25日と30日の2日間、共産党郡山地区避難者支援ボランティア担当の大橋さんらと郡山市内の仮設住宅などを訪問しました。25日は、市内喜久田町の双葉町仮設の自治会長さんと懇談。3・11の原発事故から猪苗代町へ避難した避難所で、宮城県沖地震と阪神大震災を経験したことから自ずとリーダーとなってまとめ役となって奮闘された方です。
財物賠償については、すべての方に他の地域でも土地や住宅の購入できるくらいの一律賠償と、それに個々の事情にみあう賠償を加えるべきではないかとの考えです。
一方、借り上げアパートで暮らす40代のご夫妻にもお会いし、お話をうかがいました。アパートの家賃は、家賃補助限度の6万円を超えているので、その分は持ち出しとのこと。夫は元の職場を解雇され、まだ仕事がみつからない。妻は、賠償金をもらって楽な暮らししているなどと言われ、つらい思いを涙ながらに話してくれました。
夕方、雪が本降りになってきましたが、民間アパートなどで暮らしている避難者の拠り所、NPOが運営している富岡町の「絆カフエ」へ。突然の訪問でしたが、ざっくばらんに賠償問題、今後のこと、中間貯蔵施設のことなど話てくれました。室内には、まだ帰れない富岡町の夜の森公園みごとな桜並木の写真が・・・。
30日は、富岡町が運営している保育所と学童クラブを訪問。それぞれ富田町とビッグパレット近くの南1丁目仮設住宅内に設置されています。利用者は、民間借り上げアパート暮らしている子どもたちとその親です。富岡町が親の心のケアも兼ねて開設したとのこと。
どちらも正規職員とパートの臨時職で運営していますが、臨時職員は町から委託された派遣会社の職員です。県の緊急雇用対策事業による雇用は、市町村直接の臨時雇用ではなかったのですね! この事実には驚きました。
ところで、郡山の北部に位置する日和田町の仮設。ここも双葉町の避難者です。120世帯分のうち入居者は12世帯程度。市内中心部から遠いというだけなく、すぐそばに県中流域下水道公社があり、夏場は汚泥が臭うからです。
ここでは、集会所に住民の方が集まってくれていました。この臭い対策のための防臭ネットや西風が強い防風ネットの設置などの要望も出されました。
このあと、下水道公社を訪問。写真はフレコンバックにつまれた放射能を含む汚泥です。雪がかぶっていますが、約9000袋。敷地隣正地では、保管場所確保の造成工事もしていました。
環境省は、汚泥を焼却する施設を建設し、これまでの20分の1から30分の1にまで減容化すると言いますが、今年9月ではこの夏もがまんさせられるわけです。