緑ヶ丘新年会

1978656_396060780569264_2222424100498892102_n[1]10917835_396060800569262_7238517129426375815_n[1]10日、緑ヶ丘の新年会に招かれました。新妻町内会連合会長が挨拶。尺八と琴で「春の海」の雅な音色にうっとり。さらに、尺八で「マイウェイ」も素敵でした。

参加者のテーフルをまわると、いろいろ要望も受けました。

登山愛好者からは、磐梯さんの山小屋にトイレがなく、母と娘が困っていたと。安達太良山には小屋すらないとか。

 以前、県議会で吾妻山の山小屋へのトイレ設置を求めて実現しましたが、福島県はこの点では、遅れているのかもしれません。

福島県労連25周年レセプション/一貫して闘う労働組合・闘うナショナルセンターの要となって

10920942_395765993932076_8575531634425806313_n[1]10日、福島県労連の結成25周年レセプションが開かれました。県議団から私と阿部、宮本県議の3人で出席。斎藤よしはる県労連議長が挨拶し、来賓として高橋ちづ子衆院議員も挨拶。10906483_395766013932074_913325743542272873_n[1]

また、JA新福島の代表者、県女性9条・24条の会の遠藤さん、労働者信用金庫の方など、これまでの運動と連帯の広がりを反映し、来賓挨拶も多方面の方々でした。また、祝電も郡山市長や相馬市長、県内各地の首長さんから寄せられました。

一方、ろう金の方の来賓挨拶では、郡山支店にお金を貸してほしいとの切羽詰った電話が2人もあいついだと報告され、安倍政権の下で県内でも広がっている格差社会を象徴するような事例だと思いました。

福島県労連は、1989年11月18日に結成され、初代議長は郡山市職労委員長だった故伊藤正志さんです。のちに全労連の役員としても活躍。伊藤議長は、私の立候補にも関わった方で、50代で病に倒れ私が99年嶮議に初当選したあと間もなく他界され、小川英雄さんが引き継ぎました。

県労連は、闘う労組合・闘うナショナルセンターとして、労働問題はもちろん県内のさまざまな運動の中心になって活動。2010年からは斎藤議長へ。原発事故後は、福島復興共同センターの事務局長として奮闘し、原発ゼロ100万人署名運動を展開中です。

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避難している飯館村の佐藤八郎村議と共に。
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