11/6、午後2時より、郡山市東部体育館(阿武隈川沿いの中央工団地内、クラリオン向い)において演説会を開きます。入場は無料です。なお、スリッパをご持参ください。
どなたでも自由に参加できますので、お誘い合わせてお気軽におでかけ下さい。ご支援とご協力、どうぞよろしくお願い致します。
30日、福島市・四季の里で開催された「なくせ!原発 10・30大集会」に、当初予定の2倍の1万人を超えて参加。47全ての都道府県からの参加者と原発事故を受けた福島県民が心1つになった感動いっぱいの大集会でした。
壇上から、原住連の早川徳雄さん会津放射能情報センターの片岡さん、JA五連の庄條徳一会長、佐藤栄佐久福島県前知事、そして浪江町の馬場町長、飯舘村の菅野村長の挨拶、そして志位和夫共産党委員長が連帯挨拶。社民党福島党首のメッセージが紹介されました。
浪江馬場町長と、飯舘菅野村長の連帯の挨拶には涙がこぼれました。志位委員長も、「ふるさとを追われた町村長の訴えには胸がつまりました」と述べ、そのためにも徹底除染と全面賠償を国と東電の責任で行なうこと。
これらの費用は、国と東電が責任をもって福島への復興基金をつくるべきではないかとよびかけました。その財源は、核燃サイクルの今後の積み立て金が19兆円もあり、そのうち4.8兆円はすぐにでも使えること。
さらに、原発プラントメーカーやゼネコン、大銀行などいわゆる「原発利益共同体」にも費用を出させ、福島県などの除染費用も賠償金も健康対策もできると訴え、参加者は大きな拍手で応えました。
【県議選をたたかうあべ、宮本、宮川、神山、長谷部、はらだ6人の候補と党推薦の根本さとし候補】 【会場で志位委員長と】
【パレードでは、青年たちの作製による”爆発した福島原発”をかついで】
【軽快な太鼓とパーカッションでパレードをもりあげてくれた、埼玉から参加の「安全・安心な未来を子どもたちにオーケストラ」のメンバーです】
29日の午後、台風15号による水害にあった住民からのご意見・ご要望をお聴きする会を、3人の党市議団とともに開きました。
私たちは、阿武隈川周辺地域へ約2000枚チラシをまいてお知らせしてきましたが、きょうは会場にあふれるほどの80人近い住民が参加しました。みなさん、私たちの事務所に来るのはほとんど初めての方ばかりでした。
阿武隈川沿いの住民は、これまで3回も大水害に見舞われています。1986年の8・5水害、1989年の8・27水害、そして今回の2011年9月22~23日の台風15号水害です。
3回とも共通しているのは、 阿武隈川の水門締め切りによる「内水面被害」です。
8・5水害では、国の補助を受けて阿武隈川の「平成の大改修」とよばれる河川改修を行ないました。しかし、堤防を整備しても、98年の8・27の大水害になったのです。この時に問題になったのが水門締め切りによる内水面被害です。
この教訓を受けて、私たちも市や県で求めてきたポンプ場の整備がすすみました。ところが、今回の台風15号による豪雨災害時に、頼りであるはずの古川ポンプ場が1基は故障、2基は途中までしか稼動しなかったのです。
きょうの会合でも、この古川ポンプ場が十分稼動しなかったことへの住民の怒りが爆発。「これまでは泣き寝入りさせられてきたが、今回は人災だ」との厳しい声が次々とあがり、市の対応の遅さ、避難指示と避難誘導のあり方に疑問や意見が続出。
私たち共産党もこれらの声を国政や県政につなげます。しかし、本当に行政を動かす力は、被災した住民の声です。
郡山を水害に強いまちにするために、例えば「遊水地」機能をどこにどれだけ持たせるのか。いざ災害に見舞われた際に、住民避難や指示はどうあるべきか。いずれも、被災住民や専門家を加えて、真剣に検討し直す必要があると感じた懇談会でした。
27日、中田御舘小中学校の入り口に信号機が必要ではないかとの問い合わせがあり、今朝7時40分頃から旗振りをして登校する子どもたちを見守っている御舘小中学校の2人の校長先生にようすを伺いに行きました。
今はほとんど車で親が送ってくるため、徒歩で登校してくる子どもは10人程度にすぎないとのことでした。
このあと台風大雨被害を受けた中田町の土砂崩れの現場を調査。土砂崩れが大きかった道路は、外環状線という市の農業予算でつくった道路ですが、ほとんど車が通らず、地元の人たちはムダな道路だといっています。
この道路の一部が3・11の大地震で亀裂が入り、そこに台風15号の大雨がしみこんで大きく崩れ落ちました。
その土砂が、下の民家のビニールハウスの作業小屋へどっさり入ってしまったのです。その家では自力で片付けたそうですが、まだ少し残っています。市からの何らかの援助があってしかるべきではないでしょうか。
一方、市内阿武隈川沿いの内水面被害も相当ひどいものです。きょうは、その被災地で街頭宣伝をしましたが、どの場所でも住民の方が出てきてくれて要望が出されました。
どの家でも、市から何の判定もされないままですが、寒さに向かう今、待っていられず住宅リフォームの業者を頼んで壁や床の張替え、畳やさんなど入り修理を始めていました。
あるお宅は、3月の大地震で屋根が壊れ、今度は床上浸水の被害とダブルパンチで、改修工事の真っ最中。市では半壊の判定だったが、民間保険では全壊だったとのこと。市が11月上旬にこの地区へ再調査に入ることになったことをお知らせしました。
また、今週29日(土)に、午後1時半より共産党市議団と私が「浸水被害の要望をお聞きする会」を開く予定の案内をすると、「こんな時に頼りになるのはやっぱり共産党だね」と異口同音に言われました。被災者の切実な願いと期待をひしひしと感じた1日でした。
夜は、青年のみなさんが「えつこの部屋」という集いを開いてくれました。また私の56歳の誕生日(今月22日。もうこんな年齢に・・。35歳で県議選初立候補から21年です)をバースディーケーキでお祝いしてくれました。震災以降の青年たちの頑張りに、私も日々励まされています。
25日、職場門前で早朝宣伝を後援会のみなさんと一緒に行ないました。原発廃炉の請願が全会一致で採択されたこと、野田政権の下で、緊迫した情勢になっているTPP交渉参加問題などを訴えました。
夜は、業者後援会の決起集会でした。原発事故の損害賠償で東電が観光業へは20%カットと線引きしたが、多くの批判を受けて見直す方向になっていること。
県議会でも劇的な変化が最終盤で起きたが、これは県民世論を無視できない状況になっていて、県民が県政を大きく動かし始めていること。
その県民世論をバッグに共産党県議団は3人tで県民の願いを実現するため、最終日にもオールキャストで討論で登壇し、論陣をはって奮闘したこと。
特に、宮川県議が、新婦人県本部が提出した「第一、第二原発すべて廃炉を」の請願に対する賛成討論のようすを伝えているうち、私も原発事故で避難している多くの方の切実な訴えを思い出し、おもわず涙が出てしまいました。
この悔しさを、原発放射能から県民の命とふるさとを取り戻したい。原発賠償問題でも国と東電にはっきりものがいえる共産党が伸びてこそ、本物の原発ゼロの福島県にする大きな力になると訴え、私の決意を述べました。
これまでも切実な県民世論と一体となって奮闘してきた共産党県議団が、5人以上の県議団になれば交渉会派に入ることができ、県民の請願や意見書など県民要求が大きく前進すること。
99年の県議選で私が初当選して5人以上の県議団で、プルサーマル中止、子どもの医療費助成が最下位から当時全国トップに、30人学級も全国初で実現したことをあらためて強調。今度の県議選は、全国ばかりか世界も注目している選挙。ぜひ、多くの方に支持を広げてほしいとお願いしました。
25日、地元の上石川の河川改修についても要望しました。この川は、上流で東部開発がすすんだこともあって、大雨が降ると道路にあふれる箇所があり、数年前から地元町内会からも要望が上がっています。
きょうの申し入れで市は、現地調査に入ることを表明。その上で、どうすれば浸水被害をなくせるか、あるいは減災できるか検討してみたいと回答しました。これは一歩前進です。
25日、党市議団の3人と共に、郡山市へ放射能汚染対策と地震・台風浸水被害について要望書を提出しました。
放射能汚染対策では、早急に全市除染計画をつくること。町内会などが行なう50万円の除染補助についても、町内会に過大な負担にならいようにすること。
また、要望が多い井戸水の検査体制を充実させて、検査を迅速に行なえるようにすること。 水害対策では、床下浸水住宅については現行では何も支援がないことから、せめて見舞い金の支給をと要望。
住宅の応急修理助成については、指定事業者以外でも工事ができるようにすることと、すでに工事をしてしまった場合でも遡及すること。
古川ポンプ場の故障、浸水原因究明については、第三者による検証をすることなどを要望。
市からは、除染計画はつくる予定で、近く市のアドバイザーをつけて、町内会など派遣していくようにすること。
水害被害に漬いては、床上浸水の半壊・全壊区分も柔軟に対応していく。もう一度被害の査定をやり直す予定であること。近く市の職員が調査に入る予定とのことです。
私たちは、除染費用については、国の予算確保では私対の提案を示し、市の計画を市民に浸水被害者に対する丁寧な周知と、制度の柔軟な対応で対策を講じるよう強く求めました。
23日、地元中田選挙事務所開きを行ないました。地元の方のほか、浪江町の避難者のみなさんがいわきの仮設からかけつけてくれて、70人近くの方に参加していただきました。
当初の3月から7ヶ月遅れようやく地元事務所開きとなりました。11月10日告示、20日投票で県議選が行なわれます。告示まで3週間を切りました。
【県議会最終日、全基廃炉請願の採択、TPP反対決議も採択となった劇的変化をお話して】
【浪江町のみなさんと激励挨拶する馬場浪江町議(左)】
【きれいなお花も頂きました。小原田の神山選挙事務所に置いてありますおかせていただいて】
【恒例となった餅つきを夫とともに】
餅つきは、石筵の千本杵餅ずり歌「えつこバージョン」の替え歌に合わせて。きな粉餅とくるみ餅はみなさんに喜んでいただきました。選挙戦も餅のように粘っこく得票も伸ばせるよう頑張ります!
21日、福島市のウエディングエルティで開かれた「TPP交渉参加反対と震災・原発事故からの復旧・復興を促す県民集会」は、当初500人の予定が800人もの大集会となりました。
JA福島中央会の庄條徳一会長が主催者を代表してTPPの問題点を指摘し、復興の足かせにもなると反対をよびかけて挨拶。県医師会長の高谷会長も、TPPで混合医療が持ち込まれ国民皆保険が破壊されることをユーモラスに訴え、TPP交渉参加に反対を表明しました。
県議会議員も私たち共産党3人、自民、民主なども来賓として多数参加。前日の県議会最終日、TPP交渉参加反対の決議をめぐって、自民と民主・社民がすったもんだの3時間半の空転劇をしたことがウソのようです。
それだけ、TPP問題は震災・原発事故を受けた本県の復興をめざすこととは相いれないものであること、加えて県議選目前だからでしょう。
ある団体代表は「いくら忙しいといっても玄葉外務大臣(民主党)が現場にこないのはどうしたことか!」との厳しい声もありました。
玄葉大臣は、TPP推進ですから来ないのは不思議ではないのですが、本県の農林水産業が今度の震災・原発事故で大変な危機にあるのに、それを知っているはずの玄葉大臣も民主党もTPP推進とは何事かとの怒りは全くそのとおりです。
県議選でもTPP問題は、大きな争点の1つです。
14日、郡山復興共同センター(代表伊藤よつ子)のみなさんと、郡山市へ原発事故に関わる要望書を提出しました。
要望書では、市全体の放射線測定を行ない、除染の具体的な工程表を策定し実施すること。地域の除染は市の責任で行ない、除染方法や処理法法の講習会の開催、アドバイザーの配置、作業員を雇用する事業を興すこと。
また、放射線量の測定器を町内会ごとへ複数設置することや、食品の検知器(スクリーリング用)を各行政センター、公民館、給食センターや学校にも設置すること。
全市民対象の被曝、健康管理については、尿中セシウム量の測定を健診メニューに入れることも求めました。
栗山副市長は、除染作業を喜久田地区でモデル的に実施したことを述べながら、同じ考えで実施していることもあれば、初めての提案もあるとし、要望にあった有給による「一時避難休暇制度」をつくり、活用企業へ補助金を支給することについては、今後検討のようです。