県議会商労文教委員会の県内視察/避難地域の子どもたちの現状など

今週24~26日まで、私が所属している県議会商労文教委員会の県内視察でした。

教育関係では、飯舘村小学校3校の仮設校舎がある川俣町へ、富岡町の仮設校舎がある福島市の富岡高校と三春町にある小中学校4校・幼稚園を視察しました。

今回の視察で、避難指定区域になった市町村の子どもたち(幼稚園から高校生まで)が、新学期以降どんな状況にあるかを知る機会となりました。

 

 

 

 

 

 

飯館村は、4月から川俣町の民間企業の土地を買い取り、3つの小学校を合同の仮校舎で開校し、220人の児童が学んでいました。仮設の体育館は、日本赤十字の支援で建設したそうです。

 

富岡町は、昨年2学期の9/1に2つの小学校と2つの中学校、そして幼稚園を一緒に開校。ここは、昨年8月に撤退した曙ブレーキ工場の跡地を修理した仮校舎です。理科の実験室や体育館がないため、近くの要田中学校を借りていますが、満足な授業にはなっていません。

児童数も、震災前には小中4校で1,400人もいたのに今年4月時点で70人です。5台のスクールバスで、大玉村・郡山・三春の仮設住宅などから50分程度かかって通学し、教員もいわきや会津から高速道路で1時間強の通勤時間とのこと。

現場の校長先生や教育委員長の話から、原発事故によって今後の先行きがみえない不安や深い苦悩がみえました。私たち議員も原発事故による被害の重い課題をあらためて突きつけられた思いです。

* * * * *

商工労働関係では、南相馬市で「テクノアカデミー浜」と仮設店舗「かしま福幸商店街」、福島市で中小企業向けの融資などをしている「県産業振興センター」、福島医大で医療機器開発やがん治療薬の開発の「医工連携事業」、「土湯温泉町復興再生協議会」、郡山市で「ハイテクプラザ」を視察。

【県立医大内に建物が増設された、がん医薬開発のための動物実験室を視察。ねずみのCTスキャンも】

私は、放射線量を測る測定器も食品などの分析機器も圧倒的に不足していることから、大玉村の地元企業が盲人向けの「しゃべる線量計」を開発し喜ばれていることを紹介し、医大でもハイテクプラザ、産業振興センターでも、県内の中小企業への放射能に関する機器開発や資金面での支援を求めました。

【南相馬市鹿島地区にある仮設店舗「福幸市場」で】

南相馬市の仮設住宅近くに県内で最初にオープンした仮設店舗を調査。国の全面支援と地元商工会や市が関わってスタートしていますが、他の地域にももっと増やすべきです。ただ、敷地内が砂利のままでした。仮設住宅は、私たちも何度も申し入れ舗装になっていますので、ここも舗装にすべきです。お年寄りが手押し車で買い物に来ても不便をきたしているそうです。

土湯温泉復興協議会では、大きなヒントをいただきました。地震で被災し大きな旅館が廃業するなど観光客が激減していますが、地域の復興をかけて協議会を立ち上げ、温泉の蒸気を利用するバイナリー発電と小水力で地元の電気をまかなう地産地消の発電を計画しています。

また、観光誘客についても従来の発想を変え、相馬や南相馬などの沿岸部の被災地、原発放射能の影響地などを直接みてももらい、宿泊は線量が少ない土湯温泉でゆっくり休んでもらうという、まさに逆転の発想で観光ツアーを計画していました。

翌23日の特別委員会で、この土湯温泉復興協議会の調査の例をあげて、県の観光交流や再生可能エネルギーの発想の転換が必要ではないかと県に質したところです。

 

兵庫県のボランティアと仮設住宅を訪問

 

 21日、党ボランティア派遣で兵庫県から党議員や県役員など6人もきてくれました。党中央から4月から郡山にボランティアの担当者がされることになり、郡山には兵庫県の方がきています。
昨年の震災発生後直後から南相馬やいわきなどには派遣されていますが、1年経過した今年4月からは、中通りの仮設住宅や民間借り上げがある福島や郡山などにもボランティアが派遣されることになったものです。

郡山では受け入れ担当のスタッフを決めて、すでに4月初めに第1回目の仮設住宅訪問を始めています。前回訪問時に農業をやりたいので畑を借りたいとの要望がでて、高橋市議が対応しています。

この日は2回目で、私もようやく時間が取れたので郡山市内や兵庫県のみなさんと一緒に、ビッグパレットそばの富岡町・川内村の仮設住宅を訪問しました。

 兵庫県からお米を頂いたので、袋に小分けにして届けると喜んでくれました。仮設での生活要望や病院・介護の問題、家族のようすなどをうかがいました。


仮設住宅は狭いので、若い夫婦は別の民間借り上げアパートなどに住み、高校生はサテライト校の寮に移ったりして家族がバラバラという世帯は多い。高齢者世帯がほとんどで、足が不自由で本当ならベッドを2つ置きたいけれど、狭いので脳梗塞で倒れた夫のベッド1つで我慢せざるをえないという方も。

また、買い物も歩いていけるスーパーが近くにないので、子どもたちや孫たちの車で一緒に出かけるしかないとのこと。仮設店舗があれば助かるといわれました。病院への通院や介護などについては、南東北病院がかかわっているようです。

郡山商工会議所と消費税増税などで懇談/ 被災地郡山商議所は消費税増税反対!

20日、3人の市議団とともに、郡山商工会議所を訪問し消費税増税問題などについてのわが党の提言などで懇談をしました。

丹治商工会議所会頭をはじめ役員の方々など4人で応対していただきました。郡山商工会議所は、昨年の震災で建物の被災を受けため全部取り壊され、現在向かい側の市の建物を借りています。

 その建物の再建から話が始まりました。元々営利事業でやっているわけではないので、建てかえる費用がないこと。会員である地元の商工業者も震災で被害を受けたりして仕事をやめる人もでているため、建設資金を集めるのも大変なこと。国や県、市の補助も受けたいとの要望も出されました。

 消費税増税については、地元の商工会議所として反対だとはっきり述べています。中小業者は、価格に転嫁できず身銭をきっている状態であること。

 また、放射能の影響で、周辺の農産物は売れるのかどうか。農家が元気にならなければ商工業もダメになると・・・。原発・放射能対策では、除染、賠償問題、検査機器、電気料金、水利権まで次々と話が広がり、「黙っていてはダメだ。もっと声をあげていく必要がある」と意見が一致。

 昨年11月27日に、郡山商工会議所が中心となって郡山駅前で郡山市民復興大会を開催し、原発廃炉、税金の減免、子どもたちや市民の医療費無料化など市民の切実な要求を代弁するスローガンを掲げて活動しています。7割を占める中小業者を国も県もしっかり支援していくことは、政治の大事な役割です。

 最後に、郡山商工会議所として、郡山を中止に県内の観光地や農産物、工業製品などを首都圏にアピールするDVDを作成したとのことで、これをいただいてきました。

国立科学博物館でインカ帝国展を鑑賞 / 孫との再会

15~16日は、長女と一緒に末娘の孫に会いに行き、15日は、国立科学博物館で、マチュピチュ「発見」100年~インカ帝国展を開催中とのことだったので、新幹線を上野で降りて鑑賞してきました。


 日曜日だったせいか大変な人出で、館内は大渋滞。それでも、お昼前に入ったので入場は待たずに済みましたが、午後は入り口に長い行列ができるほどの盛況ぶりでした。6/24までの開催です。

 

 

 

 

 

 

 

アンデス・ペルーに生まれたインカ帝国の始まりから滅びるまでと、その後のインカについてまでを第1~3部のコーナーで紹介。すわった状態のミイラが、数体展示されていたのも今回の大きな特徴ではないかと思います。

そして、第4部はマチュピチュへの旅。最後の部屋では大きなスクリーンで3Dの映像をグラスをつけ鑑賞。そこにまるで自分が降り立ったような臨場感が味わえますが、3Dはちょっと変な気分にもなります。たっぷり、2時間近くかかりました。

 

上野公園内は、この他ボストン美術館、国立近代美術館、上野動物園もあっていろいろ楽しめます。今度はそちらにもぜひ見に行きたいと思います。

 

 さて、娘たち夫婦のところには夕方着いて1晩泊めてもらいました。婿さんが腕をふるって手料理を準備してくれている間、こちらは孫と2度目の再会をゆっくり楽しんで・・・。昨年11月、私の県議選の最中に生まれた初孫はちょうど5ヶ月になりました。

 娘は母乳がたっぷり出るらしく、ほっぺが落ちるくらいぷっくり太って、体も女の子とは思えないくらい重くしまっています。名前を呼ぶと、一生懸命笑ってくれるのがホントうれしいものですね。

三春滝桜は、4月20日前後が満開? / 小松祝正さん絵画展

9日は、気温も10度以上になり、春らしい晴れやかで暖かい日でした。                 まだ、三春の滝桜はつぼみもみえません。

                        【小沢の桜~田村市船引町】

田村市船引町文化センターで開かれている小松祝正さんの絵画展へ行ってきました。会期は、今月7日(土)~15日(日)まで(AM9:00~PM5:00m)開催中です。

小松さんは、田村市大越町にお住まいの方で、現在、日本芸術文化協会副会長、日本芸術家連盟副会長、太平洋美術会会員です。

 今年は2年ぶりとのことですが、小松さんは大震災・原発事故があったこの1年も精力的に描き続けていました。今回のテーマは『東日本大震災復興祈願』で、約80点を展示しています。

                      【波立海岸~いわき市久ノ浜】

原発で避難を余儀なくされている大熊町や浪江町など、浜通りの四季折々のなつかしい風景が多数展示されています。 小松さんにうかがったところ、これら故郷の風景をみて涙ぐんでいた方もいたそうです。

 

船引町へ行く途中に、三春滝桜のそばを通ってきました。先週も行きましたが、今年は寒い日がいつまでも続いているため、ほとんどつぼみもみえません。

三春は梅、桃、桜が一緒に咲くので「三春」というのですが、梅もまだほんの少しつぼみをもった程度です。 駐車場係りの方に伺ったところ、今年の見ごろは例年より遅く、4/17~24日頃かとのことでした。樹齢1000年以上の古木の枝垂れ桜です。私の地元中田町には、滝桜の子孫の枝垂れ桜がたくさんあって、いまや桜めぐり観光コースに入っています。

それにしても、昨年の今頃は大震災後でしたが、桜が咲いていたはずなのにほとんど記憶になく、今思い出しても風景には春らしい色がついていないのです。 原発事故が起きてそれどころではなく、水もガソリンもないので、ほとんど出かけられなかったせいなのでしょうか。

小学校入学式~新1年生は私たちの希望です

6日は、県内の小中学校の入学式でした。地元の宮城小学校では9人の新入生でした。

本県は、除染がなかなかすすまない中で、原発放射能の不安から新学期にさらに県外へ避難した子どもたちが多くいるとのこと。その実態調査を県の担当部に依頼中ですが、どれくらいの人数になるのでしょうか。

 

【校長先生や、町内会長さん、交通安全母の会から教科書、黄色い帽子やバッグを受け取って】

 

 

 

 

 

 

上川崎と海老根の伝統手すき和紙の縁

 

29日の県議団会議の時に、議会事務局の退職辞令を受けたばかりの中村課長が、辞令交付証書をもってきてみせてくれました。これは、二本松市上川崎(旧安達町)の伝統手漉き和紙の証書だそうです。触らせていただいたら、とてもふんわりと軽いけれどしっかりと厚みもある証書でした。

そういえば、私の地元中田町の海老根和紙も、つくり手がほとんどいなくなってしまい、地元で和紙づくりを継承していこうと10年くらい前に海老根伝統手漉き和紙保存会を結成。その時に技術指導を受けたのが旧安達町の上川崎だったのです。

海老根和紙保存会は、毎年9月に黄金色に輝く田んぼのあせ道に和紙の絵灯篭を並べる光のページェント「秋蛍」を開催し、中田町の観光スポットにもなっています。今年は、3・11の大震災・原発事故1周年を記念し、郡山駅前広場で「春蛍」も開催しました。

 

 【海老根和紙保存会の熊田会長さんです】

 楮(こうぞ)を切り出すのは、毎年11月~12月だそうですが、昨年は災害で年末に作業が全部終わらずにいたようです。ところが、今年は和紙の注文が増えたり、「春蛍」も行なったため和紙の原料が不足気味になり、この日の作業を計画したとのこと。

お陰で、私も初めて楮の木なるものを知る機会となりました。でもそこは、阿ノ山という地域でいつも私が毎週赤旗を届けに通っているところでした。使用するのは、その年に伸びた新しいものだけ。毎年切ってやると、ちゃんと芽を出しくるそうです。和紙づくりは、1年を通して手間ひまかかるものなのですね。

4.1消費税増税反対県民集会に800人

4/1、福島市内で開かれた消費税増反対の集会に800人がつどいました中小 零細者は、価格に消費税を転嫁できない実態を訴え、医療現場からも、農民からも女性たちも増税反対 の声をあげました。

共産党からは、中央委員最上さんが2月に発表した「消費税増税なしでも国の財政立て直しも社会保障も拡充もできる」の提言の中身を述べ、「これからでも遅くはない。消費税増税反対の世論をまきおこそう」と訴えました。

【中小零細業者を直撃する消費税増税やめて!】

 

【郡山のみなさんと】

布川事件再審裁判で勝利した桜井さんと杉山さんを囲んで

 31日、冤罪事件などを支援している国民救会郡山支部は、布川事件の元被告の桜井昌司さんと杉山卓夫(たかお)さんを囲み、再審裁判勝利のお祝いと、2人のドキュメンタリー映画「ショウジとタカオ」の上映前夜、懇親会を行ないました。

  布川事件は、当時20才のかれら2人が、別件逮捕されてこの強盗殺人事件の犯人とされたえん罪です。警察による自白を強要され認めてしまったのですが、獄中から無実を主張したものの仮釈放で出所するまで実に29年間も投獄されました。仮釈放で出所した時は、すでに49歳でした。

井出監督(女性)は、仮釈放で出所した彼等を支援者が迎えるところから自分のビデオカメラで記録しています。最高裁で勝利判決が出る直前までの、14年間にわたる記録を2時間半の映画にまとめたものです。検察庁への再審請求が3回も棄却されたために、この記録は14年間にも及びました。

桜井さんと杉山さんは、弁護士や支援者らとともに、この長いたたかいを仕事もし、家庭も持ち、苦しみながらも明るくたくましく生き、昨年6月まちにまった勝利判決が出て、ようやくえん罪がはれました。

一方で、それを粘り強く、軽妙なやりとりをかわしながらビデオに納め続け、これらの膨大な記録をたった1人で映画にまとめあげた井出監督もすごい人です。

桜井さんは「国家権力によって、私の人生は大きく変えられてしまいました。今でも検察庁に対する怒りがあります。しかし、これからは、えん罪などで苦しんでいる人たちを支援していきたい」と挨拶されました。

杉山さんは「子どもが生まれて親の気持ちがよく分かった。小学高学年になったわが子との日常生活の幸せをかみしめている。子どものためにもこれからも頑張って生きていく」と子煩悩な素顔をのぞかせました。

 

それにしても、国家権力と国策という点では、えん罪も福島の原発事故も共通したものがあるように思います。しかも、「責任をあいまいにする」という点においても・・・です。

母校の小学校卒業式

  23日、母校の宮城小学校の卒業式に参列しました。今年の卒業生はわずか5人です。他の学年は10数人ずついるのに、この学年はとても少ない年だったのでしょう。

 

 でも最上級生らしく、みなしっかりした態度で校長先生から1人ずつ卒業証書を受けとったあと、将来の夢や今後の抱負、家族への感謝など、それぞれの個性を感じさせる卒業するにあたっての挨拶を述べました。 

 『将来絵かきになりたい』としっかりと将来の夢をもっている子どももいれば、『お母さん、僕を生んでくれてありがとう!』と述べた子もいて、この1年、震災や原発事故を受け、家族の絆や命の大切さ、これからの社会をみすえて生きていく子どもたちの今の思いが伝わってきました。在校生との別れの言葉の交歓、澄んだ歌声が体育館いっぱいに響きました。