は廃炉となり、この4基を含めて37基が運転中でした。その後、次々と定期検査で停止して以降、各地の運動で再稼動ができないまま今日に至りました。

 日本に原発がなくても電気はまかなえるということが、誰の目にも明らかになったわけで、大変うれしい記念すべき日です。原発事故で福島県民が受けた塗炭の苦しみ、特に子どもたちへの影響を考えれば、時間的にも空間的にも社会的にも異質の危険をもたらす原発の再稼動などありえません。

 電力会社は夏場のピーク時の電力不足をしきりに言い、国も電気力料金の値上げを口にし始めて国民に脅しをかけていますが、当面は火力や他の電力会社からの融通をしながらも、なぜ、再生可能エネルギーの導入を促進しないのでしょうか。【5/5付福島民報】 【5/5付福島民友】  

   福島県の人口は、昨年10/1現在で1万3千人も減少し、全国最多です。また、今年4/1現在、16万人の県外避難者のうち子どもたちは、昨年同期比1万5,494人の減少(15歳未満)と県が発表。これは、例年の2倍~3倍で、実態はもっと多いといわれています。原発事故がなかったら・・・。

  ところで、日本で原発の商業運転を開始したのは1966年7月、日本原子力発電東海発電(現在解体作業中)です。1970年4月、東海原発と同社の敦賀原発1号機の2基が同時に停止して以来、実に42年ぶりの全原発停止です。

第83回郡山地区メーデー集会とデモ行進

 5/1は、労働者の祭典メーデーです。きょうは仕事の人も多かったようですが、郡山地方労連などが中心の郡山地区メーデーには約300人が参加し、開成山の野外音楽堂で開催されました。

河崎郡山地方労連議長が主催者を代表して挨拶。私は、3人の市議団とともに参加し、党地区委員会を代表して連帯の挨拶をしました。

民主党野田政権がすすめようとしている福井県のいい大飯原発の再稼動問題、消費税増税と社会保障の一体改悪とTPP参加問題は被災県の復興と逆行するもので、これらは連休明けの国会でヤマ場になることから、原発ゼロの日本とくらしと雇用を守っていく決意を表明しました。

【デモ行進の先頭を歩いて。左から岩崎市議、河崎地方労連議長、私】

 

【去る3・11に原発ゼロの大集会が開催された郡山開成山野球場では、高校生の野球大会が】

昨年は、大震災と原発事故の直後だったことからデモ行進をとりやめ、郡山駅前のビッグアでの集会と駅前署名活動でしたが、今年は例年どおり屋外での集会を行ない、郡山駅前までデモ行進しました。天気にも恵まれ、沿道から手をふって応えてくれる人や、中には頭を下げる方も。

今回の集会では新らたな動きも。一般個人で参加された方が数人いたそうですし、メッセージも原市長や元自民党国会議員、そして壇上には現職の民主党衆議院が初めて参加し挨拶の予定でしたが、秘書が代理で参加し紹介されました。昨年3・11の大震災と原発事故からこの1年、「オール福島」、「オール郡山」の動きをつくってきた表れだと思います。

一方、夜には、教組・国労などが主催したもう1つのメーデーにも参加し、連帯挨拶をしました。

被災者に心を寄せた住宅復興政策/塩崎賢明立命館大学教授の講演

28日、県革新懇、県自治体問題研究所、ふくしま復興共同センターが共催の学習会2回目。今回は、福島市で神戸の大震災から復興住宅政策を提唱している塩崎立命館大学教授から「避難している人たちに心を寄せた住宅政策」の講演会に参加。

もっと早く仮設住宅や災害救助法の活用の仕方などを聞けていたらと思いましたが、今後の復興住宅についての講演は、大変参考になるものでした。

災害時の仮設住宅は、プレハブ協会と国や都道府県が協定を結び、災害時に大量に提供するしくみになっていますが、この仮設住宅の環境が悪いことから、追加工事が何度もする事態になっています。

地元の工務店が請負い、材料も人も地元にお金が還元するしくみにすべきであり、その点では阪神大震災の教訓が、今回の震災に生かされていないとのこと。

また、災害救助法には、現物支給の他に現金支給もできるのに、国はその活用もお知らせもしていないと指摘。これを使って活用し、格安の自分で家を建てる支援などを実施している岩手県の取り組みも紹介されました。

今後の復興住宅についての提案も大変参考になりました。公営復興住宅というと鉄筋コンクリートをイメージしがちですが、木造の1戸建て住宅(物置場もある)にすべきという提案は新鮮です。

しかも、木造住宅の良い点は、あとで増築ができることです。東南アジアの津波被害地では最初に小さく建てて、だんだん増していった例もし紹介されました。

復興公営住宅についても木造一戸建てにすれば、維持管理経費をみれば格安の住宅になるはず。そして、地元の工務店が請負えば、地元産の木材利用もでき、地元の仕事と雇用にもつながること。

木造住宅は、被災入居者にとっても精神面で癒され好評とのこと。県内でも、これらに力点をおいた住宅政策をとっていくべきだと思いました。