逢瀬川の越水などで若葉町も床上浸水被害
20日の午後、若葉町の逢瀬川の浸水被害現場を見に来てほしいと連絡がありました。ここは阿武隈川の合流部分に近い支流の逢瀬川沿いの地区です。
若葉町は、災害ごみがいっぱいで、近所の方から早く撤去をと要望がありましたが、きょうは、だいぶ減っていたので、自衛隊が撤去していったようです。さて、ここは、新築の住宅も建て替えた家も、逢瀬川のそばなので、道路の地盤から1mも嵩上げして建てているのが大半です。それなのに、今回床上1.7~8mも浸水とは。13日夜中から2日間水没していました。
県が、逢瀬川の改修と橋梁の付け替え工事中だったこともあり、住民の不信と怒りが強く寄せられました。
ところで、被災者生活再建支援法の全壊・大規模半壊・半壊・床上浸水の基準。ここのように嵩上げ分が、みなされないのは納得いかないというのは理解できます。何とか基準の見直しができないものでしょうか?
水門町の神山選挙事務所も1階の8割まで浸水被災
志位委員長らと台風19号被災地の須賀川市を視察、市長と懇談
④須賀川の釈迦堂川から越水し、浸水被害地域の被災現場へ。
丸本ゆみこ県議予定候補と横田ようこ市議、堂脇あきな市議らの案内で、電気店や食事処は床上浸水に。営業再開まで復旧費用もあり支援が必要と。
舘取地区で一番浸水したお宅では、3.5メートル、2階の窓下までに。8・5水害より上がったとも。
⑤このあと、須賀川市役所へ行き、橋本克也市長へ義援金を手渡すと共に、国への要望などをお聞きしました。橋本市長は、3・11の教訓を生かし、災害対応と農業や商工業者へのグループ補助金で支援してほしいと要望されました!
18きょうの視察をふまえ、志位委員長が早速、武田復興大臣に直接電話。避難所での温かい汁ものの食事や布団の提供。浸水被害は長期避難になることから、借り上げアパートやホテル・旅館の提供や商工業者へのグループ補助など、東日本大震災の時に実施した制度を早急に示してほしいと要望しました。
志位委員長が台風19号の被災地を視察/県と郡山市、須賀川市に義援金を届け、被災者から聴き取り
18日、志位委員長が台風19号被災地の福島県入りし、福島県と郡山市、須賀川市へ、全国から共産党に寄せられた災害募金の義援金の目録を渡しました。また、避難所や浸水被害地の現地を視察しました。
岩渕友参院議員、町田県委員長、県議団長の私神山が同行。郡山市議団、丸本県議予定候補と須賀川市議団がそれぞれ現地で合流。県庁県議団控えで打ち合わせ。
①最初に、福島県庁で鈴木正晃副知事へお見舞いを申し上げ全国からの義援金の目録をお渡しし、国への要望などもお聞きしました。
②志位委員長らと、郡山の高瀬小学校の避難所へ。
市から電気マットが配布されたり、私たちが15日にここへ支援物資として提供したふとんや豚汁は、大変喜ばれていることが分かりました。現在、食事は朝・昼はパン、夜はおかずつきの普通のお弁当が配布されています。
しかし、温かい汁ものはないので、志位委員長もこれが、提供できるよう求めていくことを伝えました。改定された災害救助法では、1日1人1,140円を見積っているのですから。
さらに、3・11の時のように、避難所から民間アパートなどの借り上げ住宅の提供と、ホテルや旅館などの借り上げを国としても求めていくと伝えました!
一方、もう1人の男性の体験は凄絶でした。1階に1人暮らし、急に水が入ってきて台所のテーブルの上に立ちケータイで友人や知人に連絡を取っていたが、だんたん胸から最後には首まで水に浸かった。
この間、消防本部に4回ぐらい119番通報したが、結局来てもらえなかったと。ガタガタ体が異常なくらい震えが止まらなかった。2日間水の中にいたことになると。
私も、通りかかった下行合で、水害で取り残された人がいると会長さんから頼まれ、119番通報しましたが結局来なかった。
この2つの事例は、消防隊員が不足していることが1つの要因です。福島県は、全体で他県に比べて1000人も足りないと、党県議団は、県に対策を何度も質してきました。しかし、県はそれぞれの広域消防が判断することと、冷たい答弁を繰り返しています。県も国も、改めて消防職員の増員こそが求められます。
③郡山市役所では、市の災害対策本部会議が開かれている会場で、志位委員長が全国からの義援金を品川市長に手渡すとと共に、挨拶。お見舞いを申し上げながら党としても救援や復旧に全力をあげる決意を表明。
そのまま、私たちも市長のそはで会議に参加させて頂きました。各部長からの報告。プッシュ型支援をするとして、西日本豪雨災害で機能を始めた国と業績をつなぐ「リエゾン」からの報告もありました。15日の岩渕友参院議員の国会質問では、全国に1000人が配置されているとのこと。郡山市には、経産省・国交省・自衛隊から配置され、現場の対応状況が次々と報告されました。県からは16日から職員が派遣されていると報告。
さらに追加報告では、リエゾンのみなさんから課題や要望に応えていくと(まるで志位委員長や岩渕友参院議員にも答弁しているかのようでした)。
このあと、品川市長とも別室で懇談しました。
県政報告会を市内で2ヶ所
水門町の神山選挙事務所も浸水被害の片付け
浸水被害を受けた水門町の神山選挙事務所で、赤間さんが椅子を拭いたり片付けをしていました。ありがとうございます!
郡山市は、ようやく15日から罹災証明書の窓口を開設。各行政センターも受付けます。
被災家屋の写真を添付し、罹災証明書の手続きを済ませたかどうかを、私も尋ねるようにしています。
水門町の県道両側は、水没した家財などを運び出した災害ごみでいっぱい。市の清掃センターが2ヶ所ありますが、阿武隈川流域にあるクリーンセンターが水害の影響を受けたため回収のメドが立っていません。
郡山市の泥出しボランティアがやってきました。聞けば、市内に住む大学生たちが多いそうです!
国道4号線に近い若葉町も、逢瀬川から越水し大きな浸水被害を受けました。夕方にまわってみると、住宅街はごみの山だらけ。
匂いもするし、運び出す場所もない。家の片付けが捨てる場所がなく進まない、ぜひこのことを市に要望してほしいと。そして早く復旧して普通の暮らしをしたいとも。
また、この地域にある赤木小学校も被災したので、子どもたちは3ヶ所に分散通学になるようです。
高瀬公民館の避難者へ豚汁の炊き出し~涙がこぼれると喜ばれて
16日夕方、党郡山・安達地区委が避難所への豚汁の炊き出しをしました。今夜は、浸水被害した上行合地区の方々がいる高瀬小学校体育館です。
温かい豚汁に涙が出ると喜んで頂きました。最初に避難した12日夜は、アルミパック入りのごはんだけ。味もほとんどなくて涙が出る思いだったと。
ちょうど、品川市長も避難者を回っていたので、市長からも温かい食事やふとんの提供、また公営住宅や借り上げ住宅の提供などを、県に要望あげてほしいと求めました。
別の方は、ここに来る前に帝京安積高校に避難したが、そこが夜中に1階まで浸水。電気系統がダメになり、とても寒かった。朝に自衛隊のボートで救出され、ここに来たとのこと。着替えがないが、きょうはベニマルから衣類の提供があったそうです。
帰り際に、声をかけられて、聞けば私が避難所回りをした時に会っている富岡町から原発避難した女性でした。郡山に家を建てたが、そこが浸水被害にあったと。なんと、重ねての被災に心が痛みます。
県議選に向けた共産党の政策を県庁で会見し発表!
谷田川の堤防決壊現場、県中建設事務所へ対策を申し入れ
谷田川の決壊現場です。この少し下流で阿武隈川に合流します。
谷田川の決壊によって、田村町下行合地区が広い範囲な浸水被害になりました。
反対側の郡山中央工業団地にある堤防も決壊!こちらは、あとで見ようと思います。工業団地もまだ、操業開始できない工場が多数。
県中建設事務所へ、谷田川の決壊への応急対応と、上流の河川改修。幹線県道の早期復旧を求め要望書を提出。高橋よしはる市議が同行しました。
このあと、浸水被害した水門町や下行合地区で聞き取り調査。お天気’がよく、みな泥だらけの家財を外に出す作業をしていました。災害ごみ収集と、土ぼこりがひどい。散水車をの要望が。
早速、県中建設事務所へ散水車の出動を電話で追加要望しました。自民党にも要望したが来てくれたのは、共産党の神山さんが初めてだ、散水車を頼むと。