県へ震災・原発事故の第13次申し入れ                                                         議長へ全協、常任委員会開催を申し入れ

 第13次県への申し入れは、農業対策、教育に関すること、いわき市などの余震による被害への対応など、3項目にわたり要望しました。県災害対策本部の荒たけ次長が受け取りました。

 今回は、私と宮川、藤川県議の3人で要望。特に、宮川県議は、4月11、12日のいわきを震源地とする誘発地震のよって、田人地区の大規模な土砂崩れによる被害が発生し、重機も人手も県内外からの応援が必要なことを強調。家屋倒壊も出て、新たな避難者も増えていること、ライフラインン復旧だったがそれも振り出しに戻ったなどの実情を訴えました。

 私は、郡山安積町の県営柴宮団地53号棟が余震でさらに10数cmも南に傾き、全世帯が避難対象になっていることを示し対応を求めました。

 ところで、4/3に佐藤知事が菅直人首相あてに提出した県の要望書(県のホームページを参照)は、私たち共産党とも一致する内容です。

 知事は、「今回の原子力災害は、現行法の想定を超える広域的な避難、20~30km圏での屋内退避、さらには、役場機能の県外を含む広域的な移転などが行われており、収束の兆しの見えない中で、県内全域において、産業・経済、雇用、教育、医療などあらゆる面で極めて深刻な影響を与えている」として、 

   1 原子力災害の応急対策、復旧対策、復興対策を一元的に所管する組織を設置すること
   2 原子力政策は国策であり、国が全責任を持ち、特別法の制定によって対応すること
という、以上の2点を求めています。

 私たちはこれを評価している趣旨を説明し、知事との懇談を申し入れていますが、渉外班に改めて知事の日程調整をお願いしました。(写真)
 

 原発事故に起因する被害は、30km圏内にとどまっていません。農産物をはじめ工業製品までも風評被害の影響を受け、県内のあらゆる経済活動に影響を及ぼしているのが現状です。今、東京電力の仮払い金100万円の話が30kmでの線引きで実施されようとしていることから、この線引きではなく、風評被害まで含めて全域を対象とさせるよう、現行の原発特別法の拡充させるような立法措置をさせるかどうかの大事な局面を迎えています。

 私たちは、知事へ「原発事故はまさに「人災」であることを東京電力に認めさせること。それに伴う、被害、損害、出費は、当然すべて補償、賠償され、また当面の生活保障する責任を有していること。これを東京電力と国へ賠償、補償を要求するとともに、当面県が手当てするよう」求めるものです。

  一方、議長には、県議会の全員協議会の開催や各常任委員会の開催を求めました。佐藤議長は、県民連合からも同様趣旨の申し入れがあったばかりとのことで、全協よりも前に県議会の災害対策の会議を全議員で開く方向で考えていること、全協や来月には臨時k県議会の開催も視野に検討していきたいとの考えを示しました。県議会としても、震災と原発事故への対策について議論をする局面になっていることで一致しました。

あいつぐ強い余震、原発震災事故はレベル7に

 11日夕方5時16分、福島県いわき市を震源地とする強い余震が福島県と茨城県を襲い、夜になっても連続して揺れました。きょう午後2時すぎにも突然突き上げるような強い地震があり驚かされました。

 ものが倒れるほどではなかったものの、夕べの地震でいわき市では震度6弱を観測し、郡山は5弱でした。いわき市では地滑りで家屋3棟が土砂に埋まり、16歳の女性が亡くなったほか、その後も犠牲者が発見されています。

                                  

 

 

 

 

 

 郡山では、安積町柴宮の県営住宅の1棟が11日の地震発生後から南側に傾きはじめ、昨夜はバンという大きな音が発生し、住民が消防に連絡して大騒ぎになりました。近くに住む岩崎真理子市議がそこにかけつけ、住民から聞き取りを行っています。

 きょうは、岩崎市議と一緒に、現地に行き自治会長さんや避難されている住民の方に話を聞きました。なるほど、53棟だけが全体に傾いていました。自治会長さんによれば最初は5~7cm、夕べの地震でさらに11cmくらい傾いたとのこと。

       

 自治会長さんは、今回の地震被害について、建物の外観の損傷状況と、建物内部についても各戸からアンケートをとって詳しく記録し、それを県に報告していました。

 ちょうど、県中建設事務所の職員が避難先などについて住民説明にこられました。避難先は、最初県の施設をと考えていたようですが、市と話し合い市の避難所に避難できるようになったとのこと。小学生や中学生がいる家族もいたので少しほっとしました。

 また、この報告書から県の担当者は建物から出ている音の問題に気付かされたようです。しかもその音は次第に大きくなっているようです。原因は不明なので、調査することにしたとのこと。

 いずれにしても、それぞれの事情を聞きながら今後もこの住宅に住み続けられるのかどうかを含めて詳しい調査をまず求めたところです。さらに、53号棟だけなのか、他の棟は大丈夫なのか、地盤などもめて再調査を求めたいと思います。

 一方、原発震災のレベルはINES(国際原子力・放射線事象評価尺度)では、チェルノブイリ事故と同じ「レベル7」に引き上げられました。ただし、放射線の放出は10分の1とのことですが。

 

女性支援ネットが避難所の女性専用スペースを要望

  12日、女性支援ネットワークこおりやま準備会の刈米さんが代表し、ビッグパレットに避難している富岡町と川内村の合同災害対策本部に対し、女性専用避難場所の設置を求める要望書を提出しました。私も同行しました。

 これは、長引く避難所生活の中で、若い女性に対し、ふざけてくる男性がいていやな思いをしているなどの切実な声があがっていることから、性暴力からの被害を防止するために避難所の監視や見回りなど行い、できれば専用スペースの設置をと求めたものです。

 ビッグパレットでは富岡町の副町長、川内村の総務課長さんが要望書を受け取りました。このあと郡山市の災害対策本部にも出向き、総務部課長さんと保健福祉部次長さんが応対し懇談しました。

「わあ、馬場議員さん、よく来てくれたね」                                           顔なじみの町民に会えて馬場町議も笑顔

 10日、きょうも浪江町議の共産党の馬場議員と共に、浪江町民が避難している郡山市内の県立高校と県農業総合センターの避難所を訪ねました。

 

 ある県立高校に行くと、浪江町の職員が常駐していて、体育館内で町民に集まるようよびかけてくれました。馬場議員から避難者に要望を促すと、「温泉や旅館など町から指定されたスキー場などの宿泊所は、市街地から遠すぎて不安。子どもの学校をほぼ決めたあとに、二次避難場所が決められてきたが、順序が逆じゃないか」など、次々と意見が・・・。

 「新しい仕事をさがすにも、他に避難していたら捜せなくなる気がする。まったく知らない土地で子どもたちを通学させることも不安。町の職員が避難所に来て説明をしてほしいし、要望も聞いてほしい」と。

 避難して来て、町民同士が集まってみんなで話合いをしたのは、きょうが初めてとのこと。きょう、馬場議員と町民がつながり、率直にみんなで話合いをしたことで、今後の共通問題が見えてきました。

 個別の事情をうかがい終わると、1人の女性がそっと寄ってきて涙でいっぱいになりながら切ない思いを打ちあけてくれました。

  県農業総合センターでは、馬場議員と聞いてびっくりされ、「馬場議員、久しぶりだね。よく来てくれた。会いに来てくれてうれしいよ」と、顔見知りの酪農家夫婦にも喜んでいただきました。私も何度か炊き出しなどでお邪魔して浪江町の方がいるのを知っていたので、ようやく実現できて肩の荷が少し降りた気がします。地縁・血縁は、何と言っても強いのですから。

 

 要望を述べていた方が最後に涙ながらに訴えられました。「私たちが一番望んでいるのは、仕事をしたり、学校に行ったり、病院に通ったり、そんな普通のくらしをしたいだけです。ただ、それだけなんです・・・。せめて、それに近い形になるよう、ぜひお願いします」と。

 今度の大震災と原発事故で、この地域の絆、これまでのあたり前の生活がすべて断ち切られ、避難所も転々と移動させられている。今後の生活の見通しも立てられない。そのやりきれない怒りをどこにぶつけたらいいのか。

 最悪の原発事故が起きたことが、根本原因です。これが困難さを増幅しています。東電と国に、全面補償を!の声をみんなであげていきましょう。

避難者と党町議がつながって、要望次々と                                     青菜が入った野菜たっぷりのあたたかい郡山共同センターの炊き出し

 浜通りから避難している住民がいる県立高校を昨日の夕方訪ね、要望を伺っていたところ、町役場となかなか連絡取れないでいることがわかりました。

 聞けばほとんど同じ浪江町民の方々です。早速、地元の党議員馬場町議に連絡したところ、すぐ訪ねてみたいというので、きょう馬場議員と再度同じ避難所を訪ねました。

  馬場議員は、避難先の二本松市から下着や衣類などの救援物資を車にいっぱい積んでやってきました。避難所では早速、必要なものをとっていただきました。

 避難所内で町民の方に集まっていただき、さっそく馬場議員が相談に応じました。子どもの学校の手続きが済んでいなかった家族には、馬場議員がその場で町の教育委員会へ連絡をとりました。

 ともかく、こうやって郡山市内の避難所に来てくれたのは馬場議員が初めてとのこと。地方議員との連携プレーできるのも共産党ならではです。

 着の身着のままで避難させられ、しかも避難所を転々とさせられる住民の立場から見れば、行政からの情報も乏しく、県や市町村の対応がよく見えてこないと思うのは当然です。

 県では県立高校がそろそろ新学期を迎えるため、当面仮設住宅が建設されるまでの間、あるいは民間住宅などへの入居が決まるまでは、浜通り地方の住民に温泉地など市町村ごとにエリアを決めて移動をすすめています。もちろん、市や県の施設などで避難所くらしを続けざるをえない人はまだまだ大勢います。

 しかし、一律に割り振られてもそうはいかない場合もあるのに、県は市町村ごとに決めたエリア内でと、なかなか柔軟に応じようとしません。この移動に対する不安や今後の生活の居場所をどこにしたらよいのかの迷いも率直に出されました。医療に関する質問が出て、私も県や国に尋ねているところです。

  震災・原発事故からほぼ1ヶ月になろうとしています。明日もまた馬場議員と共に、市内の避難所を訪ねる予定です。

  夕方は、県農業総合センターと市総合福祉センターの2ヵ所の避難所へ救援活動共同センターのみなさんと炊き出しをして届けました。野菜たっぷり、実だくさんのあたかい汁ものの炊き出しはとても喜ばれました。

赤旗1面に、つながり深い女性議員と一緒に登場

 昨日4/8付け、しんぶん赤旗の1面に、私のインタビュー記事が掲載されました。全国で最終版を迎えている県議選の中で、震災・原発事故を受けた福島からのエールを込めたつもりです。前日に県記者からインタビューを受けたばかりなので、翌日付けに、しかも1面とは「想定外」でしたが・・・。

 ところで、私がもっと驚いたのは、上段記事に宮城県仙台市議(太白区)のふなやま由美さんの被災者支援活動のようすを紹介した記事と長野県議選を戦っているもうり栄子県議も同時に掲載されたことです。

 ふなやまさんとは、昨年5月のNPTニューヨーク行動で同じ班でした。以前、保健師をしていた彼女らしく、今回の被災者支援でその経験がフルに発揮されているとあらためて感じた活動内容です。

 さて、もう1人の女性、ちょうど真ん中に掲載されているのが長野県議選をたたかっているもうり栄子さんです。岡谷市・下諏訪区(定数2)で、3期目をめざす県議選をたたかっています。

 下諏訪町は、私の20代に3人の子育真っ最中の9年間を過ごしたなつかしい町です。毛利さんは岡谷市在住で、その時代から同じたたかう仲間として知っています。

 長野県は福島県をタテにしたような細長く広い県で、農業県でもあります。福島県と大変似ていて、私にとっては第二のふるさとのように感じています。諏訪地方は、戦前は女工哀史で知られる紡績工場があった町です。そして、日本のスイスといわれるように精密工業が集積している労働者の町でもあります。ぜひ、ご支援を!

 長野県議団は、県議選が始まる直前の3/29に、石坂ちほ県議団長はじめ3人の県議が、マイクロバスをチャーターして福島県に米・野菜、下着類などの救援物資を満載して支援に来てくれました。私は、郡山にいたので、会えなかったのは本当に残念でした。

 こんな偶然もあるのですね。タイトルにあるように「被災地と全国 心一つに」がまさにぴったりです。

ハローワーク郡山と懇談

 8日、地震・原発事故災害によって、市内外の被災者と浜通りからの避難者の両方を抱えるハローワーク郡山での求人や求職状況、労働相談の状況などをお聞きするため、私、高橋市議と、岩崎市議の3人でハローワーク郡山を訪問しました。

             【岩崎市議・高橋市議、右端が所長さん】

 所長、次長さんら3人に応対していただきました。求人状況は、リーマンショックからようやくわずかに上向きつつあったのに、今度の震災と原発事故でさらに厳しくなった。

 例年だと4月~5月は年度代わりなので比較的求人が多い月のはずが、今年はそうならず、あらゆる職種に風評被害の影響がでてきて、会社存続の先行きの見通しが持てず、それが雇用においても確約できない状態になっていること。

 避難している人は、原発事故の収束について先行きがみえないので、これからどこを居住地にすべきか、仕事はどこでさがすべきなのかを決められないでいる人が多い。他県との大きな違いは原発事故があること。

 市内でも目立った倒産や解雇問題までにはなっていないが、雇用されている労働者は仕事がないため自宅待機にさせられているとか、就職の先延ばしもあるとのこと。

全国から共産党へ寄せられた義援金は4億超                                                        福島県内の被災21自治体に8,300万円届けて

 共産党へ全国から寄せられた被災者救援募金は4億円を超えました。その義援金の中から、福島県内の被災自治体へ直接届けた義援金は合計8,300万円になりました。

 全国のみなさん、本当にありがとうございます。被災自治体からは大変びっくりもされ、もちろん首長さんからは大変感激をもって受け止められたことをお伝えします。

 【4/7日、赤旗1面】

 福島県へはすでに1,000万円を届けたほか、原発の事故で役場ごと避難している被災自治体13市町村へ第一次分として500万円ずつ、第2次分として8町村へ100万円ずつの目録を届け、それぞれの自治体の指定口座へ振込みました。

 私たちは、義援金を届けながら、避難されている被災住民のようすや、特に役場ごと避難を余儀なくされている原発立地地域の首長さんから国や県への要望をうかがいました。

 それぞれの首長さんは、住民のことや今後の自治体のあり方などについて話をし、率直に心情も吐露してくれました。

 私たちは、これをそのまま菅内閣の閣僚と菅首相にもその声を届け、また国会論戦でも被災地の生の声として届けたり、また県政や県議会でも申し入れの内容に生かしています。

 特に、原発被災自治体では、わが党議員が救援活動や町議会でも奮闘し、原発事故による風評被害まで含めた全面補償を迫ろうと、バスをしたてて議会の意見書を国会へと届けることにしたという、浪江町議会のような市町村が次々とでています。

 とにかく、今回の地震、津波、原発事故、風評被害、情報不足までふくめ、四重苦、五重苦の人災を負わされた福島県は、他県とは別の苦労を伴っています。国と東電へみんなでこの切実な声と全面補償の声をあげていきましょう。全国のみなさん、ご一緒に頑張りましょう。そして、一斉地方選挙で全国の自治体で共産党の議席を増やすよう、ご支援ください!

県議会の災害対策本部でヘリで被災地を現地視察                                                           県内の避難者は8万5,000人以上          

7日、県議会の災害対策本部で被災地の現地視察を行ないました。自衛隊の大型ヘリを借りて空中から浜通りの海岸線の集落をみました。

防護服を着せられて、郡山陸上自衛隊駐屯地をヘリで出発し、福島県と茨城県との県境の勿来へ。そこから北上し、勿来共同火発、小名浜港、いわき市の美空ひばりの歌碑がある塩屋崎灯台へ。その先から原発避難区域の20キロ~30キロ県内の半円を避けるため、内陸側に入りました。

 

   

          【塩屋崎灯台(上)付近は無事でしたが、北側の海岸線(下)は津波被害の惨状がありありと】

 

 宮城県境の新地町と相馬市の上空から海岸線や漁港をみると、宮城県の三陸や陸前高田市と同じように、津波被害で壊滅的な打撃を受けたことがわかります。風光明媚な松川浦も津波で壊滅状態でした。   【家屋も人も農地も、津波に飲み尽くされて】  【相馬港と原釜漁港も壊滅的打撃】     

 

 

 

 県のテクノカレッジ浜(浜技術専門校)のすぐそばの空地にへりは無事着陸。約1時間半の飛行でした。テクノカレッジ浜で、おにぎり弁当の昼食をとったあと、同校で相双振興局から説明を受けました。

                        

【相馬市内の街があったはずなのに、瓦礫と化して】

 議会のマイクロバスで、南相馬市内、相馬港、相馬市内をめぐりましたが、どこも町全体が瓦礫の山で手つかずの状態。あまりの惨状に言葉もありません。

 重機が入っていたところも、遺体が中にあるかもしれないため、皮をはぐように少しずつ少しずつ作業していました。場所によっては、県警の捜索隊や地元の消防団がドロの中をさぐっているようすもみえましたが、まだ始まったばかりです。誰かを捜している夫婦の姿もありました。

 災害復興をどうすすめるのか、原発事故の収束は? どちらも福島県に大変大きな課題であることを実際にみてあらためて実感しています。

原乳出荷停止の酪農家の苦悩、障害者授産施設が地震被災

 5日、3人の市議団とともに石筵地区の酪農家の橋本整一さんを訪ね、原発放射能の影響で福島県全部の原乳が、出荷停止となった影響について聞きました。

 「えさを少なくしていたが、牛が腹をすかして牛舎の入り口に立つと一斉に立ち上がって俺を見るので、少し配合飼料を増やしてやったらおとなしくなった。

 毎日搾った牛乳を捨てているのは本当に腹ただしい。仲間と東京電力への抗議行動をやろうと話あっている。                  

川俣で基準値を超えた原因は、えさでなく水が原因だと思う。ここは、井戸水を使っているが、われわれには何の落ち度もない」と怒りは頂点に。原発さえなければ・・・。本当に恨めしい心情がひしひしと伝わってきました。

 【ホールクロップサイレージ。発酵している干草は、すっぱいにおいが。牛が喜ぶえさです】

    【被災した「あだたら育成園」を案内していただいた次長の渡辺さん】

 夕方は、震災で地盤沈下したという大玉村にある障がい者授産施設「あだたら育成園」の調査に行ってきました。    

   入り口ドアの前は大きく陥没し、職員がいる事務所は「危険」のレッドカードが張られています。重度障がい児が入所している施設も、地盤が下がり続けているため床も入り口の西側に向かって下がっています。特に、厨房と食堂の一部の壁がはがれ落ちたり、床が損傷したり梁にも隙間が出てしまっているなど、そのゆがみによる影響があちこちにみえます。

                         この施設は、山を削り盛り土で造成した地盤に建っています。敷地内の少し高い場所にある別の入所施設はなんともないのですが。

 震災直後は、体育館へ避難させていたのですが、場所と環境が変わった知的障がい児は3日間くらい非常食を出してもほとんど口にしなかったそうです。

 そこで、危険を承知の上で、食事の時だけ職員みんなで移動させ、食堂で食事をとるようにしたらようやく食べてくれるようになったと言います。

 実は、県の補助で新年度に耐震化工事とスプリンクラーが設置される予定だった施設です。でも、震災で地盤そのものがゆるくなった以上、この場所への再建は無理です。

 それにしても、職員に一度現場を見に来てほしい、今後の相談もしたいと依頼しているのに、県の出先からも未だに来てもらっていないとのこと。さっそく担当部へ連絡をとり、まず電話で実情を聞くようお願いしました。