会津湯川村議選、女性の新人片桐さんが当選!

9日投票で行われた湯川村の村議会議員選挙で、日本共産党は新人の片桐英子(ひでこ)さんが、定数10の中で第4位で当選しました!

私も告示日の第1声にかけつけ支援に入りましたが、片桐さんは、村の保健師として31年間活動し、村民の健康づくりなどに尽力してきた方です。

定年になったばかりですが、今度は政治の場から村民のための村政づくりに力を尽くしたいと決意され、みごと小林村議からのバトンをつなぎました。介護や子育てなど、村民にとってはやさしく心強い女性議員の誕生です。

郡山市長選挙と市議補欠選挙がスタート

郡山市長選挙と市議補欠選挙が9日に告示されました。16日が投票です。

共産党は、市議補欠選挙の定数2に4人が立候補。共産党は斉藤のぼるさん(60歳)を擁立しました。党市議団が3人から4人になれば交渉会派入りとなり、発言力も増し議会の運営に直接関わることができます。そして、子育ても老後も安心できる市政、暮らしを応援する市政をつくりたい。

市長選挙は新人の浜津和子さん(元市職員、元市議、63歳)を支持してたたかいます。浜津陣営とは、わが党の政策提案が合意され「覚書」を交わしました。浜津候補は、女性の目線で、市民のくらしや子育て応援、学校給食の無料化などを公約に掲げています。県議の私が、共産党郡山安達地区委員会を代表して、激励の挨拶を述べました。

県立テクノアカデミー郡山の入学式

7日、テクノアカデミー郡山(職能開発短大の専門課程・職能開発校の普通課程)の入学式でした。

写真は校長室に飾られていた生徒の作品です。バラの花がこんなにきれいに!よく見るとカンナで削った薄い木の皮、見事です。慣れてくると2~3分で一輪のバラの花ができるとか。

郡山市立宮城小学校の入学式へ~8人の新1年生

6日、私の母校、郡山市立宮城小学校の入学式でした。ピカピカの1年生は8人です。

校長先生から教科書、明るいまちづくり推進員会からは黄色の帽子、交通安全母の会からは布の手提げバッグが贈呈されました。

 

前進座「怒る富士」と原発被災の福島県民

3/31、郡山市民文化センターで前進座が「怒(いか)る富士」を上演しました。この作品は、新田次郎の原作です。宝永山が噴火して富士山麓の村々が灰に埋もれ、時の幕府は廃村とし、棄民政策をとるのですが、それにあえぐ農民たちと、彼らを守ろうと命を懸した関東郡代・伊奈半左エ門との物語です。

私は、以前にも前進座のこの作品を国立劇場で観劇しています。しかし、今回ほど伊奈半左エ門が直訴した時代と、今まさに福島県民に現実に起きているとぴったり重なっていると感じたことはありません。

上演された3/31は、広野・川内村や県外の自主避難者への住宅提供が打ち切られた日であり、大熊町・双葉町を含む帰還困難区域を除いてすべての避難区域が解除された日です。飯舘村、川俣町山木屋地区、浪江町は3月末に、富岡町が4/1に解除されました。しかし、住民説明会では「時期尚早」との声が上がっていました。安倍自公政権は、原発事故から丸6年を経過したことをもって「福島県民切り捨て」を実行したのです。

伊奈半左エ門が幕府に直訴する場面は、私の2月県議会の総括質問を思い出しました。伊奈半左エ門も訴えていましたが、私も仮設住宅の打ち切りは、決して強制的な退去としないよう、人道的な対処をと県に強く求めたばかりでした。その一方で、県は国と一体になって、復興の名の下、「イノベーション・コースト構想」で約700億円を新年度予算に計上。研究拠点の各施設整備費にも多額の国費が投入されました。これらの金額を明示させ、県の姿勢を追及しました。

ところで、2月県議会で自民党は、代表質問で原発事故は「天災だった」との所信を述べたのです。しかし、2012年12月県議会で、前佐藤雄平知事は「今回の福島原発事故は、人災だった」との認識を答弁しています。私たち共産党は事故前から地震・津波対策を何度も国・東電に申し入れていたこと、前知事のこの答弁を指摘し、自民党の認識の後退を厳しく批判しました。7年目に入る福島の自民党の姿です。

郡山市内に11番目の新駅「JR富田駅」が開業

4/1、郡山市富田町と冨久山町八山田の間に、JR磐越西線の新駅・富田駅が88年ぶりに開業しました。旧県農業試験場内に県が建設した医療機器開発支援センターのそばです。式典には、岡田市議も一緒に参加しました。

冨久山町八山田地区と喜久田町に住宅地がどんどん広がっています。実は、この駅の設置は国鉄分割民営化が実施される前から国労分会の中でわが党の同志が提案し、国労全体の要求になったのが最初でした。40年以上前です。

郡山駅東口に念願のエスカレーターとエレベーターが設置され、本日開通式

30日、郡山駅東口に、10年越しで要望されていた念願のエスカレーターとエレベーターが設置されました。きょうは、その開通式でした。

東部地域のみなさんは、これまで駅の長い階段を苦労して使用していました。特に、高齢者や車イスの障がい者、ベビーカーのママにとっては大変不便でした。旅行に出かける方も、キャリーバッグを手で持って階段を登らねばなりませんでした。

共産党市議団の市民アンケートには、必ず要望事項に上がっていたもので、党市議団は市議会で度々この問題を取り上げてきました。

きょうの式典では、品川市長の挨拶、事業部長の概要説明、知事の代理で県土木部参事が挨拶。自民党の根本匠衆院議員は、社会資本整備交付金の国庫補助がついたのは、アベノミクスのお蔭だなどと挨拶で述べていましたが、そもそもJR東日本が自ら整備すべきものを地元の郡山市がようやく決断したからです。市長にとっても4月の市長選を前にになんとか間に合ったというところでしょう。

とはいえ、東部地域のみなさんにとっては、大変使い勝手がよくなります。西口とも連絡通路で行き来がしやすくなります。

また、式典では、東口広場や樹木の清掃や草取りを毎月続けている市東部婦人会に感謝状が送られました。写真は、そのみなさんと一緒です。

 

 

八法亭みややっこさんを迎えて憲法噺~郡山新春のつどい

郡山安達地区委員会の新春のつどいは、3/26の午後に開かれ、八法亭みややっこさんを迎えての「憲法落語噺」でした。みややっこさんは、現役の弁護士で、東京26区の衆院予定候補でもあります。

折しも、森友学園の国有地の安価な払い下げをめぐり連日国会で大問題になっていますが、この学園の幼稚園で戦前の教育勅語を園児に暗唱させていたことに驚きますし、憲法違反です。

自民党の改憲案をこのあたりから解明。軽妙な語りに最初はなかなか乗れないでいた参加者も、だんだん調子を合わせられるまでに。用意したみややっこさんの本のサイン会も盛況で、完売でした。

司会は、岩崎真理子市議、主催者を代表して高橋善治市議・地区委員長が挨拶しました。

福島県原水協が結成60周年

26日午前は、福島健原水爆禁止協議会が結成60周年の祝賀会を開催しました。

この翌日から国連で核兵器禁止条約締結のための会議が始まるという、タイムリーな日です。しかし、日本政府はアメリカの核の傘の下でこれに反対を表明し、この会議にも出席するかどうかがこの日の報道でした。被爆国日本政府のとるべき態度ではありません。

私も来賓挨拶で述べましたが、広島、長崎、ビキニ環礁の第五福竜丸と3度の被爆を受けたのが日本です。

60年もの長きにわたり核兵器廃絶のヒロシマ・ナガサキからのアピール国際署名活動を続けてこられたすべてのみなさんに心から敬意を表します。今度は、核兵器禁止条約締結に向けて、新しい扉を開いていきましょう!

県被団協の副会長さん、県議の私、秋田原水協の方が来賓挨拶。このあと、医師として広島の被爆者の治療・研究に長年携わり、震災前に福島市に戻り、現在わたり病院の医師として勤務している斎藤平紀先生の学習講演会でした。

科学者として、歴史的経緯も含めて解明し、福島の原発事故に至る過程と現状についても話をされました。

地元の小学校卒業式へ~震災・原発事故直後に入学したみなさん、卒業おめでとう!

23日、私の母校、郡山市立宮城小学校の卒業式に出席しました。14人の6年生は、卒業証書を受けとったあと、在校生と校歌を歌い別れの言葉を交わし合って式が終わりました。ご卒業、本当におめでとうござます。

6年前に入学した時は、東日本大震災・原発事故直後でした。入学式は、4月半ばになり、しかも体育館が地震で使えないため入学式は図書室で行ったそうです。

そして、夏になっても子どもたちは長袖のシャツ、外では遊べず、プールもできず、教室は窓を閉め切り扇風機を持ち込んで暑さをしのいだこと。春の運動会が秋になったと、PTA会長が挨拶で述べられました。子どもたちの小学校生活は、まさに、大震災と原発事故と共にあった6年間でした。

あの当時、私たちは県議会で、教室にエアコンをと各会派が教育長に求めたことを鮮明に思い出しました。

ところで、ここの小学校の体育館の耐震補修工事は、直前に終わりばかりです。新しくリニューアルされた体育館で、卒業生を送り出すことができてほっとしているとは、校長先生の言葉です。